文/山東省の大法弟子
【明慧日本2018年4月15日】私は2005年6月に法輪功の修煉を始めた大法弟子で、今年73歳になりました。
修煉する前、私は病気がちで頭から足まで20種類以上の病気を持っていましたが、大法を学んでから病気がすべて良くなりました。師父が私を地獄から救い上げ、綺麗に洗って下さったのです。私は本当に幸運です! 以下は、主にこの半年で私の身に起きた二つの大きな苦しみを話します。師父は何度も私を保護して下さいました。師父に対するご恩は言葉で表すことができません。
2017年の収穫時、道を歩いているときトラックが私めがけてぶつかって来ました。当時どのように轢かれて、どのように立ち上がったのか憶えていません。立ち上がると頭がフラフラし、体がとても痛かったのです。私はとっさに自分が大法弟子であることが脳裏に浮かび、心の中で「自分の身体は自分で決めます、痛みを許しません! 私は大法を修煉する者であり、私の事は師父以外誰も決める権利がありません!」と考えました。そして絶えず「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱え、しばらくすると痛みが本当に収まり、何も発生していなかったかのように良くなりました。
私がトラックに轢かれた時、近くに同じ村の人が何人かおり、彼らはトラックの前に立ち塞がって私の家族や親戚を含む何人もの人に連絡をして呼び出しました。運転手は酷く怯えた様子でしたが、私は彼に「心配しないで下さい。私は法輪功を修煉しており、師父が保護してくださいました。師父はいつも、他の人のことを優先して考えるよう私達を指導しておられます。あなたが故意にしたことではないので、私もあなたを困らせるようなことはしません」と伝えました。
私の甥は私の身体を見て、「おばさん、あなたは大丈夫だと言っていますが、あなたの背中にある大きな車輪の痕を見たら、怖がらない人はいません!」と言いました。私が服を脱ぐと、トラックが私の背中を轢いたことにようやく気付きました。
同郷の人達は私を病院へ連れて行って検査させようとしましたが、私は必要がないと断りました。私は心の中で「弟子の正念足りれば、師に回天の力あり」[1]、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」[2]を覚え、生死 までも完全に放下して、いかなる執着心も放下して、大法の超常と師父の偉大さを実証しました!
私は運転手を帰らせました。
主人が見て心配するといけないので、私は急いで服を洗いました。
私は他の空間を少し見ることができます。その夜静功をした時に自分がトラックに轢かれた様子を見ました、私は酷く踏みつぶされていました。実は今回の事故の前に、師父は夢の中、で2日間外出しないようにと私に示して下さいました。しかし、私は悟ることができず旧勢力に隙につけ込まれました。もし師父が私を救って下さらなければ、私は死んでいたでしょう。考えれば考えるほど恐ろしくなり、私はその後何日も泣きました。弟子が至らないせいで、師父は弟子の為に多くを費やしてくださいました。何度師父に謝っても、何度感謝しても足りません。三つのことをしっかり行ない精進することで、師父の慈悲なる済度に申し訳が立つよう頑張ります。
2カ月後のある火曜日、朝煉功をしていると、体調が優れず、第二功法の抱輪を続けることができませんでした。午後は同修の家で学法をする予定でしたが、難しいと感じました。しかし、心の中で「駄目だ、必ず行かなければならない。これは新しい学法グループであり、必ず行かなければならない」と考え、師父にお線香を立てて、必ず行けるようにと師父にお願いしました。そして、私は無事に学法グループに行きました。学法が終わると、私は早く帰らなければならないと同修に一言かけて、その場を後にしました。帰宅途中、私は身体に何か問題があると感じ、家に無事に着くよう急いで師父に加持して頂きました。家に着くと、私はすぐに横になりました。
翌朝、私は3時50分からの煉功をしました。法輪を抱く時、今日こそは最後まで抱輪をしなければならないと意気込みましたが、頭上で抱輪をする際、全身の震えが止まらず、力が全く出ませんでした。ならば椅子に坐って煉功しようと考えましたが、座るとすぐに気を失いました。目覚めると、私は地べたに横たわっていました。すぐに発正念をし、ゆっくりと立ち上がってベッドの上で横になりました。
横になったのがいけなかったのか、激しい目まいに襲われ、床に嘔吐してしましました。そしてすぐに、師父の経文の中の一つの言葉を思い出しました、「腐敗分子、異物は合わせて消化する」[3]。そして同時に「これ以上吐くことを許しません!」と強い念を発しました。この一念で本当に腐敗物質を消化し、それ以上吐きませんでした。その後、床を綺麗に掃除し、主人に分からないようゴミを外のゴミ箱にそっと捨てました。少し横になりましたが、決して旧勢力の按排に従ってはならないと考え、私は残り二つの功法をなんとか終わらせました。このように、師父のご加持と保護のもと、私は再度生死の関を突破しました。師父の法である「弟子の正念足りれば、師に回天の力あり」[1]のとおりでした。
毎回この2回にわたる生死の関を思い返すと、師父が私の為にしてくださったことに涙を流します。
私は自分の執着を放下して迷いの中にいる衆生を思い、師父の話を聞いて真剣に三つのことを行うことで、師父の恩に報いるしかありません。師父に余計な心配をお掛けしないよう、弟子は精進に精進を重ねて自分の使命を果たし、師父と一緒に家に帰ります。
注:
[1] 李洪志师父の詩:『洪吟二』「师徒の恩」
[2] 李洪志师父の著作:『精進要旨』「法の中に溶け込む」
[3] 李洪志师父の詩:『洪吟 四』「正念」