どんな時も、師父の法身は私を守ってくださる
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文/メキシコの大法弟子

 【明慧日本2018年5月8日】私はが法輪大法に出会ったのは49歳で、もうすぐ定年退職するところでした。一般の人からすると、仕事が順調に運んで家庭生活も安定している私は、良い人生を送っているように見えます。しかし、社会と家庭からの期待に応えるためにずっと頑張ってきた自分は、どうしてこんなに多くの苦難に見舞われるのかと、ずっと困惑していました。少年時代から、私はずっと多くの病に付きまとわれ、42歳のときにガンに罹って手術を2回して、体に20センチの傷跡が4本残りました。私の目は近視と乱視を患っており、左目は高血圧のため完全に視力を失いました。右目しか見えませんが、右目は高度な近視です。

 法輪大法を修煉する前、重病を患っているにも関わらず私はタバコと酒を好みました。いじめを受けたら殴り返せばよく、復讐することは公平を追求するための唯一の手段だと思っていました。その当時の私はエゴイストで生意気で、よくうそを付き、ほかの悪い習慣もたくさん持っていました。

 修煉してから、師父の「われわれが修煉するにあたって、煉功者として放棄しなければならない心があまりにも多いのです。顕示心や嫉妬心、闘争心、歓喜心など、さまざまな執着心がありますが、それらはみな放棄しなければなりません。したがって、われわれの言う失は、より広義なものであり、それは修煉する全過程において、常人のもっているあらゆる執着心とあらゆる欲望を放棄しなければならない、ということを意味します」 [1]を心に刻みました。

 少しずつ自分の執着心を見つけ出す

 修煉を始めた当初、「執着心? 私に執着心があるわけがない、一つも……もしかすると、少しはあるかもしれない。もしそれを除去せよと師父がおっしゃるなら、私は必ず明日までにそれをきれいに除去できる」と思ったことを未だに鮮明に覚えています。今、修煉して12年経ちましたが、時間が経てば経つほど自分の多くの執着心を発見し、その上、執着心の除去はとても難しいと感じています。時には、もう除去したと思っても、暫くするとまた出てきます。或いはこの執着心を除去しても、ほかの執着が出てくる、ということの繰り返しでした。

 師父は「例えて言えば、瓶の中に汚い物を一杯入れて、蓋をしっかり閉めてから、水に投げ入れると、底まで沈んでしまいます。中の汚い物を出せば出した分だけ瓶が浮き上がってきます。全部出せば、完全に浮き上がってきます。修煉の過程において、ほかでもなく人間の身体にもっているさまざまな良くないものを取り除かなければなりません」[1]を説かれました。学法を通じて私は自分が抱える様々な執着心を発見しただけでなく、因果応報の道理も分かって、自分はどうして今までの人生にあれだけ多くの苦難に見舞われたかの理由も分かりました。

 夫の変化

 私が修煉を始めた当初、夫は応援するどころか、よく私をあざ笑って、暴言を吐いたりしました。1年半余り経って夫の態度は180度変わりました。私が大法の活動に参加するのを支持するだけでなく、我々の活動を手伝ったり、金銭の応援もしました。美術展を行なう際に夫は展示現場で荷物の運搬などを手伝い、我が家に来る同修を親切に迎えてくれました。これは師父の法身が私を助けてくださった結果だと思います。師父は「真に修煉しようと思う独学の人にも、この大法の本を読んでいる時に、同じように身体をきれいに浄化してあげます。そればかりではなく、あなたの家庭の環境も片付けなければなりません」[1]と話されたからです。

 真相を伝える

 修煉してから、私は健康な体と睦まじい家庭を手に入れました。過去の私は、苦難の伴わない人生とはどんなものか想像もできなかったのですが、今の私は心が落ち着いて、周りから尊敬される人間になることが出来、周りの人たちにも愛と思い遣りで接しています。私にとって、修煉してから得たものは本当に多いのです。

 時には、自分は罪深い人間で法輪大法を得る資格がないのでは、と思ったりします。ある日、もし自分に大法を得る資格がないと思うなら、師父と結んだ誓約をしっかり果たして多くの衆生を救おう、衆生は私を待っているので、外に出て真相を伝えて、正念を保てば、初めて大法に同化できるのではないかと思いました。その後、私は法輪大法が迫害される真相を伝えるための様々な活動、例えば真善忍美術展、「フリーチャイナ」というドキュメンタリー映画の宣伝、メキシコと米国で神韻公演の宣伝などに参加しています。

 グアテマラで窮地に陥った私を師父は救ってくださった

 同修は私に、グアテマラに新しい学習者に煉功動作を教えに行かないかと要請して、私は快諾しました。

 私がメキシコからグアテマラに入国した後、突然、数人のチンピラが私を囲んで荷物を奪い、私は仕方なく彼らのオートバイに乗りました。彼らは急スピードでオートバイを暫く運転した後、ある銀行のATM機の前に止めて、金を下ろせと私に命令しました。私は呆然となって、頭が真っ白になりました。あるチンピラは「おとなしく金を下ろしたほうがいいよ。救助を求めるなんて考えないほうがいい。周りにこれだけ多くの人がいても、誰もお前を助けたりしないよ。ここでは私たちは警察より力があるんだから」と私を脅しました。

 恐喝の言葉を聞き彼らの凶悪な表情を見ていると、私は本当に震えました。私がクレジットカードを取り出した瞬間に、1台の黒い乗用車がやってきて、背の高い男性が降りて、チンピラたちに「何をしているのか」と聞くと、チンピラは「ボス、私たちは仕事をしています」と答えました。男性はチンピラに私の荷物を黒い乗用車に積ませ、私にも「車に乗ってください」といいました。

 男性は私をどこに連れていくのか、私にどんなことをするのか心配して、私は震えました。すると、男性はバックミラーから私を見て、優しい口調で「ご心配なく、私はあなたの行きたいところに連れて行きますよ」と話しました。彼はおそらくタクシー運転手だろうと私は思いました。彼は「あなたがやっていることは良いことです」と言って、私の行きたい場所を聞きました。私は震え声で彼に、私はここの人に法輪大法を教えるために来た、しかし待ち合わせ場所の住所を忘れた、「カルメン」という入国ゲートの近くだと覚えている、と答えました。男性は「カルメンゲートならここから1時間余りかかります。あなたはここではなくて、最初にカルメンからグアテマラに入国したら、もっとスムーズに友達に会えたはずです」と言って、友達に電話をかけるように提案しました。しかし私の携帯電話は圏外だったのです。

 男性は自分の携帯電話を私に渡して、電話がつながったら男性は電話の相手に、私たちは今別の入国ゲートにいる、1時間以内にカルメンに着くと教えました。男性は微笑んで私に「心配しないで、あなたに悪いことをしませんよ」と言って、また私に法輪大法の修煉体験を尋ねました。法輪大法は修煉の一つであることを、彼はどうして知ったのかと不思議に思いながら、私は彼に法輪大法とは何であるかを説明しました。

 私を迎えに来る学習者の顔を、私は写真でしか見たことがありません。カルメンゲートに到着して下車し、少し歩くと、学習者たちは人の群れの中から私を発見して、私の名前を呼んでくれました。彼らに会った瞬間、私はほっとして、生き返ったと感じました。

 学習者たちは私にどのようにして来たのか、私を乗せたタクシーはどこにあるかを聞き、私が振り返って見ると、自分の荷物は地面に置かれていて、さっきの黒い乗用車はすでに姿を消していました。私は「さっきここにいた黒色のタクシーに乗ってここに来たのです」と答えると、学習者たちは「グアテマラのタクシーは黒色ではありません」と言いました。びっくりした私は彼らにさっきの車を見たかと聞くと、彼らは「車なんか見ていません。見えたのは、あなた一人が荷物の横に立っていた光景です」と言いました。

 師父は「借りがあれば、返さなければいけないのですから、修煉の途中で危険に出会うことはあります。しかし、そういうことが起こった時でも、あなたを恐怖に陥れ、あるいは本当の危険に遭遇させるようなことはありません」[1]、「わたしの法身は、皆さんが自分で自分を守ることができるようになるまで、ずっと守ります」[1]、「わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[1]と説かれました。

 黒い乗用車の運転手は一体誰だったのでしょう? どうしてチンピラたちは彼のことを「ボス」と呼んだのか、私には分かりませんでした。私に分かったのは、さっき私を守って下さったのは、きっと師父に違いない、ということでした。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 (2017年メキシコ交流会の発表原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/27/357206.html)
 
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