引き延ばされている正法の時間を大切にしよう
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年5月20日】『時間との対話』という経文の中で、師父と神はこのような対話をされています。

 神:わたしが思うに、神になれない人にこれ以上、時間を与える必要はなく、実はその人は人間でしかありません。

 師:(独り言)世間にあって、彼らは本当に深く迷ってしまったので、結局、そうなるしかないのですが、恐ろしいことは、最終的には人間にさえなれないということです! 

 神:実は、新しい世界で人間になるのも良いことで、歴史に淘汰された宇宙にいた無数の高次元の生命と比べて、すでにこの上なく幸運なのです。

 師:わたしは、やはりもう少し待ってみたいと思います。人類を破壊するさらにミクロ的な物質をきれいに片づけてから、その後、どうなるかを見て決めたいと思うのです。彼らはなんといっても法を得に来ているのです[1]

 これは師父が1997年7月3日に書かれた経文です。旧宇宙の時間を司る神は師父がこれ以上時間を延ばさず、このことを早く終結させることを望んでいます。しかし、師父は大法弟子の帰還、そしてより多くの衆生が救われるために、再三に終結の時間を引き延ばされてこられました。

 師父が引き延ばして下さった時間の中で、私たちは全身全霊に自らの修煉と衆生を救うことに集中すべきです。 天寿がきた年配の大法弟子に与えられている延ばされた生命は、彼(彼女)の修煉のためであって、常人生活を送るためのものではないので、それをすべて修煉に用いるべきです。言い換えれば、引き延ばされた時間は私たち自身のものではなく、大法の資源にほかありません。引き延ばされている正法の時間を大切にすることは、大法の資源を大切にすることなのです。

 師父はこのようにおっしゃっています。「法会のあと、ついでにそれらの精進していない学習者に『あなたには時間がない。どうすればいいのか』と教えてください」[2]。「しっかり修めていない人はどうすれば良いのでしょうか? 機会がまだある人がいますが、一部の人は機会さえもありません。まだ間に合う人がいますが、一部の人はもう走るしかありません」[2]

 皆さんは時間の緊迫性を感じているはずです。しかし、正法の最終段階にさしかかり、消沈状態にいる同修もいれば、麻痺した状態を示している同修もいます。その中で、旧勢力の残党は狂ったように病業の形で大法弟子に迫害を加えています。私たちはそこから教訓を得て、もう成熟してくるはずです。今、常人でさえも時間の流れが早すぎると感じ、「時間は一体どこに行ったの?」と唖然としています。私たち大法弟子はなおさらです。しかも、今の時間は私たち自身のものではなく、師父が巨大な犠牲を払って引き延ばして下さったものです。旧勢力の按排に沿うなら、正法はすでに何回も終結され、常人がこの世に居残られるはずがなく、大法弟子も成就した次元に留まってしまうのです。師父が延ばして下さった時間は常人生活を送ることに当てられるべきではなく、衆生を救うために用いられるべきです。もし私たちが延ばされた正法の時間を無駄に浪費したら、それは大法の資源を無意味に浪費することではありませんか? これは犯罪に等しいのではありませんか?  

 この間、同修と交流する中で、同修は「仕事が忙し過ぎて、衆生を救う時間がありません」と言いました。個人的に思うには、どの大法弟子にしても、どの程度人間から抜け出しているかの問題があっても、時間がないことはないと思います。以前、私はあるアパレル会社で管理職として4年半ほど勤務しました。4年半のうち、私は13日間だけ休みました。毎日、仕事と通勤時間を合わせると12時間、場合によっては14時間もかかっていましたが、それでも私には学法や大法を実証する仕事をこなす時間がありました。

 昨年、私は同修が経営する会社に勤め始めました。同修は毎朝、3時40分に起床して五式の煉功を行ない、6時に発正念をし、6時半に資料を持って電動車で街に出て真相を伝え、7時20分に会社で朝食を取り、8時に勤務を始めていました。

 ですので、どの大法弟子にとっても時間がないことはないと思います。毎日の24時間から食事や睡眠のための7時間を引けば、まだ17時間もあります。仕事に取られる時間を除いて、私たちは本当に100パーセント修煉に専念しているのでしょうか? 師父はこのようにおっしゃっています。「修煉という事は宇宙の中で最も重要な事です」[3]。私たちは本当に修煉をもっとも重要な事だと思っていますか? 忙しさと修煉の間には必然的な因果関係がありません。大学入試を目前にしている高校生がたとえ毎日30分だけを学法に割き、勉強や日常生活の中で大法の要求に従って自分を厳しく律することができれば、それは精進です。逆に、引退した大法弟子が毎日3講の学法をこなし、その他の時間で常人のテレビを見たり、旅行やショッピングなどをしてしまえば、それは時間を無駄に浪費することです。長年、正法修煉の道を歩んできて、私たちは「時間を無駄にしない」の意味が分かっているはずです。まだ取り除かれていない自分の人心や惰性のための言い訳をしないで下さい! そうすることは旧勢力に機会を残すことになるだけです!

 今日の時間はとても貴重です。たとえ師父が再三に終結の時間を延ばされていても、終結の日はやはりいつか必ずやって来ます。私たちは残された時間を自分の天寿がきた後に、師父が引き延ばして下さった時間だと考え、それを100パーセント修煉と正法に投じて初めてこの万古にない機縁と、師父が払われている巨大な犠牲に報いることができます!!

 以上は個人的な認識です。妥当でない部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨」「時間との対話」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/4/4/363729.html)
 
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