文/中国・河北の大法弟子 誠晶
【明慧日本2016年3月28日】私は今年62歳の定年退職した教師です。修煉する前には、不眠症とうつ病にかかり、あっちこっちへ治療しに行きましたが、良くなりませんでした。ある日、人から法輪大法という気功は超常的で、病気を治すのにとても効果的だと聞きましたので、2010年の端午の節句から大法を修煉し始めました。そして、慈悲なる師父は体を浄化してくださり、2日間眠ったような状態になり、その後生まれ変わったように元気になりました。この体験から法輪大法の不思議さを実感し、大法を修煉する意志を固めました。
それから、毎日五式の功法を煉り、『轉法輪』を週2回読み通していました。師父はこの遅れていた私を嫌わず、いつも精進するように励ましてくださいました。佛法の恩恵に恵まれた私は、心身ともに幸せです。そして、私の変化を見ていた友達も、修煉し始めました。
修煉して半年後、私は大法弟子として三つの事を行うべきだと知りました。それである日、病院で出会った夫婦に法輪功の迫害の真相を伝え、三退させたのがきっかけで、面と向かって真相を伝え、師父が法を正す事を手伝う道を歩み始めました。
しかし、八十数歳の姑と生まればかりの孫の面倒も、見なければならなかったので、時間的にとても大変でした。人を救うために、家出でもしようかとまで思いましたが、法を勉強するにつれ、常人の中で修煉するには、常人の状態に符合しなければならず、その環境の中で、いかに行うかを師父が見ておられると分かりました。
師父は「ある程度お金を稼ぎ、家族が安心して暮せるようにしてから、何もかも打ち捨てて修行を始めたいと言う人がいますが、わたしに言わせれば、そのような考え方は妄想です。あなたは他人の生活に干渉し、他人の運命を左右することができるはずがありません。妻や子供、親、兄弟などのような家族の人たちの運命も含めて、他人の運命があなたの思い通りになることがありえるでしょうか? それに、後顧の憂いもなくなり、厄介なことも全部なくなれば、何をもって修煉するのでしょうか? 気分よく楽に煉功しようとでも考えているのですか? そんなことがありえますか? それは常人の立場で考えたことに過ぎません」[1]と説かれました。
それからは時間を合理的に使い、家事をしながら同修たちが書いた交流文章の録音を聞いたり、孫を見ながら大法弟子の歌を聞いたりすると、孫まで大法弟子の歌を覚えました。そして、いろんな機会を利用して真相を伝えました。例えば電車を利用する際は、早めに駅に行って待合室で三退を勧め、電車に乗ったら電車の中で伝えます。バスに乗る時はいつも2人用の座席に座り、隣の乗客に伝えます。道を歩く時は、捨てられたペットボトルを拾い、清掃者に手渡す際に真相を伝えます。買い物をする時は物を選ばず、値段の交渉もせず、商売人に真相を伝えます。
そして、姑が亡くなり、孫も幼稚園に通いだす頃には時間に余裕ができ、人の多い市場やお祭りの日にも、真相を伝えに行くことができるようになりました。師父は「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」[2]と説かれましたので、私は言われるとおりに、『轉法輪』と各地での説法を毎日勉強しています。発正念も怠けることなく時間通りに行っています。衆生を救うことにも慣れてきて、三退の人数は最初の数人から、十数人、数十人へと増え、一番多い日は85人を脱退させたこともありました。5年間で8000人を三退させました。しかし、良く行っている同修と比べると、まだまだ差が大きいと分かっています。
本当に人を済度しているのは師父ですので、私たちに人を救う純粋な心さえ持っていれば、師父は縁のある人を連れてきてくださり、そして知恵も与えてくださり、その知恵を使って人を救うことができます。
たまに脱退しない人がいますが、善意を持って、「私はあなたから何も求めません。ただ三退だけに同意すれば、あなたの身の安全は守られます。このような良いことなのに、なぜ三退しないのですか?」と聞くと、相手は最後には、納得して三退してくれ感謝もしてくれます。
時間はますます緊迫しており、旧勢力からたくさんの人を救うため、緩める時間はありません。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の経文:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」