終了の時間に執着することについて話す
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年10月19日】私は自分が法を学んでいるから、法に基づいて自分を修めなければならないと思い、法をもって自分を照らすようにしています。すると、自分の考えの中に法に符合している正念以外、残りはすべて執着心や観念などの現れ、と魔の妨害により生じた邪念であると気づきました。それから生じるすべての念を法に照らし、法に符合しているか否かを見ることにしました。

 修煉とは、つまり法に符合しない考えを、取り除いていくことではないでしょうか? 頭に現れてくる一つ一つの念を、法に照らし、法に符合しない考えの背後の原因を探し、その原因である執着や観念などを取り除くのです。

 終了の時間に執着する考えについても、同様に探せば、執着する原因に辿りつくことができます。例えば、一人の修煉者が自分がよくできていない、円満成就できないと思うようでしたら、彼は早く終了してほしいと望むでしょうか? 終了すれば何もかもおしまいになり、補う機会すらなくなるので、決してそのように望むことはないのです。内に向けて探す人は、自分の不足が認識できるので、自分がよくできていると思わないのです。逆に内に向けて探さない人の場合は、自分の不足が分からずに、かえって自分の修煉がよくできている、終われば天国に戻れると思い込んでいるのです。だから早く終了してほしいのです。

 しかし、自分がいくらよく修煉できていると思い込んでいても、それは自分の勘違いにすぎず、師父と大法の要求に達しているわけではありません。厳粛に言えば、この執着心の強い現れは、すでに心から魔を生じていませんか?

 なぜ時間に執着するのでしょうか?同修の交流文の中で書いてあるように、一部の同修はつまり時間に執着することで、すでに落ちてしまったのではないでしょうか。一人の同修は時間に執着することで、まだ救い済度できていない衆生と、いまだにまだ、表に出てこれない大法弟子のために、時間を延長し、機会を与え続けてくださっている師父を理解できず、かえって、なぜいつになっても終わらないのですか? と言うのです。

 なぜ終了にしないのかについて

 一、師父は「大法が宇宙で法を正すことはもうすぐ終わります」[1]と説かれました。師父は私たち人類の時間をおっしゃっているのではない、と私は理解しています。しかし、人間の時間から見ても、「私が法を正すのは十数年の時間にすぎません。皆さん考えてみてください、それは非常に速いのではありませんか? 実は非常に速いもので、このように手を振っている間にこの全てを完成させましたが、人類の空間で現れた時間の差異は十数年です。しかも法を正してから、宇宙の全体の時間は速められたのです」[2]と、師父が説かれています。師父がおっしゃる一瞬は、人類の空間で現れると十数年の時間になるのです。

 二、師父が「もうすぐ終わりますので、皆さんは自分のことを良く考えるべきです。時間は人を待ちません!」[3]と説かれました。私の理解では、大法弟子はそれぞれ行うべきことをしっかり行えば、真に師父の法を正すことを手伝う役割を果たしたなら、早く終了になると思います。しかし、私たちの行いはどうですか? 本当に終了したら後悔しないのですか? 終了できないのは、私たちがよく行っていないからではありませんか?

 三、師父は多くの衆生を救い済度できるように、絶えずこの空間の時間を延ばされています。しかし、世人は、延長された時間の中で絶えず業力を造っていますから、彼らを残すために、師父はどれほど多くの業を消去されているのでしょうか。腐ったリンゴを残すわけにはいきません。師父は巨大な犠牲を払ってまで、時間を延ばされています。この延長してくださった大事な大事な時間を、私たちは大切にする気持ちが強くなく、まだまだ多くの衆生を救い済度できていないのにもかかわらず、かえって、この終わりの時間に執着し、まだ終了しないのでしょうかと、師父に問うのでしょうか?そのような私たちは、師父についていく資格がまだあるのでしょうか?

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『北米での巡回説法』
 [3] 李洪志師父の経文:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/10/3/316974.html )
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/10/7/153131.html)
 
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