スペインの大法弟子の修煉体験
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文/スペインの大法弟子

 【明慧日本2018年6月1日】私は2013年から修煉を始めたスペインの修煉者でデビッドといいます。修煉する前に座骨神経痛を患い、背中が激痛のため、夜連続して4時間以上眠ることはできず、脚にも鋭い痛みが走って、10分以上立つことができませんでした。私は悲しくて憂鬱な状態に陥り、生きる意欲を失いました。そのような状況下で酒を飲んでタバコを吸い、麻薬にも手を出しました。様々な治療法を試み、精神療法の本もたくさん読み、いろいろな瞑想もしましたが、しかし何の役にも立たず、私の体調は悪化していきました。

 しかしある日、突然、すべてが変わりました。きっかけはインターネットで中国の気功―法輪功法輪大法ともいう)を見つけて、無料提供の資料をダウンロードして、独学で法輪功を勉強し始めました。勉強して2週間後、すべての病は消えて、家族とのよい関係を取り戻しました。私の心と体はここ4年の中で持続的に改善しつつあります。師父に同じように恩返しすることはできないと分かっていますが、「三つのこと」をしっかり行なうことを通じて、師父に感謝を捧げることができると思います。二度と来ない機会を掴んで、師父を助けて衆生を救うように頑張りたいと思います。

 法を多く勉強して次元を高める

 1年ほど前から、私の修煉は「ネック」状態に陥りました。表面上は、しっかり修煉しているようですが、しかしどのようにしても向上を感じません。私は毎日時間どおりに発正念をして、ふだんは大法のプロジェクトをやって、日常生活の中で衆生を救うこともしていますが、しかしそのすべては一種の習慣のようです。修煉において自分は遅れていない、執着心も持っていないし欲求もないと自惚れていますが、しかし事実は正反対です。私はただ表面では大法弟子の基準に達していますが、実際には頭に悪い念も存在し、また大法の仕事を口実にして、真に自分を修めることを疎かにして、主意識も弱まっていました。

 大法の仕事に多くの時間を投じたため、学法を疎かにしました。ある日から、毎回『轉法輪』を読むときに、「真」の一文字がとても目立つ現象が起こりました。その現象は、師父が私に大法の真義を啓示され「真に」修めて「真に」向上しなければならず、「真に」執着心を捨てなければならないという道理を私に悟らせておられるのではないかと思いました。長い間、ずっと大法のプロジェクトの中で目標達成のために没頭していましたが、そうしている過程で真・善・忍を修めることを忘れていました。表面から見て私は大法の仕事を多くこなしていますが、しかしその過程の中で私の固執と欲求はずっと膨らんでいて、本当に修煉しているとは言えませんでした。

 現状から抜け出すために、私は経文を多く読むことを試みました。すると、師父は口が酸っぱくなるほど言い聞かせておられ、大法弟子はしっかりと法を勉強しなければならないことの大切さをいっそう理解できました。

 私はほかの大法弟子とシェアハウスに住んでいるため、朝、一緒に発正念をしてから五式の功法をやって、その後に『轉法輪』1講を読みます。しかし眠気と疲れと雑念のせいで学法するときに私は集中出来ません。そのため、私1人で昼食の後に『轉法輪』1講を学んで、夜にまた1講を学びます。読んでいる内容に集中するように努力すると、知らず知らずのうちに心性が高まって、すべては変わりました。

 苦痛で、何も見えず、何も感じられず、眠気と疲れと戦う状態から、学法することの神聖さが分かる状態になるまで、この偉大な宇宙大法は少しずつ私にその素晴らしさと雄大さを見せてくださいました。多くの同修もそのような経験があると思います。修煉の初期、両足を組んで1時間も座ることはとても苦痛ですが、いったんそれを乗り越えたら、きっと以前より入静できるようになって、集中力も上がり、「空」の境地の素晴らしさをもっと分かると思います。ここ数年、学法を通じて私の修煉状態は絶えず変わりつつありました。暗闇の中から希望の光が見えず、これ以上修煉を続けることは無理だと思い、修煉はつまらないと思う時期もあったのですが、ある日突然、状況は徹底的に変わりました。

 師父は「本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越える時に、試してみてください。耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当にできるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと「柳暗花明又一村」というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません」[1]と説かれました。

 明慧ネットの交流文章も私の向上を大いに助けています。同修たちの文章を読んで私は自分の多くの執着心に気づきました。読んだ文章の中に今でも鮮明に印象に残っているものがあり、同修たちが書いた文章は私を激励して、私の修煉に計り知れないほどの助けを与えてくれました。

 修煉して1年経ってから、私は毎日『轉法輪』を3講学んで、夜、『轉法輪』の暗記も試みました。初期の学法時間を作れない状態から、今は1日『轉法輪』を3講学んで、『轉法輪』を暗記して、明慧ネットを見て、新しいプロジェクトに携わり、大法と自身の修煉に対してもっと責任感を持つ状態になるまで、それは学法をしっかりしてこそ、やり遂げられたと私は確信できます。多く学法するようになってから、私の頭は以前よりすっきりとして、主意識は強くなり心性も高まりました。ほとんどの場合、トラブルが発生するときに私は自分の不足をまず探すことができるようになりました。大法プロジェクトをやるときの効果、真相を伝える効果も以前より良くなったと実感しています。今の私は、大法の基準で自分を測ることを教わったため、もう外に向けて相手の不足を見たり、人と比較したりしなくなりました。

 修煉を形だけにさせてしまわないように私は気を付けています。もし修煉と衆生を救うことを常人の仕事のように扱って、ほかの同修に認めてもらいたくなると、きっと各種の執着心が生じて、やっていることも師を助けて大法を実証する道から外れる危険性があります。

 修煉状態が向上してから、私はたくさん面白いことを経験したので、ここで皆さんと分かち合って励まし合いたいと思います。

 眠気と疲れの虚像を克服する

 早朝に起きて2時間の煉功を終えてから6時に発正念をしっかり続ける同修がいると聞いていますが、とうてい自分にはできないと思っています。幸運なことにほかの大法弟子と一緒に住んでいるおかげで、とても疲れているときに、彼らは少しずつ私を助けて、励ましてくれました。暫くしてから私は毎朝早起きして、五式の功法をやって発正念をしてから、『轉法輪』を1講読めるようになりました。時が経つにつれて、早起きして煉功、発正念、学法を一気に行なうことは生活の「リズム」になり、前日、何時に寝たかに関わらず、翌朝、私は必ず同じ時間に起きて、すべてをやり遂げるよう続けています。

 しかし眠気と疲れる感覚は一切ないというわけではありません。多くの場合は、起きるとき、私の体は痛くて、疲れて、こわばって、正常に歩けなくなります。そのほか、精神面はもっと苦痛で、ベッドに戻ろうとする念は絶えず頭に浮かびます。しっかり学法すると、朝はすんなり起きられますが、ある日言い訳をつけて起きる時間を守らなかったら、その情況はきっと繰り返されて、最後に習慣まで形成します。「三つのこと」の中で煉功も重要なことであり、煉功をしなければ本体を変えることができず、円満成就もできないのです。

 師父は「それでこの大法は修め煉ることを必要とし、修が先で、煉は後である。心性を修めず、ただ動作を煉るだけでは功は伸びないのである。ただ心を修めるだけで大圓満法を煉らなければ、功力は阻まれて、本体も変化できない」[2]と説かれました。

 ある日の朝、起きるときとても疲れて、体がだるくて痛かったのです。発正念をしてから煉功をして、第二功法をするとき、私は突然地面に倒れました。何が起きたのか、自分はどこにいるのか、自分の名前は何というのかも忘れて、唯一覚えているのは、私は煉功をしていることでした。私は地面から起き上がって、もと立っていた位置に戻り第二功法をやり続けました。倒れたときに私は怪我もしていなくて、かえって体はとても軽くなったと感じ、それから「空」のような状態に入って、静かさと和やかさは心いっぱいに充満しました。師父はいつもそばにいらっしゃって弟子を守ってくださっていると私は信じます。だんだん意識が回復して、私は五式の功法をやり、『轉法輪』を1講勉強しました。

 学法を終えたあと、疲れと眠気は再び私を襲ってきて、仕事に行く前に少しで良いから、寝たいと思いましたが、しかしそんな時間はありません。あのとき、体のだるさと眠気は頂点に達して、マイナスの考えが浮かび上がりました――ここ数日私はずっと睡眠不足の状態だった、ちょっとの間だけに寝よう、それは正常な要求だ、だるい顔をして会社に行くととても恥ずかしい、もし少し寝たら私はきっと元気になる……などなど。

 心身両面からの圧力は上昇していますが、やるべき事を引き続き私はやっています。『論語』を暗唱して疲れを緩和させようと試みましたが、効果はありませんでした。発正念を思い付いて、発正念を続けているうちに突然、体の中で爆発が起きたように衝撃波が体内に広がった感じがしました。私の体は瞬間に信じられないほど軽やかに楽になって、頭はスッキリして心はとても落ち着くようになりました。あの朝、私は眠気と疲れの虚像を克服したと思います。その後、私は出勤して、元気で穏やかでした。

 正念についての体得

 ある日の午後、ある大都市で私は大紀元新聞社のために広告主を探していました。天気はとても寒くて、風が強かったのです。一つ目の訪問を終えた後、雨が降り始めましたが、しかし私は傘を持っていませんでした。私は気落ちして心の穏やかさを失い、びしょびしょに濡れた姿で次の顧客を訪問するのも失礼ではないかと数秒間考えた後に、家に帰ろうと思いました。

 しかしそのとき、弱まった意識の中から何故か力が出て、マイナス思考を捨てて発正念をしようと私は思いました。「雨はきっと一つの試練で、私が仕事を放り出すかどうかを試すための試練だ。もし私が仕事を続ければ雨はきっと止む」と自分に言い聞かせました。そのとき、私は既に2軒目の取引先の店の玄関まで着いたので、入って商談を終え、すべては順調でした。私の服が雨に濡れたかどうか店の人たちは誰も気にしていませんでした。

 しかし店を出たら、雨はまだ止んでいなくて、私はいらいらして家に帰りたい願望は先ほどより強くなりました。仕方がなくもう一度発正念をしました。主意識が強くなって私はもう一度穏やかになり、こんなちっぽけな雨で大法弟子が仕事を中止するのかと思いました。

 大法の仕事をすることができて本当に幸運だと思いながら、私は軽やかに雨の中で歩いて、時に発正念をして、時に『轉法輪』を暗唱して、移動距離が長いときには師父の説法の録音を聞きました。午後、雨はずっと降り続き、私のコート、ズボンと靴はずぶ濡れになりました。しかし不思議に取引先の顧客と会うとき、コートもズボンも靴も全部乾いていました。また、雨はこれまで私の顔と手を濡らしたことがなく、髪の毛もほんの少しだけ濡れただけです。2時間半経って、私はすべての取引先の店を回り終わって、集団学法に向かうために列車に乗りました。列車に座ると、1粒の水滴が髪の毛から落ちて、さっきまで雨の中を長時間歩いたことを私に思い出させました。全身をチェックしたら、奇跡的に服(甚だしきに至ってはズボンの一番底の部分も)と靴は全然濡れていないことに気づきました。

 その後、私は集団学法に参加しました。学法する中で私は自分の声、語調と読み方に固執し、ほかの同修より上手に読んでいると思いました。しかしその考えは大法の基準にそぐわないと気づいて内に向けて探したら、一人一人の同修に対して内心から本当の「善」が生じました。また、闘争心や顕示心なども、集団学法の場のエネルギーによって解体されたと感じました。

 集団学法が終わった後に、私は数時間のオンライン交流に参加しました。また、昼間にやり損ねた発正念をやるために、私は夜の発正念の時間を30分延長しました。発正念を重視してから、集中力、学法の態度、大法プロジェクトをやるときの態度もみな改善しました。

 トラブルの中で思想業力を除去する

 同修との間でトラブルが発生した後、私は内に向けて探すのでなく、かえって同修の良いところを見ないで不足ばかりを見ていました。

 師父は「あなたは自分の心を鍛えないで、外を鍛えて、他人の欠点を探しているのでは、どうやって自分を高めるというのですか? 他の人は良くなり、あなたは他人の欠点ばかりを指摘して、他人は修煉して向上しましたが、あなたは相変わらずここにいます。ですからわたしは皆さんに教えます。あらゆるトラブルが起きる時、心がたいへん不愉快と感じる時、ほかでもなく、あなたは自分の内に原因を探すしかありません。原因は間違いなくあなたの内にあります」[3]と説かれました。

 トラブルに出会うときは、それを使って内に向けて探して自分自身を向上させる機会です。しかし根強い観念は私を外へ向けさせ、相手のせいにさせます。仕事や修煉の中で挫折に遭遇したとき、なおさら外に向けて探しがちです。その観念は見たところ正しく見えますが、しかしその根本は利己的なもので、私の無数の執着心はそこから生じたのです。

 その執着心に気づいても、それを除去することができませんでした。それは私の情緒を左右して、私に常人の道理で思考させ、私の固執と欲求を強化しています。毎日努力してそれを除去しようとしましたが、同修との衝突は一向に減っていません。その執着に勝つことができなくて、体調まで悪くなりました。

 ある日、パソコンの前に座った私は、自分の執着心を全部書き出したら除去しやすくなるかもしれないと思って、「もし誰かの言葉や行動が私を傷つけたら、私は彼の言ったことを否定する。彼を信じず、彼の言ったことも聞きたくない。彼の考えはあやふやでいつもトラブルを誘発すると思う。しかし、事実は、そのような人こそ私の欠点を言い当てている」と書きました。書いた後、心の中のしこりが完全に消えて、同修との関係はかえって良くなりました。

 それから、人の話を聞くときに自分の観念を持たなくなり、現状を改善させるために「交流」を深めることもしなくなって、相手の話を聞きながら何か「賢い」返答を思索することも止めました。多くの思想業力が師父によって除去されたため、今の私は落ち着いて相手の言葉を聞くことができ、相手の立場に立って物事を考えることもできるようになりました。私は同修のことを以前より大切にすることができ、同時に、それは自分自身を大切にすることになりました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『大圓満法』「功法の特徴」
 [3] 李洪志師父の経文:『シンガポール法会での説法』

  (2017年ヨーロッパ法会の発表原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/10/4/354864.html)
 
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