法をしっかり学ぶことで、自分を良く修めることができる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年8月31日】中国共産党政権は1999年、大法弟子に対し、気が狂ったかのような迫害を始めました。当時の私たちはこの迫害を一部の人による個人的行動であり、地方の警察や政府はこの迫害に加わっていないと思っていました。そこで、政府への陳情が無駄に終わった後、私は自分自身の修煉体験をもとに、法輪功の無実を証明しようと上京しました。結果、その期間中に私は二度拘禁され、そして、正当な理由もなく、会社を解雇されました。夫も法輪功を修煉しているという理由で、会社から圧力と不公平な扱いを受け、家庭の経済状況は非常に困難に陥ってしまったのです。

 しかし、このような過酷な状況に陥っても私と夫は動揺せず、今世で大法を得たことは、何よりも幸運なことであり、邪悪が経済面で私たちを迫害しようとしても、絶対にその手には乗らないし、動揺もしないとお互いに励まし合いながら歩んできました。

 師父は『二〇〇三年元宵節での説法』で、弟子の「法を正すこの特殊な時期に、経済の影響で仕事を失ったアメリカの弟子がいますが」という質問に対し、次のように説かれました。「これは旧勢力が行っていることです。次のことを永遠に覚えてください。つまり、今日大法弟子に現れた全ての妨害は私が認めていないということです。現れるべきではないことは皆旧勢力の按排であり、旧勢力は皆さんの個人修煉を何よりも重要であると思っています。もちろん、個人の圓満成就は何よりも重要なことであり、自分自身が圓満成就できなければ、何を言っても無駄です」、「旧勢力は時々学習者を妨害しますが、衆生を救い済度することは大変重要なことです! どうしてもこれらの妨害をやっています。それらを認めません! なぜならば、それらの誰もが参与する資格はありません」

 夫は「先に仕事を探さないで、法をたくさん勉強し、心性を高めることを第一にすべきだ。邪悪による迫害は、師父に手伝って衆生を救っている自分たちへの妨害だ」と言いました。会社に勝手に減らされてしまった夫の少ない給料で、私たちは生活しなければなりませんが、その分、私には法を学ぶ時間が増えたのです。ここ数年間、ずっと迫害されていたため、法を学ぶ時間が非常に少なくなっていたのです。私と夫は毎日長時間法を学び、夫が仕事から帰ってきた後、2人で人々を救い済度するために出かけました。基本的に私が口で伝え、夫が隣で発正念をしました。

 法をたくさん学んで、心も気持ちも穏やかになり、人々に会う度に知恵が次から次へと溢れてきて、話している自分も自身の言葉に感動しました。時には常人に伝えている言葉を夫にもう一度話そうと思っても、その通りに言えない場合がありました。まさに「『修は己にありて、功は師にあり』なのですから、あなたにそういう願望があれば充分です。本当にこのことをやってくれるのは師で、あなたにはとてもそういう力はありません」[1]でした。

 法をたくさん学んだので、正念も強くなり、人々を救うことは、自らの圓満成就のためではなく、大法弟子として果たすべき責任と使命だということに基準を置くことができるようになり、人々を救う効果も高まってきました。真相を伝える時、全身が強大なエネルギーに包まれ、空間場は慈悲に満ち、人々も影響されて本当の姿を見せてくれます。多い時は、2時間ほどで20人近くを救うことができました。

 もちろん、夫とのチームワークも非常に重要です。目の前にいる大勢の人々を見て、誰を呼び止めればいいか分からなくなった時、夫が教えてくれます。相手が誰であれ、私は必ずその人の所に向かいます。ほとんどの場合、相手は聞き入れます。夫も私が歩き出すと、すぐ後についてきて発正念をしました。

 真相を伝える時、大法弟子の外見や言動が非常に重要です。私はいつも自分の身なりに気を付けて、服装は清潔感があるものを選び、丁寧な言葉遣いを心がけています。多くの場合、相手に自分が法輪功を修煉していると伝えた時、「年配の方ばかりかと思ってたよ。あなたみたいな若い人もいるんだね」と驚かれます。自分はすでに50歳を超えていますが、法輪功を修煉して若々しく健康な体を手に入れました。法輪功は正法であり、性命双修の功法であると自分の実体験を交えて真相を伝えています。また、大法が世界で広まっていることや、中国共産党がどのようにして大法に罪をなすりつけたのかを伝え、相手に「三退」を勧めます。時間がある時は、他のことにも少し触れるようにしました。

 家に帰ると、今日出会った人の誰がどのような所で引っかかっているのか、自分たちにも同じような疑問があるのではないかなど、毎回の結果を整理しました。例えば、数年前、真相を伝えていた時、共産党に反対しているとよく人々に言われました。当時の私たちも実は結構複雑な気持ちだったのです。政治に関与しないのに、人々に「三退」を勧めていたので、私はいつもその問題を避けて、別の視点から「三退」を勧めました。

 法を学んでいくにつれてだんだんと悟りました。「大法弟子は常人の政治に参与しておらず、私たちは政権に興味がなく、修煉している人々なのです。しかし、迫害をする者は法輪功を迫害するため、『真善忍』を修煉する善良な人々を迫害するため、人類の道徳を壊滅させることも惜しまず、虚言や悪、暴力、色情など人類社会の最も悪いものを宣伝し、法輪功に対抗しようとしています。つまり、私たちは政治に興味がなく、人間の手中にある権力も欲さず、修煉できる環境、大法を信仰する自由だけを求めており、これで十分ですが、迫害をする者も完全に理性を失って迫害しているのではなく、これらの人たちが良い人になりたいとはっきりと分かっているのです。中共邪党の政権は人に良い人になってほしくありません。政権を樹立したその日から、ならず者が立ち上げた政権で、その後もずっと虚言、偽りをもって民衆を騙し、暴力で独裁を推し進め、このように作り上げた政権です。ずっと偽りと暴力による弾圧で政権を維持しており、ほとんどの宣伝と弾圧はうそ偽りなのです。その業績、宣伝した英雄人物、批判した悪人、宣伝した敵対勢力、立てた英雄人物、体裁の良い外見はいずれもうそ偽りなのです。世の人々、特に中国人はますますその本当の有様を認識できるようになりました」[2]と師父は説かれました。

 この点を理解してからは、共産党に反対しているなどと言われたことは一度もありませんでした。

 経済面において余裕がないため、私たち夫婦はこの方面で常に気を付けています。例えば、同修に助けを求められた時、お礼にごちそうを作ってくれますが、私たちは一度もその場に留まったことはありませんし、食べようともしません。同修間の助け合いは当たり前のことで、同修に迷惑をかけてはいけません。

 例えそれがごく一般的な食事でも、私たちがいることで、それが「ごく一般的」ではなくなり、どうしても相手に気を遣わせてしまうのです。それに、修煉者は数日間、食事をとらなくても全く問題なく、迫害を受けている時、絶食させられるなどよくあることです。同修の大切な時間を浪費することはできません。

 また、自分が何かを必要としている時、ちょうど同修がそれを余分に持っていて、私にくれようとしますが、決してもらったりしません。相手がどうしてもくれるというのなら、その分のお金を払います。基本的に何か必要なものがあれば自分たちで買います。

 修煉者は常に自分を厳しく律し、徳を守らなければなりません。また、欲望という問題も存在しているのです。「だんだんとちょっとした記念品を受け取るようになり、そのうち大きな物までもらうようになり、しまいにはくれるものが少ないと承知しなくなります。最後にはとうとう『物をたくさんもらっても仕方がないから、金をくれ!』と言い出し、その上、金が少なければ機嫌が悪くなります」[1]と師父は説かれました。

 資料拠点が資金を必要としているとき、私たち夫婦は出し惜しみしませんが、普段の生活においては非常に節約しています。食べる野菜も季節に合わせて分量のある野菜か根菜類しか買いません。お腹を満たすだけでいいのです。

 日が経つにつれて、私たちはふとあることに気づきました。真相を伝え終えて、帰り道に市場を通るのですが、ほぼ毎回タイムセールや値引きしているお店に出くわします。値引きしている野菜も皆良いものばかりで、いつも安い値段で良い野菜が手に入るのです。わざわざ他の安いお店に行かなくても、帰宅途中、非常にお手頃で良い野菜が買えました。

 少し前、夫が定年退職しましたが、会社の方で手続きをしてくれたのです(ほとんどの会社では自分で手続きします)。これで私たち夫婦は一緒に法を勉強し、真相を伝えて人々を救う時間がさらに増えました。

 すべて師父が私たちを励ますために按排してくださったのです。師父の教えを聞き、執着心を放下し、自分自身を厳しく律して、修煉の道から外れなければ、師父は何でもして下さいます。心を放下し、大法弟子としてやるべきことをやれば、師父は何でもしてくださいます。ただ師父の教えに従うだけで良いのです。

 弟子の次元を高めるために、師父は様々なことに気を配り、工夫をしてくださいます。ただ私たち弟子は時に人心が重く、師父のご苦労に気づかないだけなのです。私たち夫婦の周りには年配の同修が結構います。皆試練やトラブルに遭い、それを乗り越えられない時は、法理をはっきりと理解していると評判の私たち夫婦と交流します。その時、自分自身でも法理をはっきりと認識していると思っていました。

 しかし、ある日、『時間との対話』という経文を勉強していた時、「これらの問題はすでに非常に深刻になっていますが、彼らが相手のどうこうを見るときの目で、逆に自らを見ることができれば、と思います」という説法を読んで驚きました。私は法理に明白ではなく、同修と同じような執着や不足があるのです。私も同修も次元を高めなければいけないのです。多くの同修を「助けた」ことがあったので、自分でも時々密かに自慢していました。しかし、本当は私も同修たちと同じような執着と漏れがあり、ただ同修のように分かりやすく表に出していないだけでした。同修と共に精進するために、毎回、師父が按排してくださったことなのに、愚かな私はいつも外に押し出してしまっていました。

 法を多く学べば、全て法の中にあります。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2017/8/1/349717.html)
 
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