文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年6月12日】私の1日はほぼ自由に使える時間が限られており、いつも忙しい状態にあります。自分の自由に使える時間がないため、雑多なことに縛り付けられ、身動きが取れません。毎日三つのことを完璧にこなせないため、精神的に大きな負担をもたらしました。「大法弟子として最低限の基準にも達していない自分は、円満成就ができなければ、たとえ世人を救えても無駄ではないか」と常に思っていました。この観念から生じた苦痛は大きく、絶望の中で自暴自棄な行動を取ることもしばしばありました。理性が働いているときは、大法弟子としての責任の回避をしませんでした。しかし、真相を伝えることと農作業をこなすことのバランスが取れないため、いつも思う通りにいかず、修煉の状態は不安定でした。学法に身が入らず、それゆえに心性を守ることも困難になり、甚だしきに至っては常人のテレビに耽溺(たんでき・よくない事に夢中になって、それ以外の事を顧みないこと)する時期もありました。悔いながらも前非(ぜんぴ・ 以前に犯した過ち)を悔い改めようと決心する月日を空しく過ごしました。悔やめば悔やむほど、良くない雑念が頭に顕れてきました。そんな時に、師父の教えを思い出しました。それは「人間も生まれた時は、宇宙と同じ特性を持っています」「1」という教えです。あの良くない一念は自分ではないのだと考えるようになり、それを克服することが出来ました。
そこで外へ出かけて、真相を伝えに行く時間がなければ、自分の周りから着手すればいいと考えはじめました。私の周りにいる人々はまだ救われていない人達がいます。私はレコーダーと真相資料を背負って、レコーダーで師父の説法を流す時もあれば、『共産主義の終極の目的』を流す時もあります。時には『伝統文化』を流たり、神韻交響楽団の曲を流す時もあります。完全に聞き入れることが出来なくても、何も知らず、何も聞かないよりは益しだと思いました。ある日、隣の畑の人と世間話をしていたら、その隣人に今日はどうして録音を流さないのかと言われました。音声を流すと、その場にいた人達はしゃべることをやめ、静かに録音を聴きはじめ、迫害の真相資料を求める人もいました。
家にいる時、夫に師父が仰っていた「伝統に戻れば路(みち)は天に通じる」 [2]のお言葉や昔話や、中国共産党が伝統を破壊する手段や目的、大法の教えに基づいた人間としてあるべき姿や行いなどを教えました。そのため、彼は利益を目の前にしても利害関係で争わなくなりました。私たち家族に悪事を働いた者に対しも責任を追及しなくなりました。常に他人のことを考慮しながら行動を取っています。彼と彼の家族も含めて、私が大法修煉を始めてから他の人と比べ、大いに違うと感じるそうです。彼自身も良い方向に向かっています。初め大法修煉や真相を伝えることに反対していた彼は、現在では私の修煉や真相伝えに協力してくれるまでに変わりました。人は神が創り上げたのであり、進化してきた哺乳類ではないことも彼は知るようになり、中国共産党の邪悪な本質も分かるようになりました。
人一倍に争うことが得意な姑は、やはり負けず嫌いな嫁を好みます。姑は争うことが一種の才能だと思い込み、私のことは全く気に入らない嫁でした。しかし、たくさんのことの積み重ねで、私のことを観察していた姑は、ある日私に「あなたはいい人ね、将来きっと報わられるわ」と言ってくれました。またある晩、姑が家で夕食を取りながら、新唐人テレビを見ていました。すると彼女は「彼達(番組の司会者のこと)は貧しい人に見えないし、言っていることも正しいし⋯」と呟き、「『法輪大法は素晴らしい、師父は素晴らしい』と念じればいいのか?」と私に聞きました。「『真・善・忍は素晴らしい』も一緒に念じてください」と教えると、彼女は素直に頷きました。
師父が言われた内に向けて探す法理に従って実行する過程で、私が今まで政府の高官や警官などに取った態度が間違いであることに気づきました。彼らにも大法の素晴らしさを伝えましたが、衆生を救い済度の基点から善意をもって行っていませんでした。敵対する競争心で対処し、それはまさに中国共産党文化の顕れの最たるものでした。その結果として、自分自身と家庭が損失を被り、周囲の衆生にもマイナスの影響を及ぼしました。迫害に参与した者にも罪を犯させ、私はとても悔やみました。心の底から、その人達に詫びなければと痛恨の念が生じました。私がよく修めていないために、その人達は救われなかったのです。もし、いつか再会できる機会があれば、必ず私が取った悪い態度を「ごめんなさい」と詫びて、善意をもって真相を伝えたいと思いました。私の家族を傷つけた人達や、利益を奪い、大法弟子のことを密告した人達に対する恨む心も改めました。取って代わって、その人達にどうすれば人としての道徳観念を植え付けることが出来るのか、その人達のことを憐憫(れんびん・ふびんに思うこと。あわれみの気持ち)に思い、その将来を憂える気持ちが芽生えました。
ある晩、畑から家に戻り、外はもう真っ暗でした。戸締りをするとすぐにドアを叩く音が聞こえました。政府の役人か警察官が来たと思い、真相を伝えなきゃと思いながらドアを開けました。すると、一つの黒い影が目の前に立っており、自分は菓子売りだと言いました。そしてその人が私に近づき、耳元で「この間、あなたにもらったモノをもっと欲しい、人にあげたいから」。直ちにそれが何か分かり、彼女に「私は今、持っていません」と答えました。彼女は私が躊躇していることを見抜き、当時、私が彼女に真相資料を渡した様子を順を追って話しました。話が全部合っていましたので、真相資料を出してきて渡しました。その女性はたった一人で、遥々(はるばる)と真相資料を求めてここまで来ました。私はこの件で多くのことを考えさせられ、大いに感激しました。まだ自分が円満するか否かについて悩む理由がどこにあるでしょうか? 結果を問わず、私はただ全力を尽くして、法の中に立ち返り、力を尽くして真相を伝えることに専念するしかないと強く思いました。
絶え間なく私を法の中に立ち返らせ、悟らせてくださった師父に感謝を申し上げます!! 師父が縁のある人達を私の所に連れて来られ、私に希望を見出させ、絶望の淵から救ってくださいました。師父の法を正す広大な佛恩に包まれ、すべての事に壮大な変化が起きていることを感じ取りました! 師父、ありがとうございます!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の経文:『造り直す』