ティーパーティの開催を通じて神韻を広める
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2018年6月24日】今年は神韻の台湾公演12年目になり、同修は私たちの地域でティーパーティを開催しませんかと言い出しました。昨年の神韻公演前も同修はそれを提案しましたが、当時の私には担う勇気がありませんでした。なぜなら私たちの地域には同修は7人しかおらず、その中の2人は年配の同 修で、本当に参加できるのは5人くらいなのです。ティーパーティを開催しようと呼びかけたら、同修からいくつかの質問がありました。(一)、わずか数人の私たちでティーパーティが開催できるだろうか? (二)、私たちには人脈もないのに主流に広められるだろうか? (三)、神韻の中身を説明するレッスンも受けていない。(四)、朝は仕事で神韻を広めることができないので夜にするしかないが、夜の時間も限られている。

 同修がこれらの質問を出した時、私は説明も否定もしませんでした。それは怖がる心と人の考えで、また次元の理解や認識も人それぞれだと分かっているからです。どうすれば皆に分かってもらい一緒に行動できるでしょうか? その時、私は師父の言葉を思い出しました。「法のことにしても、神韻のことにしても、大法のほかのこともそうですが、少数の人が行なえば良いのではありません。もしこの地区に一人しかいなければ、神はあなたを手伝ってそれを成功させます。もしこの地区にほかの人がいるのに何もしなければ、神は決して許しません。ですから、必ず多くの人を動員して行なうようにすべきです。責任者は協調人で、学習者をうまく協調し動員し、皆が参加するようにすることができれば、これこそ責任者です。責任者だから自ら行なうべきだと言う人がいますが、あなたはこの仕事を行なう責任者ではありません。こういう概念ではありません。私はずっとこのように話していますが、つまり責任者に所在地区の学習者をしっかり導くようにと要求しています。彼らが問題を起こすことを恐れないでください。最初は経験がないかもしれませんが、時間が経つと、ノウハウを知るようになります。大事なのはいつも一緒に法を勉強し、彼らに責任の重大さを認識させることです。このようにすれば、徐々に良く行なえるようになります」[1]

 当地の同修が今の神韻の広め方やティーパーティの状況についてよく知らないため、たくさんの疑問や考えがあったのです。今年台南地域で同修と同修の家族についてのティーパーティが2回開催されたため、私は当地の同修たちに参加を勧めました。朝煉功した後、皆ティーパーティについて楽しそうに話をしていて、「私たちもティーパーティを開催しよう!」という声もありました。ちょうど宣伝チームも私たちの地域でティーパーティを開催してほしいと連絡があり、皆でティーパーティを開催し神韻を広めようと決めました。

 ティーパーティを開催するにはまず場所が必要でした。場所を借りる前、数人の経験のある同修が私たちと共に学法し、その後私に注意事項などを教えてくれました。最初私は当地最も神韻の高いレベルに相応しい二つのレストランを見つけましたが、どれも借りることができませんでした。その後皆と相談した時、以前あるレストランに神韻のポスターを貼ったことを思い出し、条件に合うので聞いてみようと決めました。そのレストランに行き要件を話したら、15テーブルで100人入る部屋を勧められ、見ると私たちの要求にピッタリでした。しかし借りられるかどうかは社長に相談する必要がありました。夜同修たちと交流したところ、これは社長に真相を語る機会だと認識しました。師父のお教えのとおり、道はもうそこにあり、私たちはやるだけでよいのです。

 翌日社長に会い話をすると、社長は2011年の獅子会の会長だったとわかりました。社長は神韻の説明を聞いたこともありよく分かっていた上に、私たちがPRのボランティアだと知り喜んで貸してくれました。すべてが師父のご加持だと感じ、私にもっと自信が湧いてきました。

 場所が決まったので次は来客の招待でした。まずはみんなで時間を調整し、訪問する際は一緒に行きました。最初に訪れる時、オートバイに乗って3~4人の同修と案内の同修について行ったら、なぜか私の家の近くに止まりました。訪問したのはあまり目立たない住民で、中では十数人の村民がお茶を飲んでいて、まるで私たちが神韻を紹介しに来るのを待っているようでした。1人の村民が「あなたたちはみんな法輪功の修煉者なのか?」と聞くので一斉に「はい」と答え、「今日の訪問はこの近くで神韻芸術団を紹介するティーパーティを開催するので、皆さんにご参加をお願いします」と、開催する目的と意味につい同修は簡単に説明し、招待しました。最後に5人の参加が決まりました。同修は外に出た後私に「中の村民たちは、服はあまり立派に見えないけれど、みんなお金持ちよ!」と言いました。この訪問を通じて私は自分の外見にとらわれるところと、人を見下す心を発覚しました。

 またある時、同修と知り合いを訪ねたところ、相手は招待状に書いている講師が自分の昔の先生だったので、絶対行くと言い参加しに来ました。この過程でも本当に師父はすべてを手配し、私たちが人の心を放下しやりに行くだけを待っていると実感しました。

 このティーパーティは場所を借りるところからすべて同修たちが協力して完成したのです。やり方すら分からないところから始め、最後は怖がる心を突破し、一つの全体を成しました。その中で同修たちの無私の心を感じました。まさに師父がおっしゃった通り「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」[2]でした。

 そしてその過程で私は人それぞれの特長などは違っても、協力することはとても大事だと分かりました。また自分の他人を羨ましがる心、劣等感を感じる心と隠された嫉妬心を見つけました。同修がよくやったら喜ぶのではなく、自分が能力不足だと思い、能力のある同修にやらせました。説法の「『君は労働模範だから優秀だ。君のような人は、朝早くから夜遅くまで働くべきなので、この仕事は全部君に任せたよ。君は良くできて、俺たちはどうせ駄目だから』と、あてこすりをされますので、良い人になるのも辛いものです」と比べたら、このような考えはまさしく嫉妬心でした。それに気づき私は自分を正そうとしました。皆と共によくする気持ちで、同修の能力を見て素直に喜び、お互い勉強しなければなりません。なぜなら私たちは一つの集団です。

 ティーパーティの開催の当日、師父のご加護と皆の協力の中で、その場は慈悲に満たされました。衆生は寒い中でも参加に来て、出席率は9割に達しました。これはすべて同修たちが衆生に真相を知らせ、人を救う中での真心と善念の現れのためです。

 「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」[3]。師父は私たちが良くやれると信じておられるので、私も自分たちは良くやれると信じます。

 以上は修煉の心得でした。不適切なところがありましたら、慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/6/9/368603.html)
 
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