遼寧海城市の潘玉君さん 不当な裁判にかけられる
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 【明慧日本2018年6月25日】遼寧省海城市の法輪功学習者・潘玉君さんは、2017年に6月14日、法輪功迫害の真相を生徒に伝えたため、法輪功に誤解を持った人に通報され、海城市鉄西鋼鉄派出所の警官に不当に連行された。現在、潘さんは鞍山女子留置場に拘禁されている。

 2018年4月16日、海城市裁判所は潘さんに対して不当な裁判を行った。今回だけではなく、潘さんはかつて何度も迫害されたことがある。

 1999年7.20、中国共産党の法輪功への迫害が始まった。1999年10月15日、潘さんは北京へ陳情に行った時、北京の天安門の警官らにより身柄を拘束された。その後、現地に戻されて海城留置場に拘禁され、37日後に潘さんは帰宅した。

 1999年12月26日、潘さんは再び北京へ陳情に行ったため、海城八里派出所の警官らに連れ戻された後、12時間連続して暴力を振るわれ気絶した。さらに労働教養3年を強いられた。家族は1万2000元ものお金をやっと工面して関係者らに使い、15日後に潘さんは解放された。


拷問の実演:スタンガンで電気ショックを与える

 2000年の秋、潘さんは法輪功の資料を配布した時、私服警官とは知らず配ったため直ちに連行され、海城市留置場に拘禁された。

 留置場で、潘さんは写真の撮影に協力しないため、重さ19キロの足かせを付けられた。翌日、警官らはスタンガンで潘さんの頭、口の中など数箇所に電気ショックを与えた。潘さんの頭は焦げて腫れあがり、口には水ぶくれがいっぱいできた。痛々しい潘さんの様子に耐えきれず、家族は無理してなんとか工面した多額の金銭を関係者に使い、37日後に潘さんはやっとのことで帰宅した。

 2000年11月24日、潘さんは再度北京へ陳情に行き連行された後、再度地元に戻され、海城留置場に拘禁され、37日後に解放された。

 2001年3月の朝、潘さんは法輪功の資料を配布したため、北関派出所に連行された。夜10時過ぎ、潘さんの夫はやっと潘さんを自宅に迎えた。

 2001年の夏、潘さんは朝市でDVDを配布した時、迫害の真相が分からない人に通報され、北関派出所まで連行され、当日解放された。

 2001年10月、潘さんは「法輪大法は素晴らしい」を貼り付けたため、また人に通報され、海城留置場に拘留され、15日後に潘さんは帰宅した。

 2002年4月18日、潘さんは営口市に在住の法輪功学習者を訪問した際、連行され、海城留置場に11カ月間拘禁された後、懲役8年の実刑判決を宣告された。

 2003年3月13日、潘さんは遼寧女子刑務所に移送された。法輪功を放棄しないため、潘さんは毎日殴られ、スタンガンで電気ショックを与えられた。迫害により、潘さんの鼻と口から血が流れ出て、3日間も止まらず、潘さんは意識を失った。

 刑務所でひどい迫害を受けた潘さんは、骨と皮ばかりに痩せこけた。面会に行った潘さんの夫と弟は、潘さんのこんな姿を見て、「もしかしたら、あなたのお母さんは生きて帰られないかも知れない」と潘さんの息子に話した。そして、家族はまたお金を使って減刑させ、2009年4月18日、潘さんは帰宅した。

 2011年3月1日、潘さんは法輪功の資料を運んだ時、連行されて、懲役5年の実刑判決を宣告された。そして、2014年11月に解放された。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/5/31/368246.html)
 
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