法が頭に入るかどうかは 法をどれだけ重視するかで決まる
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2018年8月6日】2006年、私は病気治療のために大法修煉を始めました。その後、様々な病気は全部治癒しました。

 最初の頃、ある女性の方から1冊の『轉法輪』をいただきました。当時、その人も修煉してまだ1、2年しか経っておらず、それに『轉法輪』以外の各地での説法も習っておらず、真相を伝えて人を救うこともしていませんでした。私も同様に師父の各地での説法を読んでおらず、集団学法が師父の要求だとも知らないし、精進している古い同修との交流もないため、自分がどのように精進したらいいのか分かりませんでした。当時は、いつも仕事や家事で忙しく、法を学ぶ時間を捻出することが出来ていませんでした。

 その後、「毎日掃除や洗濯をしてから法を学ぶことは、本末転倒ではないか。法を学ぶことを最優先にしなければならない。法を学んでから家事や日常生活のことをしよう。法を学ぶ時間を確保しなければならない! 家事はやれる時にやればいい」と私は考えるようになりました。こうして、優先順位を正しくする事により、心を静めて法を学ぶことが出来るようになりました。そして、法理も次第に顕れ、理解力も高まり、法を学ぶ量も多くなっていきました。

 それから、私はいつも夜の9時半になると、「もうそろそろ寝なければ明日の仕事に差し支えるのではないか」と自己暗示していることに気づきました。これはよくない考え方だと思い、「常人のように食べる時に食べ、寝たい時に寝て、夜更かしをしたくない、苦労をしたくない、自分を修めたくない、それは常人と同じではないか? と思い、このようにしていると、いつになったら古い同修達に追いつくことが出来、いつになったら遅れを取り戻す事が出来るだろうか? 師父の法を正す進展について行けるだろうか?」と思うようになりました。そこで私は法を学ぶ時間を夜中まで延長し、眠たくなれば心の中で「私は寝ない! もう少し学びたい! 睡魔は私を妨害するな!」との一念を発しました。これはとても有効な方法でした。そうすることによって私は本当に元気になり、法もどんどん頭の中に入ってきました。

 私は学校で勤務しています。午前中に4時間の授業がある場合、昼食の時間は発正念の時間と重なってしまいます。それで私は昼食は注文せず、いつも発正念をしてから、ビスケットなどで済ませました。こうする事によって、法をしっかり学ぶ事ができました。

 集団学法が常人の用事と重なった場合、私はできるだけうまく処理するようにし、できるだけ集団学法に遅れないようにし、法を学ぶことを最優先にしました。その後、常人の用事が集団学法と重なることもなくなりました。

 心を静めて法を学ぶ事ができれば、法の内涵を体得する事ができ、幾重にも重なる法理も脳裏に浮かび、関門と試練に遭った時、師父の説法を思い出す事が出来るようになりました。そして、法に基づいて行動することが出来ました。そのため、毎回順調に関門を突破することが出来ました。

 法を学ぶことは神業(かみわざ・神にしかできないような素晴らしい技)です。法を学ぶ時、法を得られるかどうかは自分の悟性次第です。常人のことを済ませてから暇な時間に学ぶのではなく、高い次元から法を学ぶことを最優先にしなければなりません。厳粛に、そして、慎み敬う心を持って法を学んでこそ、初めて法を得ることができるのだと私は悟りました!!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/15/371008.html)
 
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