「流れに逆らって進む」法理を悟る
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年12月31日】私は1998年に法輪大法の修煉を始めた弟子で、今年68才です。20年の艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越え、師父に従い、今日まで来ました。師父に感謝し、大法に感謝します。師父の慈悲と偉大さ、大法の広さと奥深さは、称揚しきれず、話しきれません。最近の法理の悟りの向上に関しての2点のみを述べ、同修と励まし合って頑張りたいと思います。

 一、 観念を変えて、法を暗唱する

 この数年間ずっと『轉法輪』を暗唱したかったのですが、続けることができず、毎回18ページまで来たら、止まってしまいます。今年師父の新経文の『二〇一八年ワシントンDCでの説法』で、師父は「正しく行なわなかったら、すなわち負の教訓になります」[1]と説かれました。師父は私のためにたくさんの悪い物を取り除いてくださり、私が上の階段に上がるように助けてくださいました。特に師父が説かれた「流れに逆らって進んでいます!」[1] に対して、私は、旧勢力の妨害に立ち向かい、共産党の邪靈のプレッシャーに立ち向かい、自分の旧い観念に立ち向かい、「流れに逆らって進む」べきだと分かりました。通読と法を暗唱することとの感覚はだいぶ異なっていて、法を暗唱するために、もっと心を込め、専念すべきです。「流れに逆らって進む」というのは師父の私への啓示でした!

 私はまた一つの夢を見ました、「玉」という文字の真ん中に横棒が1本足りないのが見え、私は「玉」という文字の点をとても大きく塗りつぶしていました。私は、これは師父が私に、横棒が1本足りなければ王になれず、横棒が1本足りなくては玉になれず、根性がなければ、何も修めることができないと教えてくださっていると悟りました。その「玉」という文字の点は人心で、心は玉のように清らかであるべきだと意味していますが、私はそれを大きく塗りつぶしてしまいました。人心が煩雑で、人心が乱れると心を澄ませて法を暗唱できるでしょうか? 私は心を固めて、絶対法を暗唱します。旧勢力は、私が暗唱できないようにさせるのですが、私は流れに逆らって進み、必ず暗唱します! あなたは、私が少しでも横になるようにさせようとしますが、私は流れに逆らって進み、横にならず、法を暗唱します! あなたは、私に心を澄ませないようにさせようとしますが、私は流れに逆らって進み、正念を発し、全ての妨害を取り除き、心を澄ませ、法を暗唱します! 一句ずつ暗唱し、一句一句ごとの法理を理解できればよいのです。その時に法理が理解できたら、覚えることができ、続いて暗唱します。6ページの「世間法修煉の過程において、人間の身体は絶えず浄化され、絶えず浄化されていき、世間法の最高形式に達しますと、身体は完全に高エネルギー物質に取って代わられます。その先の出世間法の修煉は本質的に佛体の修煉になります」[2] まで暗唱して、私は突然ぱっと悟りました。私はもはや常人ではなく、私はもはや三界内の命ではなく、私は神であり、私は既に世間法修煉に入っていました。それは心から嬉しい感覚で、歩く時も座禅する時も、また三つのことをする時も、内から外までに漂う穏やかで嬉しい感覚でした。「修は己にありて、功は師にあり」[2] 。現在、私は朝6時10分に正念を発した後、続いて座禅して法を暗唱します。心を澄ませ、真剣に暗唱します。スピードを求めず、法理を必ず理解できるようにしています。法に溶け込んだ感覚は、とても素晴らしくて特別に神聖でした。

 二、数十年に形成された意地を変える

 私は数十年、党文化の争う哲学の影響を受け、死んでも屈服せず、自分の考えを貫き、忠告に従わないのです。同修の間でもだれかの話が重かったら、私は聞きたがりませんでした。特に夫や息子に対して、話す態度が硬く、よく口喧嘩が発生します。まさに師父が、「大法弟子は間違いがあったとき、人に指摘されたくないということです。誰からも指摘されてはならず、言われたらすぐに怒ってしまいます。自分が正しいときに、人から意見を言われたくないし、間違ったときも、人から指摘されたくないのです。言われると、すぐ機嫌が悪くなってしまいます。この問題はすでに、かなり深刻になっています」[3] と説かれた通りです。ご飯を作る時、夫が私を責めたら、私は必ず言い返し、心の中では、「次からはもう作らない、あなたが良くできるんだったら、あなたがやってよ!」と思ってしまいます。息子が私の気に入らなかったら、私はかれに向かって叫んでしまいます。このような頑固な自我、このような意地っ張りは党文化の争う哲学からきたもので、必ず取り除くべきです。師父は「皆さんは人間の状態を変えようとせず、理性からも大法を真に認識するまで昇華しようとしなければ、機会を失うことになります。皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄までしみ込むように形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取り除くことはできず、圓満成就できません」[4] と説かれました。この頑固な自己中心の観念wo、根っこから取り除かなければ、歓喜心、嫉妬心を取り除くのも難しいのです。

 修煉は自分の心を修めるべきです。あなたは私を誤解したと、昔私は弁解しましたが、今は流れに逆らって進み、私は何も弁解せず平然としています。人の理では、自分の好きでない言葉を聴いた時に反撃しますが、現在私は流れに逆らって進み、反撃せず、平穏にしています。人の理は、不公平に遭ったら、怒ってしまいますが、私はまた流れに逆らって進み、怒りません。一歩引き下がったら、本当に世界が広々と開けたと感じました。数十年間で形成された意地を張る性格は、「真・善・忍」に合わないのです。師父は私たちを済度するために気遣いを盡してくださっておられます。私は胸に手を当てて自問してみます。「あなたは『真・善・忍』ができなければ、師父の弟子になる資格がありますか?」

 共産党は「真・善・忍」に反対していますが、私は流れに逆らって進み、「真・善・忍」に従い、良い人になり、修煉者らしく、善の心と慈悲心を修めたいのです。師父は「大法弟子としての善がなければ修煉者ではなくなり」[5] と説かれました。今、私が家事をする時、夫が私を責めたら、私は「私の間違いで、直します」と言います。数十年来はじめて、穏やかな口調で話し、はじめて自分の誤りを認めました。私が内に向かって修め、内に向かって探すと、相手の態度も変わりました、全ては私のこの心に向かって来たものです。

 よく考えて見ると、大法弟子の家族も容易ではありません、修煉者は師父と先史での誓約があり、私たちの円満の目標のために、苦労をし、心を修めます。しかし、家族である常人は、各方面からの圧力を抱えながら、今日まできたのは容易ではありません。私は全ての大法弟子の家族にお礼を申し上げます、ありがとうございます。今後、私は法をたくさん学び、もっと多くの法を暗唱し、法理をはっきり悟り、慈悲の心で他の人を包容し、三つのことをしっかり行ない、勇猛邁進し、師に従って帰ります。

 合掌して、師父に感謝致します。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDCでの説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の経文:『ロサンゼルス市法会での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『精神要旨』「警告の言葉」
 [5] 李洪志師父の著作:『精神要旨(二)』「大法の威厳についてのコメント」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/5/376699.html)
 
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