根本から修煉上の過ちを認識しなければ極めて危険
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年10月3日】2017年末、私の地区の同修・甲さんは旧勢力によって病業の形で乳腺癌の症状の仮相が現れてから2年余りで亡くなりました。

 甲さんの病業の期間中、現地の同修は甲さんと一緒に学法や交流をして、発正念をしましたが、症状は一向に好転しませんでした。ある同修は甲さんの病巣の部位に向けて発正念をして取り除こうとした時、彼女の胸の内部は良くなりましたが、ただ皮膚の表面にある指先ほどの大きさの腫瘍が体と繋がっていて、どうしても取り除けないことに気づきました。同修たちは「さらに内に向けて探してみてください。まだ放下できていない執着があるのではないですか。刑務所に拘禁されていた時に、法と一致しない事をしたのではないですか。特に刑務所から帰った後、どうして現地の610弁公室が開設した洗脳班の中で、転向の手伝いを始めたのですか。しっかりと自分自身を探した方が良いのではないですか」と甲さんに提案しました。

 しかし、当事者の甲さんは「同修たちが自分の過去を掴んで放さないのです。自分はすでに厳正な声明を書きました。その上、自分は転向の手伝いを務めた時、『真・善・忍』の理念で同修を転向させたのだから、間違ってはいません」と同修の提案を受け入れませんでした。

 甲さんと親しい一部の同修たちも、甲さんの過去を掴んで放そうとしない邪悪のやり方は、適切ではないと思っていました。その中で、ある同修は甲さんの乳腺癌の仮相は、私達のエネルギー場が正しくないことが原因だと、師父が悟らせて下さったのであって、私達の地区に問題があり、甲さん個人の問題ではないと認識して(その後、同修の話した内容と書かれた交流文章の中にも、言及されている地区は私達の地区だと分かり、甲さんが内に向けて探すことに反対した数人の同修は、この中に含まれない)、プラスの面で彼女をサポートすることしかできなくなり、甲さんと一緒に多く学法をしました。そして内に向けて探すことや心性の交流を要求せずに、転向を手伝った時の誤りと執着を追及しないようにしました。そうしなければ、旧勢力の按排した道に入ってしまい、敢えて言えば、甲さんに内に向けて探すようにと勧めた同修は旧勢力だと認識しているのです。その同修はすでに厳正な声明を発表したので、それ以上言うべきではないと思っていました。そのため、甲さんは亡くなるまで、刑務所で転向を手伝うことのどこが間違っていたかを認識することができませんでした。

 甲さんはいわゆる「真・善・忍」の理念で同修を転向させたことについて、どこが間違っていたのかわかりませんでした。これが根本的な問題です。刑務所と労働教養所、および洗脳班で使われているのは「法を以て法を破壊する」という邪悪理論で同修を転向させ、法を破壊する同修を迫害する方法です。このような邪悪な転向方式を認めるなら、その同修の思想観念は邪悪側の立場に立っており、師父と大法の立場に立っていません。この同修はすでに厳正な声明を発表し、大法の中に戻り、大法弟子のプロジェクトを行なっているとはいえ、やはり正しい大法弟子だとは言えず、この生命はまだ旧勢力の支配を受けることになります。

 師父は一人の衆生をも見捨てられたくないのです。しかし、旧勢力は簡単に手放すでしょうか? あなたが大法弟子の基準に達すれば、旧勢力はあなたを迫害しようとしないのですが、あなたが大法弟子のプロジェクトに参加したからと言って、生命の保険に入ったわけではありません。根本的な執着を放下できず、根源的な過ちを認識できないまま、旧勢力に隙に乗じられているなら、師父も助けることはできません。

 ここで、私は以下の浅い悟りを書いて同修の皆さんと交流したいと思います。自分の思想と観念を整理して、同時に似たような状況にいる同修が気づいて、お役に立てれば幸いです。

 一、邪悟し転向を手伝い、「三書」と「五書」を書いた後に大法に戻った同修は、根本的に自分の過ちを認識したかどうか?

 往々にして、中で何かを書いて転向した同修が出所すると、周りの同修は焦って、急いで「転向は間違いです。早く厳正に声明を書いて、大法の中に帰って来て下さい」と彼らに教えます。一部の人は恐らく自分のどこが間違ったのかを本当に悟らず、閉じ込められた時に法理がはっきりと分からなかったため、人心が出て来ると、転向を手伝う人達の話には一理があると感じました。特に、転向を手伝う人が昔の同修だった場合は、よく「師父は何々と言われた」と、師父の法から一部を引用して話すので、同修はますます判断できなくなり、ついに転向してしまい、出所した後も、あまり法を勉強せず、転向したことは間違っていたと分かっても、どこが間違ったのかわかません。また、ほかの同修から、転向は間違いだ、厳正に声明を書くべきだといわれ、同修本人も書くべきだと感じましたが、書いた後も間違いが分からないまま、心を静めてしばらく学法に専念せずに、急いで法を正す進展を追い駆け、迫害を受ける期間の損失を補うため慌ただしく衆生を救うプロジェクトに参加するのです。

 同修は所内にいた時に、自分を転向させた根本的な原因は何なのか、どんな執着心に駆られ邪悪な嘘を信じるようになったのか、考える時間もなく、それを掘り起こそうともしませんでした。更に自分が書いた〇〇書は、師と法を罵り、根本的に師と法を裏切るものであることに気づいていません。大法の中であれほど多く受益したのに、閉じ込められると師父と大法に対する正念を失いました。転向したという厳重な過ちを自覚できなければ、どうやって真に改めることができるでしょうか? どうやって純粋で真の大法弟子になれるでしょうか?

 一部の同修は刑務所内での圧力に耐えられず、本心とは異なり〇〇書を書いてしまいました。しかし、心の中ではずっと転向は間違いだとわかりましたが、やはり旧勢力の道を歩んでしまいました。このような同修は出所したあと、速やかに学法をして、法を正す大きな流れの中に溶け込むことができます。しかし、一部は恐れる心が原因で長期的に正しく認識できず、表に出てくることができません。一部は自分の見せかけの転向によって、同修の肉体を迫害から知恵で守ることができて、よくできたと思っていました。実は、これは党文化の中の変異したずるい行為です。長年の修煉を通じて、一部の同修は当初の見せかけの転向は旧勢力に屈し、法からはずれた後の邪な悟りの一種であり、変異した行為であることに未だに気付いていません。その上、見せかけの転向をしたあと、自分の偽りの転向を覆い隠すために、いくらかの大法に背く事をしてしまう可能性があり、甚だしきに至っては悪人を助けて、信念の固い大法弟子を迫害したこともあります。

 今日、私達は何のために大法の中に戻って修煉するのでしょうか? 病業の症状が出て、命を助けて欲しいと大法にお願いしに来たのか、それともほかの同修が帰って来たのを見て、ついでに自分も帰ってきたのか、どんな状況であれ、今後の修煉の中で絶えず内に向けて探し、絶えず自分の各種の執着心を取り除き、法の中で自分の修煉の目的を本当に認識できれば、初めて自分と法と師父の関係を正しく対処できます。法の中で真に修めて高めることができれば、衆生を救う使命を果たすことができるのです。そして、千万年億万年以前から師父と交わした誓約を果たすことができるのです。

 もし、転向のどこが間違ったのかを根本から認識ができなければ、大法弟子の事をいくら行なってもすべて表面的なもので、自ら根本的な変化がなく、旧勢力の按排を根本から否定できておらず、旧勢力も掴んで放そうとしなくなり、旧勢力から抜け出せないため、訳が分からないうちに自分を極めて危険な境地に陥し入れるのです。

 ですから、かつて転向したことがあり大きな過ちを犯した同修に提案します。必ず心を静め時間を無駄せずに系統的に学法し、法を基準にして量れば、どこが間違ったのか分かります。しっかりと学法ができて、ようやく自分を正すことができ、衆生を救うことができるのです。法の中で精進することが本当の精進で、法の中で向上することが真の向上です。自分が法の中に溶け込むことができれば、真の大法弟子になり、師父のご加護を得ることができます。

 二、邪悟し転向した同修は、常人の情の中に溺れて抜け出せるかどうか?

 多くの同修は転向が間違いであることを確かに認識することができました。邪悪に協力して大法弟子を転向させることは邪悪の共犯者になり、邪悪がしたくても自らできない大法を破壊することをやってしまい、邪悪を手伝って大法弟子の師父と大法に対する信念を動揺させたことになります。このような同修は速やかに法の中で向上し、精進して衆生を救う歴史的な使命を果たします。しかし、一部の同修は息子や娘および家族への情を放下できないため、大法弟子の役割を行ないながら、自分が拘禁された期間中に家族にもたらした精神上の苦しみと物質上の損失を考えているのです。一部の人はこっそりとマルチ商法、直販、株の売買などの大法に背くことをやっており、実は、それらはすでに法を乱し、破壊する行為になりました。一部の人は何万元もの損をして、元金まで取り戻せなくなり、ここまで来てやっと目覚めるのです。

 一部の人はマルチ商法と株の売買の中で溺れ気が転倒して、お金を儲けて喜んでいます。ある人達は退職したにもかかわらず、娘や息子に財産を残すためにアルバイトをやっています。これはすべて名利や子供に対する情を放下できないからではありませんか? もしも、法輪大法を修煉しなければ、多くの同修の生命がすでに終了したかもしれません。もしも、師父が法を正されなければ、今日の世の中の人々は誰もが生きていないと思います(大法弟子を含む)。つまり、師父が巨大な劫難に耐えてくださることによって、すべての生命を存続させました。しかし、この存続された生命は子供の財産を蓄積させるためではなく、大法弟子に修煉させ、衆生を救うために延ばされた命です。もし、この生命を、完全に衆生を救うために用いることができなければ、各種の病業が現れて、亡くなる場合もあります。

 1999年7.20前に法を得た子供弟子は、すでに大人になりました。恐らく子供への情に執着することが原因で、子供の学業と修煉の関係をうまく対処できず、大法を第一に考えて、修煉のほうに導いていないため、子供達の人生も紆余曲折し、逆に絶えず大法弟子を妨害しました。多くの同修が子供への情に執着しなければ、かえって子供のすべてがとてもよくなります。ですから、大法弟子はしっかりと修煉に専念できなければ、いろんな面倒なことに出逢い、子供弟子を違う方向へ導き、その多くは普通の常人になりました。

 三、かつて邪悟し、転向した経歴がある同修は、夫婦の情、色欲の心を放下できたか?

 この問題については、転向した同修のみならず、すべての同修がさらに深く、自分に向けて探すべきです。ここでは転向した経歴がある同修の話をします。

 一部の同修は拘禁された後、夫あるいは妻に多くの苦しみをもたらしたと思い、互いに欠けていた情を補いたいと思っています。一部の同修は夫婦の情を放下できず、最大限に常人の状態に符合するようにと理由を付けて、長期にわたり夫婦の情、色欲の心を取り除いていません。一部の人は夫婦の欲求を満足させなければ、不倫などの堕落した社会現象に陥ると心配しています。ある女性の同修は髪の大半が白髪になり、歯も緩んで出産する能力もないのに、まだ夫婦生活をしています。

 師父はこのように説かれています。「われわれの法門では、常人の中で修煉する部分があって、常人社会に身を置きながら修煉し、最大限に常人と一致を保つよう求めているのであって、物質的利益において本当に何かを失わせるのではありません。どんなに地位の高い官職に就いても、いくら大金持ちになったとしても、いっこうに構いません。最も大切なのは、それらのことに対する執着心を放棄することができるかどうかということです」[1]

 私達は本当に色欲の心を取り除いた時、あなたの夫あるいは妻はそれが原因で離れることはないはずです。情と欲は夫婦生活の全部だと言えず、それより更に高尚なもの、恩と義があります。

 一部の人は夫婦外の男女関係があり、甚だしきに至っては不倫のために離婚してまた結婚しました。個人的な法の中での悟りですが、色欲に執着する者は悪者で、常人の道徳基準より低く、これは大法弟子の行為と言えるでしょうか? この方面で過ちを犯した同修に提案します。早くこれらの自分を邪魔している邪悪な生命と要素を曝け(さらけ)出し、思いきって過ちを改めましょう。

 四、大法の資源を利用して自分や身内のために私利私欲を図ったかどうか?

 邪悪な迫害がひどい時期に、多くの大法弟子が嫌がらせを受け、拘禁されたため、正常な生活環境を失って生計が立てられなくなり、同修の援助を受けて大法弟子の事に専念して、資料拠点を作り、放浪生活に陥った状況にもかかわらず、多くの代価を支払って法を実証した事は、本当に素晴らしいです。しかし、時間が長くなると、ごく少数の一部の同修は自分をしっかりと制御できず、利益の誘惑に抵抗しきれなくなりました。ある協調人の同修は、資料拠点の資金をしっかり管理できず、家族に持って行かれて無くなりました。同修に指摘され、師父は何度も悟らせましたが、この同修は未だに家族に横取りされた大法の資源を返していないため、旧勢力の迫害に遭いました。

 五、出所した同修は積極的に、厳粛に黒巣で残された陰性、邪悪な場を清めなければならない

 転向した経歴がある同修は、「三書」を書いて、師と法を誹謗中傷する文章を読むことによって、悪に操縦され各空間の身体に邪悪な要素が充満し、身体の周囲はすべて邪悪な場に満たされました。あなたの主意識も悪に操られたため、あなたは蒼穹を救う大法を誹謗するようになり、さらに無知な私達のために無数の心血を注がれた師父を誹謗するようになりました。あなたは積極的に自身の空間場にあるすべての悪の生命と要素を取り除かなければ、ただ再び修煉する声明を書くだけで、衆生を救い損失を補うと言っただけで、それらの邪魔をされずに済むのでしょうか? あなたはその邪悪な環境の中で、目や耳から入ってきた事のすべては邪悪な要素で、すべて大法と師父に対する誹謗中傷の言葉です。人が便所に落ちれば、糞などが身につかないはずがないでしょう? そのため、私達は絶えずそれらを取り除き、法理の中で絶えず自分を正し清めて、ようやく衆生を救う使命を果たすことができ、旧勢力による妨害を受けなくなるのです。

 六、結び

 転向した経歴があるすべての同修(見せかけの転向を含む)、また大法の中に戻った同修は、自分の犯した大きな過ちに直面して本当に根本から認識すべきであり、本当に真の修煉者のように自分に向けて探すべきです。謙虚に同修からの意見と提案を受け入れ、根本から自分の執着を掘り出し、どんな心が原因で自分は転向してしまったかを改めて認識すべきです。

 あなたはかつて大法の修煉を放棄したことがあるのに、今日、あなたは軽く間違っていたと言うだけで、あるいは同修に頼んで声明を書き、自分の犯した過ちを覆い隠す同修もおり、自分の犯した過ちを言う勇気がなく、びくびくして書いた厳正な声明を邪悪に見られないようにして、明慧ネットに発表せずにひっそりと紙幣に書いて流通させました。あなたはまだ師父の弟子ですか? 旧勢力はあなたを手放しますか? あなたは師父を困らせています! あなたは師父に心痛を煩わせています! もしも、あなたの生命の道のり(天寿)が終わりの時期になったとき、あなたは師父にどのようにして欲しいのでしょうか? 師父はあなたの生命を伸ばすことができますか? すべてのこのような状況に置かれている同修は、生命を失う可能性があります。大法の実証と人を救うことに損失をもたらし、自分の修煉に損失をもたらします。あなたは師父の按排された道を最後まで歩むことができなくなり、これは生命にとって永遠に限りなく残念なことになるでしょう。

 多くの同修は自分の執着を認識することができ、間違ったと知っても、なかなか放下できず、今までずっと改めることができませんでした。この時、自分の執着を放下しなければならず、自分が変わらなければならない時期に来ていることに気づいておらず、これが妨害だと思い、発正念をして取り除こうとし、一部の同修はほかの同修にお願いして発正念をしてもらいました。これは外に向けて求めているのです! 自分を修めていないことになります。このような状況の中で、発正念は役に立つのでしょうか?

 魔難が現れた時、真剣に法に照らして、どんな行為が法と一致しなかったのかを無条件で自分に向けて探し、それらの行為を改めましょう。このような習慣を身に付けるように提案します。これこそ本当の修煉です。

 法に則っていないところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/8/20/372664.html)
 
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