【明慧日本2018年8月26日】黒竜江省鶏東県の法輪功学習者・楊鳳蓮さんは2011年8月に、鶏東県留置場に拘禁されていた期間、不明な薬物を注射され、その後、皮膚が腐り、内蔵が衰弱して、2014年12月24日に死亡した。
楊さんは1955年に生まれ、かつて身体が弱くて、腺病(せんびょう・結核性頸部リンパ節炎)肺気腫、胸のしこりなどの病気にかかっていた。1998年に法輪功の修煉をして、病気がなくなり健康になった。
1999年7.20、中国共産党の当時の党首・江沢民は法輪功への迫害を発動した。法輪功学習者に対して、「名誉においてそれを腐らせ、経済上においてそれを崩させ、肉体上においてそれを消滅させる」という法輪功学習者を絶滅させる三大方針を実施した。同年12月、法輪功学習者への公平かつ、公正的な扱いを求めるために、北京へ陳情に行った楊さんは天安門広場で連行され、酷く殴打され、意識不明になり、パトカーに入れられた後、やっと意識が戻った。住所を聞かれた後、地元まで護送された。地元の副卿長や秘書に3300元、警察署に2000元を強制的に支払わされた。
2011年8月、楊さんは真相資料を配布していた際に、真相を知らない人に通報され、警官により連行され、その後、留置場に収容された。酷い迫害に抗議するために、楊さんは断食を開始した。そこで、楊さんは不明な薬物を注射され、暫くすると注射したところが酷く腫れ上がり、その後、腐り始めた。
楊さんは迫害されて内蔵が衰弱し、意識不明になってから、留置場側は初めて家族に連絡した。楊さんの息子が迎えに行くと、先ず目に入ったのは、床に横たわった母の姿であった。急いで鶏西鉱病院に搬送したが、そこの医師はあまりにも酷い病状を見て受け入れなかった。それで鶏西衛生学校病院に転送し、脳内出血と診断された。しかし、20日間入院していたが治らなかった。そこで医師は「うつ病ではないか」という疑問を持って、精神病院に転送した。精神病院で楊さんは手足をベッドに縛り付けられた。家族はそんな楊さんの痛々しい状態をみて、精神病院にいるべきではないと判断して、2日後退院させた。
家に帰った楊さんは食事ものどを通らず、歩行も困難だった。腐った部位からは引き続き体液が出ており、他の部位にも水疱ができた。そして、その3年後に死亡した。
中国共産党は学習者たちを法輪功から引き離し、転向させるために、様々な残忍な拷問を用いて学習者たちを苦しめた。その一つが毒物の入った薬物の注射や毒物の入った薬を飲ませる方法で、これらの手段がよく使われている。また、この他にも転向させるために、ありとあらゆる方法で残酷な拷問を加え、法輪功学習者たちを今もなお、ひどく苦しめている。