黒龍江鶏西市の趙春艶さん 迫害されて死亡
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 【明慧日本2018年8月17日】黒龍江省鶏西市恒山区の法輪功学習者・趙春艶さんは、黒龍江女子刑務所で5年間苦しめられて虫の息となり、2018年7月16日に救急車で自宅に送られたが、7月28日の明け方に無念な思いを晴らせないまま死亡した。享年65歳であった。

赵春艳被迫害前
迫害される前の趙春艶さん

赵春艳被迫害后
迫害された後の趙春艶さん

 2013年7月11日午前7時過ぎ、恒山区公安支局・国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官ら11人が、趙さんの家に押し入って家宅捜索を行い、趙さんを鶏西市留置場まで連行した。2013年10月、趙さんは政法委員会の担当者から「話がある」と裏庭まで呼び出された。すると、恒山区裁判所の裁判官はその場で判決文を読み上げ、懲役5年の実刑判決を宣告した。2013年11月、趙さんは黒龍江省女子刑務所の第9監獄区に拘禁された。

酷刑演示:码坐
拷問の実演:腰掛に長時間じっと座るように強制

 第9監獄区まで連行された翌日の朝5時~夜10時まで、趙さんは腰掛にじっと座るように強制され、それは60日間以上にも及んだ。

 趙さんは生前に次のように語ったことがある。「2014年2月6日、受刑者らは警官の指示の下で、ハンガーを凶器にして私を殴り、ハンガー2本が折れた。また、大きなプラスチックのブラシで私の顔をこすり、顔がニワトリにつつかれたように腫れあがった。翌日、彼らは私の顔を見て『あら、前の顔は一夜のうちにカラフルになったわ』と言った。また、ラップの芯で暴力をふるった。そのほか睡眠もトイレも許されず、トイレに行くならすぐに引っ張り戻され、結局、ズボンの中が漏れてしまった」

中共酷刑示意图:浇凉水
拷問のイメージ図:寒中に冷水をかけられる

 「2014年3月、受刑者らは私の髪を掴んで、満杯の水のタライの中に押さえ付けた。それから、タライで冷水を次から次へとかけた。東北の3月はとても寒い時期で、私は全身びしょ濡れになって震え上がり、それでも着替えを許されず、そのまま凍えさせられた。彼らはしょっちゅう『ちょっと話がある』を口実にして、私を囚人服の倉庫まで引っ張って行き、暴力をふるった。倉庫の中には監視設備がないので、そこで何回も数え切れないほど殴られた

 受刑者らは手柄を立てて減刑してもらうため、趙さんを持ち上げては地面に落とし、繰り返しているうちに、趙さんの臀部はボロボロになった。さらに、腰掛に座るように強制された。

 刑務所は法輪功学習者を肉体的に苦しめるだけでなく、精神的にも苦しめた。よく使われる方法は、法輪功創始者の名前が書いてあるものを地面に置いて、学習者に踏ませたり、ベッドの上に置いて座らせたり、あるいは名前が書いてある紙を学習者のズボンの中に詰め込んだりするなど、いろいろである。

骨と皮ばかりに痩せこけた趙春艶さん

 趙さんはまた次のようにも話したことがある。「警官の肖淑芬はいつも私を監視し、むりやり1日2回薬を口に押し込んだ。私はどれくらいの期間飲まされたか、はっきり覚えていないし、薬の名前も知らない。毎回薬を押し込まれた後は下痢が止まらなくなり、最後には食べ物が喉を通らなくなった。歯も無理やり力まかせに、打ち落とされた」

 趙さんの家族が刑務所に面会に行ったが、刑務所側は趙さんが転向しないことを理由に、面会を許可しなかった。2016年10月末、刑務所側は突然家族に「早く面会に来なさい」と知らせてきた。家族は急いでハルビン中央病院に駆けつけたが、目の前の趙さんはすでに骨と皮ばかりに痩せこけて、歩くこともできず、食事も摂れず、呼吸困難でろれつが回らなくなり、危篤状態に陥った。刑務所側は家族に署名を強要し、緊急措置の費用を要求した。

 第9監獄区の隊長・王珊珊は、趙さんの息子にメールを送信して金を要求する度に、趙さんの息子はWeChatを通じて送金した。刑務所側は家族に「金を出せば解放してやる」と言ったので、家族は2万6千元を渡したが、解放しなかった。趙さんの所持していたカードの中に5千元があったが、未だに返されていない。

 体重が50キロ以上から34キロまで落ちた趙さんは、2018年7月16日に救急車で自宅に送られたが、7月28日の明け方、無念な思いを晴らせないまま、死亡した。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/8/1/71922.html)
 
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