母は拘禁され父は死亡し 9歳の子は一人ぼっちに
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 【明慧日本2018年8月6日】徐伯光くんは11歳の男の子である。中国共産党が法輪功を迫害する大弾圧政策の中で、9歳の時に父親を失い、母親は刑務所の中に拘禁されたままで、伯光くんは一人ぼっちなった。

 2014年のクリスマスイブの日、7歳の伯光くんは母の丁六栄さんと一緒に、江蘇省徐州市鼓楼区の街を散歩していた時、母親が通行人に法輪功迫害の真相を伝えたという理由で、その夜、警官により連行された。伯光くんは母と一緒に派出所の鉄の柵の中に閉じ込められた。その後、父親が迎えに来てくれたが、伯光くんだけが父親と一緒に帰宅した。その日から、伯光くんはまだ一度も母親に会っていない。


拷問のイメージ図:鉄の柵に閉じ込められる

 母は徐州市留置場に拘禁された後、懲役5年の実刑判決を宣告された。母は控訴したが、数回の再審を経て、最後に懲役5年の実刑判決を宣告された。現在、南通刑務所に拘禁されている。

 父の徐秀臣さんは将校を退役した。そのため伯光くんの幼い頃は空軍の住宅団地で過ごした。幼い頃の生活は何の心配事もなく、のんびりと暮らしていた。母親は優しくて、厳格な女性であった。父親は糖尿病を患い、飲食に対して制限があるため、母はきちんと食事の管理をし、いつも新鮮でおいしいご飯を作ってくれた。

 母はとても働き者で、屋外の空き地に各種の果物と野菜を植え、毎日土の手入れや草取りをしたり、肥料を施し、野菜の収穫などの畑仕事をしていた。時には友達や隣近所の人達にも分け与えた。伯光くんはいつも遊びながら母親の手伝いをし、楽しくてたまらなかった思い出がたくさんあった。両親の教育の下でスクスク育った伯光くんは、汚い言葉を口にしたことがなく、いつも礼儀正しい典型的なちび紳士であった。

 母が拘禁されてからは、厨房に入ったこともない父が、毎日、炊事や買い物、伯光くんの学校の送り迎えなどをしなければならなくなった。最悪なのはもともと身体が弱く持病がある父は、留置場に母の面会に行ったり、弁護士に依頼する事もしなければならず、その上、出費も多かった。父は疲労が重なり、とうとう倒れてしまい、その時に足の爪が剥がれてしまった。

 父は入院したが治療費が足りないため、間もなくして退院せざるを得なかった。しかし、父はまた病状が悪化し入院をしたが、その後、永遠に意識を取り戻すことなく亡くなった。これは2016年6月のある日のことだった。その時、伯光くんは9歳だった。

 父親が亡くなり、母親は拘禁されて帰ることができず、身内の皆が伯光くんの今後の生活について、心配をした。現地の法輪功学習者たちがある程度のお金を寄付しあって、伯光くんを扶養するために協力した。最後に、父・徐秀臣さんの姉が伯光くんを家に連れて帰った。

 伯光くんは河北省の田舎にあるおばさんの家に連れられて来た。おばさん夫婦は優しくしてくれ、伯光くんを学校に行かせた。伯光くんは頑張り屋で、成績優秀でクラスで3番目までにいつも入った。しかし、経済状況が困難なために、おばさんはたまに伯光くんを連れて徐州市(戸籍地)に帰り、救援金の手続きをしなければならなかった。

 母親は懲役5年の不当な判決を宣告され、2019年12月24日が刑期が終える満期日である。伯光くんは母親に会えるその日をいつも待ち望み、身内の皆もその日を強く待ち望んでいるという。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/7/23/371449.html)
 
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