「物を以て喜ばず、己を以て悲しまず」の范仲淹の教え
■ 印刷版
 

文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2019年2月4日】北宋の政治家で、文人の范仲淹(はんちゅうえん)は、小さい時から『詩経』、『尚書』、『礼記』、『春秋』などの儒家の経典を苦学し、その後、仏教の思想から影響を受け、神佛をとても信奉していました。

 范仲淹は官吏を数十年も歴任しましたが、しかし、とても倹約家で宰相の地位についてからも、自分にまともな邸宅を建てませんでした。一部の人は彼に新宅を建てるようにと勧めましたが、彼は「人が求めているのは道義です。心の中に道義さえあれば、どこに身を置いても心の中は喜びを感じるでしょう」と言いました。

 范仲淹は子孫のために土地や家屋を購入せず、それなのに、彼は自らの蓄財を切り崩して学校を作り、被災者を救済するための田んぼを用意しました。彼は正義感が強く君主に率直に諫言(かんげん・いさめること)するため、しばしば左遷(させん・それまでの官職・地位から低い官職・地位におとすこと)されました。しかし、彼は決して自分の不幸な境遇を悲しんだりしませんでした。彼は生涯三度も上京して官吏になりましたが、また度も左遷されました。

 天聖7年(1029年)、秘閣校理に就任した范仲淹は、皇太后の浪費ぶりお諌(いさ)めるために上奏(じょうそう・皇帝に意見を申し述べること)し、そのたために降職されました。これは一回目の左遷でした。

 明道2年(1033年)、右司諌に登用された彼は人の正義を取り戻すために上奏し、皇帝に睦州に左遷されました。これは二度目の左遷となりました。

 景祐2年(1035年)、范仲淹は礼部員外郎の任に着きましたが、当時、宰相を務める呂夷簡(りょ いかん)は范仲淹が諫言するのをいやがり、皇帝に范仲淹を開封の府知事に任命するようにと奏請(そうせい・天子に、許しを下さるようにお願いすること)しました。そして范仲淹に「お前は言官(げんかん・皇帝に対してアドバイスをする役職)ではないのだから、国事にあまり口を出すな」と第三者を通して伝言しました。これが三度目の左遷でした。

 これは多くの人にとってはとても耐えられないことでしょう。頭の中に、あれもこれも様々なネガティブな考えが浮かんで来るに違いありません。「相は心から生じる」と言う言葉は正しく、このような状況を指します。しかし、范仲淹は心が少しも動じませんでした。

 損得を気にかけず平常心を持って、人生の成功や失敗に対処することができるのは、なかなか到達し難い境地なのです。『史记•货殖列传』の中で、世間の実態を「天下熙熙、皆为利来」とずばり指摘しました。つまり、「世間では、ほとんどの人は自分の利益のために忙しくし、たとえ道徳仁義を理想として掲げていても、いざとなると自分の利益を放下し、他人の為に考える人は何人いるでしょうか?」という意味になります。

 古人がいう「君子」は、期待したものを手に入れたとしても過度に喜ばず、気に入ったものを失ったとしてもひどく悲しまない、という高い境地に到達した人のことを言うのです。

 そして、「喜び」と「悲しみ」は修煉者が取り除かなければならない執着心なのです。これらの執着心は多くの場合とても深く隠れていて、特に「喜び」という人心はなかなか見つかりません。しかし、修煉者としては、それらを取り除かなければなりません。

 范仲淹が書いた『岳陽楼の記(がくようろうのき)』(范仲淹が書いた散文の編名)の中の「物を以て喜ばず、己を以て悲しまず」という言葉は、正しくこのような境地を表しています。古人は「道を修めずとも既に道にいる」と言いますが、『岳陽楼の記』の中のもう一つの名句である「天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむ」を読んだ時も、私たちは范仲淹の度量の広さをうかがい知ることができるでしょう。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/1/13/380330.html)
 
関連文章