文/ドイツの大法弟子
【明慧日本2019年3月14日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修のみなさん、こんにちは!
私は2006年の秋に法を得たオーストリアの学習者です。その時から、私は人を救ういろいろなプロジェクトに参加してきました。しかし、子供が生まれてから環境が変わり、関わる時間が限られてきました。私は常にどのようにして新しい生活環境のなかで真相を伝えることを続けられるかを考えていました。時には中国人の観光客が多い観光名所でチラシを配りました。しかしベビーカーを押して歩くことや、子供を連れてチラシを配ることは私にとって非常に大変なことでした。毎日数時間くらいの文章を書くだけの仕事があればいいのにと、ドイツ語の大紀元で働いている同修に相談しました。それは私にとって時間を按排しやすい非常に適った仕事でした。息子が幼稚園に行ける年齢になってから、やっと大紀元のために働くことが出来るようになり、本当に嬉しかったです。まるで一つの大きな願い事が叶った感じでした。
師父は『各地での説法十』「大紀元会議での説法」の中で、「皆さんにはしなければならないことが多くあり、常人の仕事をきちんとこなし、家庭のこともあり、大法弟子が法を勉強し煉功する時間も作らなければならず、さらに真相を伝えること、大法のプロジェクトへの取り組み、大紀元のことなどがあります。もし、真相を伝えることと大法弟子のマスコミの運営を一つにすることができれば、時間の配分を減らすことができるのではありませんか?」[1]と説かれています。
最初の頃、私はパートタイムで編集の仕事をやっていました。しかし、あの時、私は常に営業の仕事がしたいという考えがあり、しばらくしてから営業部門へ移りました。3年くらいはウィーンでインターネットを通じてベルリンの同僚と一緒に働いていました。しかし、大紀元の作業量はますます多くなり、関わる方面も多くなって、現地で緊密に直接的に連携をしなければならなくなり、その上、現地で働く必要がありました。2017年の夏に、私はベルリンに引っ越すことに決めました。夫は数年前からうつ病にかかっており、家族の引っ越しの決定や実施について、彼の助けは期待でききません。しかし、なんとしても彼の同意を得るために、一つの提案が浮かびしました。つまり、いい部屋を探すため私が先にベルリンに行くことでした。彼が賛成し、私は子供を連れて先に行き、同修たちも熱くもてなしてくれ、多くの面で私を助けてくれました。本当にこの上ない支えでした。他にもう一つの考え方に大きく助けられました。難が小さくなって自分が強くなるために、私はできるかぎり毎日大紀元の事務室へ出勤しようと決意しました。そして引っ越しのことでやらなければならないことがあっても、集中して数時間はまじめに働かなければならないと自分に言い聞かせました。例えば部屋を探すとか、幼稚園を探すとか、書類の対応とか、家具の運搬とか、一部の家具を売り払うなどの些細なことにこだわらないようにしました。私は必要な事だけに専念して、湧いてくる様々な気持ちを抑制し、放下し、心を動じさせないようにしました。
例えば情の一つですが、主人は私たちと一緒にベルリンに来て生活することについて、いつまでも決められませんでした。最初、自分の荷物を運び、子供のこともよく按排されたら、主人が引っ越しをして、私たちと一緒に生活してくれると信じていました。それは、彼の人生の中で最も大切な2人がベルリンにいるからです。しかし、数週間が過ぎても彼が来ないので私は焦り始めましたが、心の中ではきっと来てくれると思っていました。また数週間が過ぎても自分が思った通りにいかなかった時、振り返ってみると、私は本当に主人の幸せのために考えていなかったことに、気づきました。内心では彼が来てくれて、私の負担が減ることを望んでいました。この事は表面的ではよくみえますが、つまり主人をベルリンに誘いたいことの裏に隠れていた私心が見えました。冷静になると、もしかして主人が来ない可能性もあると考え、他の計画が必要だと分かりました。そしてまず、彼への執着と不満を放下しました。なぜ不満になったか振り返ってみると、実は一人で子供を幼稚園に送り迎えする必要がある上、子供の世話もしければならず、仕事上の制限をされたからです。執着を放下すると感謝の気持ちが出てき、働いている時間を大切にするようになりました。このような生活状態が長く続いても耐えられるように自分を調整しました。まるで子供を連れて短距離走をするのではなく、マラソンをするようでした。しばらくすると主人はベルリンに来ることに同意し、ウィーンの部屋を手放すことにしました。
一、神韻と大紀元のために常人と接触する
以前から私の主な仕事は神韻と大紀元のために、常人と接触することでした。始めの頃、私は主に様々なイベントに参加することを利用して、社会で影響力のある人達に会いました。数年が過ぎるとこの方法に限りがあり、私のいろいろな執着も放下できていないことがわかりました。
毎晩少ない人たちとしか喋れないので、この方法は非常に限りがありました。しかし自分を実証したい執着心によって、私はこの方法は電話とかメールで人と連絡する方法より簡単にできると信じていました。私は自分が連絡したい人の秘書を回避できる簡単な道を探していました。しかも、急いで成果を出そうと考えていて、使っている方法を改善するなど真面目に考えていませんでした。表では私が仕事をたくさんやっているように見えますが、その裏では怠け心と安逸心が隠されていました。私達がやっているのは常人の仕事と同じであり、執着心によって私の道は阻まれていました。
師父は『スイス法会での説法』の中で、「特に、人々は生存のため、自己保護のため、自分の利益をより多く得るため、放棄できないものは私がそれを皆、執着と呼んでいます。これらの執着はあたかも大きな鍵のようにあなたを閉じ込めています。あなたは前進の道のりにおいて、全ての鍵を開けなければならず、開けなければ、それはあなたを閉じ込め、迷わせ、それであなたは真相を見ることができません。しかも、返本帰真に向かう道のりに、これらの鍵を開けないと、あなたは行き詰まってしまいます。これはすなわち関なのです」[2]と説かれています。
その時、新唐人デレビ局で営業の研修がありましたが、中には秘書とどう接触するかの内容もありました。多くのヒントを得た私はそれを実行しょうと決意しました。研修に参加したあとも私は秘書たちに良くない考えを持っていました。私は彼女たちの仕事は何の価値もないと見下げていました。私は彼女たちが自分の仕事を難しくして、邪魔している人だと思っていました。
私は秘書とその職業を見下げる執着をなくすように努力しました。時間が過ぎると考え方も変わりました。しかも自分自身を重視しすぎる執着を放下するように頑張りました。考えが変わって執着を放下することで仕事の結果も徐々によくなりました。接触すべき人がどのような人かがわかり探すことに成功し、しかもインターネットを使って人を探すこともできました。メールと電話で、秘書やそのボスと意思疎通をすることも上手になりました。知らないうちに私の考えも完全に変わっていき、秘書たちを親切な人とみなし、彼女たちも私を助けてボスとの連絡をしてくれました。 ほとんどがこのような状況でした。私が執着を放下すると師父は智慧を与えてくださって、新しい道が開かれました。
ある日、私は営業をやっている同僚のために、ある企業と面談する機会を作らないといけませんでした。経験によると、営業の人は言うまでもなく、営業部長と相談しても何の効果もありません、と言うのは、彼らがただボスの指示に従うだけだからです。同僚の件は策略に関するものだったので、ボスの許可をもらうべきでした。そして必ず直接ボスに同僚を紹介すべきだと分かりました。その時、私はボスの秘書を通してボスに手紙を書き、ボスに決定してもらい、部下に私の言ったとおりのことをやらせようとしました。秘書を通してボスに連絡する方法は長い時間が経ってからやっと、ボスが分かるようになるデメリットがあります。この間、私は会社のもう一人の同僚から、直接ボスに手紙を書いた方がいいと提案されました。私がそのようにしたら、その同僚はマーケティングの責任者に会うことができました。私が秘書と関わりたくないという執着を完全に放下した後、私のコミュニケーション能力はかなり高まってきました。
私は悟りました。私が執着を放下することにより、辛さを恐れず、不平を言わず、依頼しないようになると、師父は私の知恵を開いてくださり、私の仕事環境も改善してくださいました。私も得るべきアイデアを得て、難しい道の中で前へ進めるようになりました。私は他人から見るとほとんど成功する可能性がない局面によく出会いますが、私はそうは思いませんでした。私は閉じられたゲートの前に立っていたとき、師父の説法を思い出して自分の状況を師父の説法に照らし合わせました。内心では自分に見えない道がすでに存在するということが分かります。私の課された仕事はただ信じて歩み続けることだけです。
二、阻害の克服
人を救う道においてよく阻害作用を働くという考えは自分に対する否定的な考えでした。この文章を書く過程で分かりましたが、自分はきっとうまくできないと思うことが実際自分を実証したい執着とつながっていました。数年前から私はこの執着を放下しょうと頑張っています。もう幾層ものこの執着を放下しましたが、まだまだ放下すべきものがあります。具体的な現れとして、仕事あるいは家庭で失敗し、期待した結果が得られなかったりした場合、私はすぐ自分を疑います。心理的なプレッシャーが加わり、体調不良になります。今では、このような状態は徐々に少なくなり、しかも常に執着心にすぐ気づき、自分のことをプラス思考に変え、旧勢力の体に対する迫害を排除しています。
まず自分の否定的な考えを排斥し、積極的に考え、肯定的な考えを強化しました。すると心理的な圧力が消え、私には一息おいて考える余裕が生まれてきました。そして旧勢力の妨害を否定し、師父の説法に従って内に向かって探し、自分が放下できていない執着を探しました。しかも自分とつながっているすべてのことに対して、正念で対処するように努力しました。そして正念の勢いを取り戻し、強大な正念を発して旧勢力を根絶しました。その過程の中で様々な執着を見つけました、例えば、断られることを恐れることや、円満成就できないことを恐れるなどですが、両者とも私心に由来しています。
師父は『二〇〇三年元宵節での説法』の中で、「皆さんが自責することを私は好きではありません。それは何の役にも立ちません。私はやはり先ほど言った言葉を言いますが、つまり、転んだら倒れたままにせず、早く起きなさい」[3]と説かれています。
修煉の道で私は今までよく転びましたが、この道をとても大切にしています。師父が私のためにして下さったすべてに感謝いたします!
尊敬する師父に感謝いたします!
同修のみなさんに感謝します!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法』『大紀元での説法』
[2] 李洪志師父の経文:『スイス法会での説法』
[3] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』
(2019年ドイツ法輪大法修煉体験交流会発表原稿)