文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年4月20日】2012年、私はある交通事故をきっかけに法輪大法の修煉を始めました。
ある日の朝、私は通勤時に突然交通事故に遭い、車にはねられました。私をはねたのは女性でした。その女性は「立てますか?」と聞きながら、立ち上がるのを手伝ってくれました。力を入れると何とか立ち上がれたので、木にもたれかかりました。相手の女性は「今から人を探して来ますから、待っていてください。病院に一緒に行きましょう」と言って去って行きました。しばらく女性を待っていましたが、中々戻って来なかったので、もう戻っては来ないだろうと思いました。
その時、真っ先に頭に浮かんだのが甥っ子だったので、甥に電話して病院まで連れて行ってもらいました。病院で検査を受けたところ、身体に大きな打撲は無かったものの、顔の左側が血だらけになっていました。痛みは感じませんでしたが、鏡に映った血まみれのぐちゃぐちゃになっている自分の顔を見た瞬間、気を失ってしまいました。
病院で傷口の手当てをしてもらい、点滴をしました。甥に「入院するか、帰るか、どっちにしますか?」と聞かれたので、私は「他に怪我をした所はないので、入院はしたくない」と答えました。結局、甥の家に行くことにしました。
甥は法輪功を修煉しており、彼の母親、つまり、私の兄嫁(義姉)も法輪功を修煉しています。兄の家に行くと義姉は驚きもせず、「法を得に来たのね」と微笑みを浮かべながら、私を部屋に招き入れました。その時は義姉の言葉が一体どういう意味なのか、全く分かりませんでした。「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と義姉に教わり、私は毎日素直に唱えました。甥は私の顔を見て、毎日「治りが早いね!」と言いましたが、私は鏡を見るのを恐れていたので、自分の顔の傷がどうなっているのか全く分かりませんでした。
何日か経った頃、「私と一緒に煉功してみませんか?」と義姉が言いました。私は「はい、そうします!」と即答しました。こうして義姉と一緒に『轉法輪』を勉強しながら、毎日五つの功法も煉りました。間もなくすると顔の傷は全癒しており、傷跡も全く残っていませんでした。
兄の家を出る時、義姉から『轉法輪』を貰いました。しかし、あまり勉強していなかったので、「本を返して欲しい」と言われて返しました。しかし、なぜか『轉法輪』の本を自分が持っていないと不安になったので、また、貰いに行きました。このようなやり取りが何度もあり、義姉に「本当に修煉したいと思っているの? 思っているなら、明日から、一緒に法を勉強しましょう」と誘われました。こうして毎日、義姉と一緒に『轉法輪』や師父の「各地での説法」を勉強し始めました。私が毎日行くので、兄がご飯を作ってくれていました。あの頃は、私も義姉もまるで専業修煉者のように、学法の他には何もしていませんでした。兄も読み間違いを教えてくれ、毎日法の中に溶け込んでいました。知らぬ間に、自分が少しずつ変わり始め、幼い頃から病弱だった身体もますます健康になり、性格も明るくなっていきました。
楽しい時は1年間続きました。後に義姉に孫娘が生まれて忙しくなったため、兄の家に行かなくなりました。しかし、義姉がある学法チームに連絡してくれ、それからはあるグループの中で修煉するようになりました。
月日が経ち、中学校の同窓会の40年ぶりの集まりがありました。当日、昔のクラスメイトが私を見て全員驚きました。「なんて若々しいの! 前より体もずいぶん元気そうだし、楽観的で接しやすくなったわね。学生時代のあなたとは全く別人だよ。あの頃のあなたは名利を重んじてはいなかったけれど、性格が冷たくてとても近寄りがたかったわ。毎日、憂鬱(ゆうつ)そうな顔をしていたけれど、何かいい薬でも飲んでいるの? 一体何があったの?」と皆から聞かれました。
「法輪大法を修煉しているだけよ。素晴らしい大法が私を変えてくれたのよ!」と皆に教えました。私を見て、皆の羨ましそうな様子を見ていると、私は、師父と大法の恩恵に感謝の気持ちでいっぱいになりました。師父がいらっしゃらなければ、今日の私は存在しないでしょう!!