文╱アメリカの大法弟子
【明慧日本2019年5月10日】師父は『2018年のワシントンDCでの説法』で、「ヨーロッパで私は次のことも言いました。つまり、皆さんに神韻に関わってほしいのは、この過程で威徳を打ち立て、自ら修煉するという良い基礎を築き、向上するようにするためです。しかし、多くの学習者は重要視していません。やっとその重要性に気づき、このことの重大さが分かり、関わろうとした時、チケットはすでに売れるようになったのです。広告やインターネットを通じて販売できるようになりました。あなたが関わろうとした時、すでにチャンスはありません。修煉はつまりこういうことで、あなたを待っていません」と説かれました。
次に、今年神韻のチケット販売をしている期間中、発正念をした時に、天目で見た光景、そして、それに相応する体験、及び師父の法理について悟ったことをお話しします。
毎年、ショッピングモールでの神韻チケット販売に参加した時、私はいつもびくびくしていました。自分がしっかり行なわなければ、人を救うことに支障を与えると、心配してプレッシャーを感じました。その上、チケット販売に参加する同修も皆それぞれ自分の仕事を持っており、いつも仕事が終われば、モールに急ぎ、そして、前の同修と交代し、前の同修はチケット売り場からそれぞれの仕事場に走って行く、という忙しさでした。私はそうでした。
ある日、1日の仕事を終え、ショッピングモールに急ごうとしましたが、少し疲れを感じていました。私は慈父のような師父の写真を見て、助けを求めました。師父も私のプレッシャーを察知され、私に発正念をさせてくださいました。「15分間発正念をしてから行っても間に合う」と思って、私は座って発正念をしました。
入定すると、佛の姿が現れました。佛はすべての手を差し伸べて一つの輪を作られました。千手觀音ではないかと思いました。そして、千手觀音は黄金の円形の光に変わり、僅か10秒で消えてしまいました。とても神聖で素晴らしい光景でした。しかし、その時、それは何を意味するか分からず、ただとても励まされ、元気いっぱいになりました。
ショッピングモールに行った日の午後、モールに来るお客さんは少なく、夜8時になると、人はますます少なくなり、私たちの売り場に来る人はもっと少なくなりました。私は少し疲れを感じ、椅子に座りました。普段、売り場の前を通る衆生を逃さないように、私たちは座らないようにしていました。不思議なのは、私が座ると、人は続々と売り場の前にやってきて、テレビの前に立ち止まり、放送している神韻のCMを見て、神韻のチラシをもらって行く人、公演の日程やチケットの値段を聞く人もいて、売り場の前は人々が行き来して、とても穏やかで平和な雰囲気でした。
帰り道で、今日発正念をした時、師父が私に見せてくださった千手観音のことを思い出しました。「大法は世間で衆生を救い済度する場を千手観音のように、圓容で漏れなく、隅々まで張り巡らせており、人を救う方法はいくらでもある」という意味を教えてくださったのではないかと思いました。一方、「チケット販売の過程で、師父は私に威徳を打ち立てさせ、修煉の良い基礎を築かせ、早く向上させようとされている」、「私は大法弟子で、修煉者で、すこし苦労を嘗めるのも当然のことではないか? それは師父が大法弟子を鍛え、育て、救ってくださっているのだ」、「私も大法が救い済度してくださる計り知れない衆生の中の1人だ」と思いました。
創世主は慈悲深く、衆生は幸運に恵まれ、今年の神韻公演は行った先々で全て超満員の大盛況でした。
師父に感謝いたします!
個人が悟ったものなので、適当でない所があれば、ご叱正をお願いします!