失明に近い状態にされた80代の孫藹俠さん 出所
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 【明慧日本2019年5月20日】江蘇省蘇州市の法輪功学習者・孫藹俠さん(81歳女性)は2017年、蘇州工業園区裁判所に懲役1年6カ月の実刑を宣告され、南通女子刑務所に収容された。刑務所の残忍な迫害により、孫さんは背中やが酷く曲がり、目は殆ど見えず、失明に近い状態にされて、2019年4月14日にやっと出所した。

 突然、連行されて蘇州市第四留置場に送られる

 2017年11月16日午前、孫さんは蘇州市娄葑派出所に何度も行き、派出所・所長に同年5月4日に押収されたノートパソコンの五度目の返却要求をした。所長は「私は今、会議中なので、ここで待ちなさい」と言って立ち去った。しばらくして、若い私服警官2人が来て、強制的に孫さんを派出所から引っ張り出し、パトカーに押し入れた。何の手続きもしないまま、孫さんは蘇州市第四留置場に送られた。

 秘密裏に、蘇州市工業園区裁判所で裁判にかけられる

 第四留置場で1カ月以上拘禁された後、孫さんは2017年12月26日午前、蘇州市工業園区裁判所に連れられて、秘密裏に裁判にかけられた。法廷には弁護士はもちろん、孫さんの家族さえ1人もおらず、もちろん、傍聴席には誰1人としていなかった。女性の裁判官は判決書を読み上げ、酷いことに5分で裁判を終わらせた。

 法廷で孫さんは罰金を支払うことを拒絶した。その後、孫さんは南通女子刑務所に送り込まれた。数カ月後、孫さんは2500元の領収書を受け取った時に、初めて裁判所側が娘から罰金を強請り取ったと知った。

 孫さんは1938年10月15日生まれたが、派出所に身分証明書には1940年10月15日と変更され、記入されていた。孫さんは修正を要求したが、拒否された。さらに、孫さんの判決書の職業欄には大学教師・エンジニアから定年退職した従業員と勝手に変更されていた。

 刑務所第二監区で受けた迫害の事実

 2018年1月10日午後、警官は孫さんを留置場から女子刑務所病院に連れて行き、身体検査を受けさせた。当時、孫さんの血圧が180mmHgだったにもかかわらず、直接孫さんを刑務所第二監区第10組に送り込んだ。

 部屋にベッドが16台だったが、17人を入れていた。孫さんはある刑事犯の受刑者と幅80センチしかないベッドに3カ月間共同で使用させられ、寝るときにはいつも横向きの状態のまま寝ていた。

 孫さんは毎日24時間、全室の受刑者に監視された

 第二監区は労働監区と呼ばれ、毎日朝6時に起きて労働現場に行き、午後5時30分まで労働を科している。毎日、現場に着くと全身の検査が行われる。孫さんは強制労働の参加を拒否したため、毎日部屋に戻り、夜9時30分まで拷問の一つである手のひら大の小さい椅子にずっと座らされ、4人の受刑者に監視された。

 2018年5月、刑務所側は「転向」しない学習者を特別な場所に連れて行き、1日中休まずに学習者に転向することを強要した。孫さんもその特別な場所に連れられて行き、法輪功を誹謗中傷するビデオをずっと見せられたが、屈服しなかった。

 2018年6月のある日の午前9時、孫さんの娘(55)は孫さんに面会に行くと、刑務所側に母親を「転向」するように要求された。午後4時になっても、刑務所側は娘を刑務所から離れることを許さなかった。仕方がなく娘が母親に「お母さん、なぜ転向しないの?! 転向しなければ家へ帰れず、このままここにいてどうするのよ」と泣きながら言った。孫さんは「私は真・善・忍を学んで修煉しているから、転向してどうするの!」と言った。

 2018年11月は、刑務所側が法輪功学習者たちに「転向」を強要する強化月間にした。学習者たちは監視役の受刑者に連れ出されてある場所に押し込まれ、強制的に洗脳が行なわれた。孫さんがどうしても「転向」しないため、刑務所側は監視役の受刑者たちまで夜の11時まで寝ることを許さなかった。そのため、監視役たちは孫さんに恨みを持ち、さまざまな手段で孫さんを苦しめた。受刑者たちのむごい体罰を受け、孫さんの視力は急激に低下しいき、文字を顔の近くに持ってこられても殆ど見えず、失明に近い状態にされた。

 また、二監区の教導員の警官は孫さんを「転向」させるために、スピーカーまで使って孫さんを罵り続けたという。

 出所する前日、警官はまたも孫さんに「三書」にサインを強いたが、孫さんはこれを拒んだ。

 2019年4月14日、孫さんはやっと帰宅したという。
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/11/386641.html)
 
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