明慧法会|法輪大法を修煉して 会得して身につけたこと
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 明慧日本2019年6月1日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は香港の大法弟子です。私は大学を卒業してからずっと大紀元で組版の設計と編集を兼職していましたが、2013年から自分の仕事を辞めて、常勤で新聞の広告と販売をするようになりました。最初は真相のチラシから始めて、徐々に媒体(メディア)の経営や全面的に主流社会への販売まで携わりました。この過程で、私は経営、販売への抵抗から、経営者と協力する商談ができるまで、一歩一歩がすべて修煉であり、すべて自己を放下し、全体を成就する過程であると感じました。

 小さい時から父の「商人はずる賢い」という言葉がずっと印象に残っていたため、私はほとんどの商業に対して抵抗感があり、販売することをバカにしていました。師父は「昔から『商いをする者は、十人中九人がずるい』という言い方がありますが、それは常人の言い方です。わたしに言わせれば、それは人間の心の問題です」[1] と説かれましたが、修煉してからも私のこの「商人はずる賢い」という観念は依然として根深かったのです。

 2013年になって、大紀元新聞社の社長から私に常勤で広告と販売の仕事をするよう言われた時、正直言って少し戸惑いました。本来なら設計は私の強みで、十数年にわたって修煉しながら、大紀元で設計の仕事を兼職しましたが、本業の仕事の給料も高く、待遇もよかったのです。しかし、師父は各媒体(メディア)に良性循環ができるように望まれ、私は自己満足と安逸を求める心を放下しなければなりません。このことを通して、師父が私に自分を修めて全体に協力することを教えてくださいました。

 「商人はずる賢い」という観念を打ち破り 常勤で販売する

 広告と販売の仕事を始めた私は、基本的な知識が全くない白紙の状態から、ただ同修たちについて行って、単純に大法の真相を伝えるだけでした。相手が感動する場面もあり、私は人を救った達成感で満足しましたが、契約を結ぶまでにはほとんど至らなかったのです。ある時同僚から、「あなたは顧客を訪問する時に、先生が生徒を教育しているように見える。相手が自分の考えを捨てない限り、聞き入れるはずがないのよ」と指摘されました。

 そうだ、相手の考えが誤っている元を本当に知っているのか? 真相を伝える時、「私が言いたい事」を言うべきか、それとも相手が聞き入れる話を言うべきなのか? これは販売の結果に現れるものだけではなく、私が書く文書や、組版の設計、さらには人と会話する態度にまで現れてくるものです。一方的に自分の言いたい事ばかり言うと、相手が口を閉じるしかなく、そうなると相手が誤解しているところを見つけることができなくなります。媒体(メディア)として、読者の気持ちを無視し、自分の主張ばかりになると、真相を人々に本当に分かってもらえないと思います。同様に、私自身が商業に対する偏った観念を徹底的に捨てない限り、市場や顧客のニーズを掴むことができません。広告収入のない媒体(メディア)にとって、生き残るわけがあるのでしょうか?

 兼職している時から、師父が媒体(メディア)の良性循環について語られる度に、私は精神的に重くなりました。当時の香港の大紀元はまだ正規な管理とかなり距離があり、携わっている同修の間にもまだ隔たりがあり、社会の各方面からの圧力や非難があり、人力、財力も十分ではない状態でした。いろいろな原因で収支のバランスを取ることができず、無料で新聞を配ることにより、ある程度民衆に真相を知らせましたが、主流社会に溶き込むことはできませんでした。長年にわたってこのような状態から脱出できず、頑張っている同修に疲労があり、解決策が見えず、どうしようもできませんでした。

 師父は神韻を立ち上げ、各プロジェクトに参加する同修にお手本を示され、新人の訓練や人を救う形式などから、私たち媒体(メディア)に明白な方向性を教わりました。

 2014年は天相が変わる一年でした。中国全土から腐敗堕落した官僚が次々と捕まり、大紀元の予言を一つ一つ実証し、大紀元媒体(メディア)に飛躍的な発展をもたらしました。そんな時期、社長はある天才の営業マンと言われる同修を私の相棒にさせました。私は自分をゼロにして、スポンジが水を吸収するかのように営業のテクニックを学びました。彼女の営業販売に対する考え方は完全に大法が常人社会で現れるものに合っていると分かりました。私は自己を放下することによって、香港人の伝統文化に対する価値観や世間の普遍的な価値観がさらに分かってきて、それによって主流社会の角度から大紀元の理念と大法の真相を伝えるようになりました。その過程で、私は異なる考え方のある常人の前でも、基本的には落ち着いて相手の気持ちを理解し、スムーズに問題を解決するようになりました。それ以降、毎日の顧客訪問が楽しくなり、国際的なブランドや地域の人気ブランドの広告契約をもらえるようになりました。取引先に真相を伝えることで、われわれに対して敬意を持つ顧客は、他の上場企業の経営者を次々と紹介してくれ、少しずつ主流社会に接することができました。こうしてさらに真相を伝え、一歩一歩大紀元のブランドを樹立していきました。

 仕事が進んでいる中で、私は一つの現象に気がつきました。同修の間にトラブルが起き、内に向けて修めないことがある度に、常人の顧客側が消極的になり、契約が破談してしまいます。ですから、皆さんは何かあった時に、まず自己を放下して同修達に協力するようになります。私たちと接する常人の現れる状態は、みんな私たちの修煉と関りがあり、私たちの修煉状態と物事に対する考え方は、彼らが救い済度されるかどうかに直接影響があると分かりました。

 また、大手ブランドの広告を一度契約した後で、継続できるのはほんのわずかしかありません。原因は二つあります。一つは大手会社の中に、まだ多くの人が真相を知らず、大紀元に載った広告は内部のこの人たちと外部の真相を知らない顧客から、拒まれることが多くあります。大紀元記者がインタビューしても平等に扱われず、主流社会のこの部分の人になかなか接する機会がないため、真相が伝えられませんでした。もう一つの原因は、公安当局が直接顧客の中国国内の会社に威嚇(いかく)したからです。 

 主流社会に深く入り込み、媒体(メディア)を正規な軌道に乗せ、窓際族にされる危機から抜け出すことが必要です。

 ボトルネックを突破して全体の協力により、各コンビニで発売する

 2016年から、香港の大紀元新聞は200箇所の新聞売場で発売し始めました。しかし大手コンビニで発売するには数十万香港ドルの費用がかかるほか、発行会社も消極的なので印刷量を保つために、販売と同時に無料で配るしかありませんでした。大紀元の独立したブランドを樹立するために、大紀元新聞を各真相ポジションで配らないように通知しました。ある時、私は金融区を通りかかる際、ある同修が真相ポジションで大紀元新聞を配っているのを見かけました。私は彼女にそこで配らないようにとえ伝えましたが、彼女からはっきりとした口調で、「そう言わないで、私は配布を絶対にやめません」と言われました。

 その反応に驚いた私は、われわれがまだ全体を形成していないことに気づき、まだまだたくさんの同修がなぜ大紀元新聞を真相ポジションではなく、販売ルートに出すのかを理解していませんでした。今まで皆さんはただ大紀元新聞が真相を伝える道具であり、多く配れば多くの人が救われると思っていました。考え方は間違っていませんが、ただしかし、神韻のように、大紀元を主流社会にリリースさせて、一つのブランドとして市場に立ち上げる必要がありました。

 師父は『大紀元会議での説法』の中でこのように説かれました。「中にはこの新聞をチラシのように作っている人もいました。今はもちろん変わり、皆さんも徐々に、一時的という考えを持ってはならず、この新聞を良いものにし、しかも正規の道に乗せなければならないと認識するようになりました」[2]

 しかし皆さんの考えをそろえて、全体を成すことは容易ではありません。大紀元の管理を正規化することで、同僚たちを一つにまとめることになります。しかし正規化して管理することによって、携わる同修達がただのボランティアから、一会社の社員としての意識を持つように転換する必要があるのです。わずかな報酬ながら、自分の都合によるのではなく、管理を受けること、自分の意見と異なる場合でも、自己の主張ではなく、会社の要求に従うこと、また、同修間にトラブルが起きた時には自己を放下することや、自分の得意分野ではなくても、全力を尽くして協力すること、それに権限と責任を明確にし、自己の言動に責任を持つことになります。

 これらのことはすべての同修にとって、心性の試練であり、圧力に耐える力を鍛える今までにない高い要求でもあります。しかし、大紀元にとって正常な経営状態になるために、必ず通らなければならない道です。これこそ常人社会に足場を築き、大紀元を未来の人に残すことができるのです。

 大紀元の毎日の集団学法、毎週のグループ学法交流はみんなが一つになる保証です。私にとって、毎日の集団学法はとても重要なことです。しかし、自分が心を静めて法を学べなくなったことに気づきました。思想業がひどい時は眠くなったり、他の思いが浮かんできて邪魔されたりして、このままではいけないと思いました。

 2016年の夏、私は集団学法の時に法の暗唱に挑戦し始めました。驚いたのは、完全に集中できた時は第一講の暗唱ができたのです。それから私は集団学法の時に、『轉法輪』をすべて暗唱するように挑戦しましたが、集中できない時は暗唱も進みませんでした。何かうまくいかないことや、ストレスを感じたり、なかなか突破できないことがある時は、法を学んでからすべてが簡単になりました。だから何があっても、私はできるだけ朝の集団学法に参加しました。そうすることで、常に自分が大法弟子だと自覚でき、理性的に関門を乗り越えることができました。

 年始の頃、アメリカから社長の電話があり、大紀元のコンビニ発売を申請するように指示されました。天象の変化なのか、コンビニのバイヤーに電話し真相を伝えると、発売することをいい条件で同意してくれました。

 発売の同意は一つの関門で、実は発行が一番厳しい問題だと知っていました。普通のメディアは発行業者に任せていますが、毎月何十万もかかります。そのため同修たちに、各地域で発行の手伝いをしてもらわないといけません。邪魔を防ぐため、私たちは相手と契約する前は個別の責任者のみに知らせました。発売1週間前にやっと正式契約をし、社長はすぐに佛学会と連絡を取り、その夜には配達員たちとの会議を開きました。同修たちは皆一致団結して、短時間で全香港500軒のコンビニで発売を開始しました。

 正式の発売の直前まで、私たちは店を変更したり、同修の時間や配達する車両の路線に合わせようと努力しました。コンビニの責任者は必ず8時前までに配達するようにと言うので、私たちができるかどうか心配しました。そのため300軒でまずやることを提案しました。しかし500軒ならすべての交通路線上のコンビニだけでなく、一部の住民地域も含まれるので、もっと多くの人々に、大紀元の正式ルートからの発売を知ってもらうことができるのです。発売前の最後の週末、同修皆で予行演習をし、何か問題が発生しないかをチェックしました。

 4月1日、すべての管理者が夜中から配達する車と同行し、全部の配達先を回りました。発行担当の同修はもちろん、発売を知らなかった店との交渉以外に、他の方面でもよくできていました。

 初日は10軒の店に知らせが届いていないために拒否されましたが、2日目からは全部が受け入れてくれました。コンビニの従業員も「2日でここまで順調に運べることは、本当に素晴らしい」と私に言いました。周到に準備すれば、大法弟子は本当に何でもできるとわかりました。

 しかし2日後、コンビニのバイヤーより、たくさんの店や宣伝部門からクレームが届いていると怒り気味の連絡がありました。クレームの原因は様々で、「もしこれ以上のクレームがあると販売を中止する」ということでした。私はとても不安になり、すぐに各地域を担当している管理者と原因を調査しました。調べた結果、一部は誤解で、一部は同修の好意でしたが、主流社会の会社文化を意識していなかったからでした。私はがっかりしましたが、その中には恨みの心もあることに気付き、この状態は間違っていると思いました。

 師父は『大紀元会議での説法』でこうおっしゃいました。「困難を大きく見れば見るほど、問題が難しくなり、相は心から生じるのですから、問題はますます厄介になります。相は心から生じるという言葉にこの意味もあります。なぜなら、あなたはそのことを重く見ており、自分を見下したからです。それをたいしたことではないと思い、人を救うという大きなことなので、行なうべきことをして、心を落ち着かせ、気に障ること、気に入らないことにぶつかったり、聞いたりしても気にせずに、正々堂々と行なうべきことを行なえば良いのです。邪なものに妨害されず、それに動かされなければ、良くない要素は自分のところから生じることはなく、邪悪は微々たるものになり、皆さんは大きくなり、正念が強くなるのです。本当にいつもこの情況です」

 私は内に向かって探し、自分の心配はまさに旧勢力の決めことを承認したものだと発覚しました。常人の会社で働いて、同じようなクレームがあったとしても、どうしてそれには緊張しないんだろうか? 私の心配は相手が中国共産党の圧力や、理解できない同僚と事業主のパートナーの圧力を受け、私たちに販売を中止させることでした。これらの心配はそれを承認したのではないか? 自分の心を収めないと、困難は大きくなります。私はこれらの問題を普通に解決すれば良いのです。

 次の日、電話して事情を説明し、問題の解決策を伝えました。また、「今は始まったばかりなので、お互いに慣れてくると、問題なくスムーズに何事もいきます」と伝えると、彼女も「あなた達が協力してくれることは分かっていますが、今、自分の所はいろんな意味で平和的ではありません」と言いました。彼女が圧力に耐えていると知っています。その後、理解できていない店すべてに電話で事情を聴き、問題を一つずつ解決していきました。

 過去のプロジェクトからも、修煉者の心を保つことができれば、その多くのことは師父がしてくださり、神が手伝ってくださいますので、私たち個人の能力によるものではないと思い知りました。しかしその中には自分の用心や修煉状態、人を救いたい心が現れるのです。

 香港で舞踊コンクールを初めて開催する

 2012年、香港で初めて舞踊コンクールを開催しようとしましたが、中国共産党組織に妨害されました。2016年の初戦もまた中国共産党の邪魔で、2回も急に解約され、最終的には台湾に移るしかなかったのです。2018年再び香港で舞踊コンクールを開催しようと、ある国際機構と契約しましたが、そこも中国共産党を恐れ、開催の3週間前になって解約されました。その後、その機構が香港政府から私たちと協力しないよう脅されたことが判明しました。私たちには諦める思いや怖がる心は一切なく、個人の場所に目を向けました。

 コンクール開催まであと2週間の時、ある香港の有名大学の体育館に空きがあると知りました。私たちは邪悪に発覚されないよう、慎重に事を運びました。中国共産党のスパイは、いろんな所から場所の申請状況を知ろうとしましたが、私たちに見破れました。すべてが台湾開催を目指している時に、実は体育館側と契約をしていたのです。その過程は本当に映画の反間計(はんかんけい・相手の諜報員を逆用してやる計略のこと)より、スリルに満ちたものでした。

 料金支払いの前日、コンクールの場所を変えるように通知がありました。私はすぐに体育館に連絡し、きちんと説明し予約をキャンセルしました。「台湾での開催」が急に本当になったのです。その次の日、また香港でやっていいと言われました。私は唖然として複雑な心境になりましたが、どんな念も持たないよう自分に言い聞かせ、すぐに体育館に再度連絡して場所を借りました。

 そのためなのか、開催の直前までアジア区舞踊コンクールは一体どこで開けるのか、中国共産党には全く対応できなかったのです。開催日の朝、選手やスタッフたちを乗せたバスが体育館に到着しました。開始の2時間前に、ある香港の中国共産党の邪悪な組織が大勢の人を連れて、体育館の外に集まり邪魔をして、中にまで入ろうとしました。体育館の従業員は警官と大学の保安部の人員を数十人も呼び寄せました。この機会に、私は学校と体育館の従業員たちに真相を伝え、コンクール観戦に誘いました。彼らはコンクールを見て、邪悪組織がついた嘘と事実は全然違うと知り、表情が変わりました。その後、保安部の責任者は悪人らが集まっていた外から入って来て、私の前までやって来て「無事に進行できます」と握手しながら言いました。

 この日は大雨だったので、悪人らは一日中外で雨にふられ、ずぶぬれでしたが、私たちは体育館内におり、全然邪魔されずに初戦を無事に終えました。あの保安部の責任者は終わった後に、「自分は立法会で仕事したことがあり、すべての訴訟団体の中で法輪功のことを一番尊敬しています」と私に言ってくれました。それは法輪功だけが本当に平和的で理性的で、そかも不屈だからです。私はそれを聞いてとても感動しました。この命の選択に感動し、長い間、尽くしてきた香港の大法弟子にも感動し、さらには師父の衆生を救うための巧みな按排に震撼させられました。

 帰る時、十数人かの保安部員は私たちと握手して別れ、私たちをバスまで送ってくれました。警官も悪人らが近寄れないように人で壁を作り、私たちが邪魔されずにスムーズに帰れるように手配してくれました。

 この成功は次回の場所を借りる際に、とても良い教訓となりました。その過程で衆生を救えただけでなく、メディア部門の国際的な実力も披露され、同時に、中国共産党やその仲間らを怯えさせました。香港の同修たちと歩んだこの道を振り返ってみると、完璧で修煉しなくてもよい人は誰もいません。誰にも短所はあるものです。伝統文化の教養が足りない人、党文化に満ちた人、他人の党文化を気にする人、自分の基準で他の人に厳しく要求する人などがいますが、しかしその反面、誰にでも長所があります。法の中で自分を法に照らして律し、頑張っていきましょう。自己を捨て法に従い、お互い助け協調し合い、他人を成すことで、旧勢力の按排を否定し、師父がおっしゃった「無私無我の正覚」[3] まで、本当に修めることができると思います。

 師父に感謝いたします!

 同修の皆さんに感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 [2] 李洪志师父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
 [3] 李洪志师父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし

 (二〇一九年ニューヨーク法会の発表文章)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/24/387759.html)
 
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