香港政府の強制送還措置に対する修煉体得
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2019年5月21日】

 (1)香港に入国し突然妨害される

 私は日本国民で、これまで香港に行った時には入国に際して、何の問題もありませんでした。2019年4月24日、香港に到着した後、いつものようにフリークエントビジター(訳注:香港国際空港を多く利用している訪問客)専用通路を通って、税関を通過する選択をしました。パスポートをスキャンした後、指紋入力の際に、自動化装置の出口が開きませんでした。近くにいた香港警察がこの装置の異常に気付いてやって来て、手に持っていた携帯用の端末で私のパスポートをスキャンした後、すぐについて来るようにと指示されました。

 警官たちは香港のイミグレーションの小さな部屋に私を連れて行き、警官は私のパスポートをそのまま持ち去ってしまいました。その間、いったい何の問題があるのかといくつか質問しましたが、誰も質問に答えず、ただ待つようにと伝えられました。約2時間が経ち、自分で預けた荷物を私に引き取らせるために、1人の警官が私を連れて行きました。荷物受け取り所で長いこと待っても、私の荷物は出てきませんでした。

 その後、私はわけがわからないまま、再び香港イミグレーションの部屋に連れ戻されました。しばらくして、1人の警官が私と話をしに来ました。話の内容は非常に簡単で、香港イミグレーションを管理する何らかの条例に基づき、「今回、私が香港に入国することには同意できない」とその警官は私に告げました。「私の入国を拒絶する理由は何ですか?」と尋ねました。「管理条例に基づくもので答えられない」と警官は答えました。この説明を受け入れられず、警官と話そうと試みましたが、拒絶されました。自分の荷物を持ってついてくるように警官に言われ、「どこに行くのですか?」と私は尋ねました。「別の場所へ移動します」と警官が言い、そこにいる者と話ができる、ということでした。結局、警官たちは直接私を搭乗口の近くまで連れて行き、多くの日本の乗客が搭乗を待つ列に並んでいるのが見えました。そして、その場にいた最も階級の高い警官が顔の表情をこわばらせて、「この飛行機に乗って日本へ帰ってください」と私に言いました。この時、私は何の心の準備もしておらず、誰かと話ができ、入国できない具体的な理由を告げられると思っていたのに、私が待っていると十数人の香港警察が私を囲み、私を強硬に日本行きの飛行機に乗せようと準備していました。

 この時、頭の中に「たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないようにしてください」[1] という師父の法が浮かんできました。このように中国共産党に目的を達成させるわけにはいかないと私は思いました。私は携帯電話を取り出し、香港にある日本領事館の電話番号を検索し、その後、電話しました。香港警察は少し緊張しているように見え「何をしているのですか」と私に尋ね、私は「私は日本国民で、日本領事館に電話をします」と答えました。

 列に並んでいる周りにいる多くの日本人が私を見ていることに気づき、これも真相を伝えるよい機会だと思い、電話がつながった後、携帯電話に向かって大きな声で「入国を拒絶され、しかも相手は何の理由も示さず、さらに私の荷物も見つからず、強硬に私を日本に向かう飛行機に乗せようとしているので、受け入れられず、日本領事館に助けを求めたいので、領事に電話をつないでください」と言いました。

 搭乗を待っている日本の観光客たちが皆、私の所の動静に関心を示しており、私の大声での説明内容を聞いて、ある観光客が日本語で囁(ささや)くように「こんなことは、本当に受け入れられないでしょうね」と気の毒そうに言いました。

 日本の領事に電話がつながり、私が述べた状況を聞くと、領事は困った様子で「これは香港の内政問題で、日本領事館は干渉できないのですが」と言われ、私は「今は預けた私の荷物さえ見つかっていない状況で、香港イミグレーションの警察は強硬に私を日本行きの飛行機に乗せようとしており、私は受け入れられません」と言いました。私の説明を聞くと、領事は私に「荷物のことなら何とかできます」と言って、現場にいる警察の最高責任者に、携帯電話を渡すように言いました。領事が電話で警察の担当者と交渉し、警察の担当者の態度が軟化し、私の荷物は現在手続き中で、まず飛行機で日本に返ってもらい、日本についてから航空会社に問い合わせてほしい、と警察の担当者は私に言いました。

 すると、私の後ろにいた数人の警官が私を手で押し始め「歩きながら話してください」と言いながら搭乗ゲートの中へ向かって、強引に私のことを押して行きました。十数人の警官に強引にボーディング・ブリッジ(搭乗橋)に押して行かれ、しかも止まることができず、もうすぐ搭乗口のところまで来てしまいました。

 私は「こんな簡単に飛行機に乗せられるわけにはいかない」という一念を発しました。搭乗口の前で足を踏ん張り、振り返って、私を押している警官に「やめてください! 今、領事と電話しているのですから!」と大声で言いました。

 それでも警官が私を押しましたが、私は動かず、警官は「飛行機に乗ってから電話をすればいいでしょう」と言いました。私は警官をにらみつけ「領事との電話が終わってからでもいいでしょう」と言いました。1人の警官が私の携帯電話を横取りし、スピーカー機能をオンにし「一緒に聞きましょう」と私に言いました。私は警官の手から自分の携帯電話をもぎ取って取り返し、警官に「あなたは日本語がわからないのに、私と一緒に聞いて、何の意味があるのですか!」と言いました。

 この時、航空会社の機長と機内の責任者が搭乗口で私を見ており、私の気勢に震え上がっているような感じでした。搭乗責任者がやって来て「この飛行機に乗って日本へ帰りたいのですか?」と私に聞きました。私は大声で否定しました。するとこの責任者はすぐに向きを変えて、その場の最高責任者の警官と交渉し「この方はこの飛行機に乗りたがっておらず、私たちの条例と規定によれば、この状況下では、この方を乗せることはできません。また私たちの便がまだ飛ばないようでしたら遅れてしまい、申し訳ありませんが、どうしようもないので、我々はすぐに離陸しなければなりません」と言いました。この責任者は言い終わると警官の返事を無視し、すぐに搭乗口を閉め、数分後、飛行機は離陸しました。イミグレーションでの私を送り返そうとする最初の意図は、これで失敗しました。

 (2)警官に真相を伝える

 強引に私を送り返そうとする警官の最初の意図が失敗すると、警官は私をまたイミグレーションの小さな部屋に連れ戻しました。小さな部屋の中に座ってほっと一息つき、最初の関を乗り越え、今は少し時間があり、続いてどのようにすべきかを考えることができました。自分の心がとても平穏であることに、内心驚きました。恐れは全くなく邪悪要素の脅威を始めて体験しました。心に恐れる心が全くない時に、どのような感覚になるのかがわかりました。イミグレーションのすべての空間場をコントロールすることができると感じ、すべては私の意のままになると感じました。師父の法身が私のそばで加持してくださっているのだと思い、きっと師父が私を加持してくださっており、だからこそ、全体の空間場をコントロールできるというこのような感覚があり、師父が私を加持してくださっていることに感謝しました。「修煉の中で、皆さんは良いことに出会っても、良くないことに遭っても、すべて良いことです。なぜならば、それらは皆さんが修煉しているからこそ、現れたことだからです」[2]  を思い出し、「この出来事に遭ったのは、偶然の要素はなく、旧勢力がどのように按排しようとも、師父がこの出来事を出現させて、私を円満成就させるためであり、私にとってすべて良いことなのだ」と私は考えました。

 これからの計画について、私はまだ何の手がかりもつかんでいませんでした。「師父はそばで私の一挙一動をご覧になっており、それならば師父は私にどのようにさせようと考えておられるのだろうか?」と私は考えました。「もし弟子が、はっきりわかるような知恵を持っていなければ、必ず悟らせてくださるように」と私は心の中で師父に求めました。「私が何度も時間とお金を惜しまず香港に来たのは、ただ、ここの人達に真相をわからせるためだけであるのに、今日発生した出来事で、やはり多くの生命がまだ真相を理解していないのだ」と私は考え、心が悲しくなりました。「大法弟子は一切を惜しまず活動しているが、依然として、多くの生命が目を覚ましていない」と考え、心の奥底からくる平和を感じましたが、同時に、声に出せない悲しみも感じました。この悲しみは私自身から来るものではなく、完全にまだ多くの真相を理解できない生命がいることへの悲しみでした。

 ちょうどこの時、さらに階級の高い警官2人が部屋に入って来ました。入ってくるなり、私に挨拶し、私も平和的に応じました。「香港イミグレーションの警官たちも真相がわかっておらず、彼らは私の敵ではなく、私が救い済度しなければならない対象者であるはずだ」ということに、私は突然気づきました。この機会を利用して、警官たちに真相を伝えようと決心しました。2人の警官に私の左右に座ってもらうようお願いし、私は「ちょうどあなた達に話したいことがあります」と言って、友人であるかのように座って話をしました。

 私はまず警官たちに「今回イミグレーションが私を入国させなかったのは、あなた達が私個人に対して何らかの意見があるからですか? 私は何か良くないことをしましたか?」と尋ねました。警官たちは私個人に対して悪い見方は全くしていないと言い、さらに警官たちはただ自分たちの職務を履行しているに過ぎず、私の入国に同意するかどうかについては、毎回異なる基準から考えられるが、これらの考え方と理由は100%他人にはっきりと説明することはできない、と言いました。警官の話を受け私は「香港に来た理由は100%はっきり説明することができ、私は純粋にあなたたち警官を含めて香港の人達に、さらに素晴らしい未来を持ってもらうために来たのであり、私の目を見れば、私が純粋に胸の内を語っていることがわかるはずです。私はあなた個人に対しては全く悪い見方をしておらず、あなたも私と同じだと思います」と言うと、警官たちはうなずき「その通りだ」と言いました。

 私は「あなたはこのような話を聞いたことがありますか?」。そして、警官たちに兵士は銃口を1センチ上に上げる選択をすることができる話をし、この話から、彼らも警官であるが、同様に自分の職務の範囲内で自らの良知に基づいて、最も良い選択をすることができることを警官たちに伝えました。警官たちは何か考えているような様子で、うなづきました。

 警官たちは仕事のために、法輪功という字を直接、提起することができないことを私は知っており、警官たちに圧力を感じさせないようにするために、知恵を以って警官たちに真相を伝えました。どうして私が香港の人たちの未来をこれほど心配しているのか、を警官たちに伝えました。「私は神の存在を信じており、個人個人が善良を保持しさえすれば、災難から遠ざかることができると信じています」と私は言いました。私は警官たちに「2011年日本で東日本大震災が発生した後、被災地域の住民が避難所に避難している際に、4月のすべての週末に、毎日自分で運転して福島県の各避難所を回り、ボランティアをし、無料でそこの被災住民に法輪功の動作を教えました。それは被災された人々の健康状態を改善させるためです」と伝えました。

 ここまで聞いて、左側の警察の責任者が「当時の日本人はみな放射線を恐れており、誰も福島県に行こうとしなかったのではないですか?」と尋ねました。私が言ったのは確かに次のようなことでした。「私が日本に行った後、多くの日本人の助けを受けましたが、ずっと日本社会に報いる機会がなく、あの災難が発生した時、力の及ぶ限りのことをして、被災者を助けなければならないと感じ、それが日本の人々にに報いることになると思ったのです」。左側の警官が私の話を聞くと、思わず「災難が来た時に初めて、その人の品性がどうであるかを最も見て取ることができます」と言いました。

 警官たちが私に話しかけて私の話に同意したのを見て、無神論を固く信じていた私がどうして神の存在を信じるようになったのかを話しました。私は「当時16歳で中国の名門大学に入学し、20歳で大学を卒業しました。その時の私は、当時は中国共産党の教育体制の洗脳下で成長し、当初はかたくなな無神論者で、その後、どうして自分の考え方が変わったのでしょうか?」と話しました。私は警官たちに無神論を打破する真相の内容を伝えました。私は警官たちに「世界中の様々な民族、様々な言語に関わらず、三つの予言が残されており、一つ目は神が人間を作ったこと、二つ目は末世に大災難か大審判があること、三つ目は神が去った後、神は再び来ること。あなた達が考えたことがあるかどうかわかりませんが、なぜ物事がこんなにも偶然が一致するのでしょうか? インドには純度99.9%の鉄の棒があり、現在の人類には作れない、などなどです。これらのすべては現代の西洋実証科学でも解釈できません」と話しました。

 右側の警官が「あなたが言ったことは、以前聞いたことがあり、台湾から来た叔母が、私に話したことがありますが、今回、あなたが話してくれたので本当に耳に入りました」と言いました。

 続けて私は警官たちに真相を伝え、その後、2人の警官は少しの間、部屋を離れました。残りの数人の警官が入り口の所で私を見ていました。私は携帯電話を取り出し、外にメッセージを発信して連絡を取り、関係する同修に直接手短に電話して、自分の状況を知らせました。食事をして体力を温存するように同修も私に提案しました。すぐにメディアに連絡し、中国共産党の行為を暴露しなければならないと提案しました。

 もともと私は絶食して抗議しようかと考えていましたが、これは師父が同修の口を借りて、私にアドバイスしてくださっているのだと考えました。もし体力がなくなったら、中国共産党の強制帰国の意図が目的を達することになると考え、警官に頼んで弁当を買って来てもらい、食べ終わりました。

 同修の協力の下、日本側でもメディアに連絡がつき、私はいったん確実なフライトナンバーと時間を把握し、すぐに同修たちに通知し、同修たちが準備しやすいようにしました。この時、航空会社も私の荷物のことでの対処が終わり、警官たちも朝の飛行機で私が日本に帰れるように手配したと伝えてきました。

 戻った時に、引き続き日本で中国共産党の行為を暴露し、この事件を利用して日本社会に広く真相を伝えなければならないことがわかっていました。日本に戻る前に、ここが共産党が大法弟子を帰らす場所であると考え、発正念を強め、ここに集まっている邪悪の多くが一掃されることを願い、明日以降到着する各国の同修が順調に入国できることを願いました。正念を発した時、師父のご加護の下で、私が発したエネルギーが非常に大きいと感じました。さらに、自分の頭のてっぺんが開かれたような感覚がありました。

 正念を発するのに疲れた時、本を取り出して法を学び始め、少し学んだ後、再び正念を発し始めました。ここで私は自由に動き回ることができ、トイレに行き、水を飲みました。師父のご加護の下、空間場のすべては私のコントロール下にあるかのようで、自分の家にいるかのように気楽に感じました。

 私を飛行機に乗せる時、20人以上の警官がすぐに集まって来ました。真相を伝えた階級の高い2人の警官に笑いながら「こんなにたくさんの人が見送りに来る必要があるのですか?」と言いました。2人の警官も笑っていました。階級の高い警官と一緒に私は一番前を歩き、他の警官が私の後ろにつき、まるで護衛の見送りのようでした。

 搭乗口に足を踏み入れた時、その場にいた階級の高い3人の警官が自ら手を伸ばして、私と握手し別れを告げ、私を気遣いました。真相を伝えた2人の警官に私は「私の話を忘れないようにしてください」と言いました。警官たちは少し考え、その後「ああ」とはっと悟り、兵士が銃口を1センチ上に上げた話だということを理解しました。私は少し考えてから補足して「明日以降、あなたたちの職権の範囲内で最も良い選択を行い、あなた達が出会った人を大切にしてください」と言いました。

  (3) 統制をとって大暴露

 翌朝5時ごろ、飛行機は日本の東京羽田空港に到着しました。同修の協調に感謝し、大紀元、新唐人、さらに常人のメディアの記者も、すでに空港の出口で待っていました。大紀元と新唐人はすぐに相応したインタビュー報道を行い、多言語の報道も含めてすぐにメディアのネットに載せました。

 私もこの機会を利用し、当事者の身分として所属地区の国会議員に電話で連絡して助けを求めました。私が電話した時、ちょうど議員本人が電話に出ました。師父の按排に感謝申し上げました。その議員の提案の下、私は今度は日本の外務省に電話し「法輪功への迫害停止を呼びかけるパレードに参加するために、香港へ行った時、ブラックリストに載せられていたため、香港イミグレーションに強制送還されました」と述べ、「日本国民の個人情報の漏洩(ろうえい)に対して、とても不安に感じています」と強く伝えました。私が強制送還された案件は、すでに保管したと日本の外務省は返事をしてきました。私は外務省と関係部門が協力するように要求し、中国共産党のスパイによる日本国民の個人情報の収集を防止するための応対措置を検討するように要求しました。

 私は駐車場に連絡して停めてあった車を戻してもらい、なぜ早く帰ってきたのかと駐車場の職員から尋ねられ、その機会を借りて香港政府に強制送還されたことを職員たちに伝えました。職員はまじめに私を見ながら「何か悪いことでもしたのですか?」と尋ねました。私は「何も悪いことはしておらず、ただ法輪功を修煉しているというだけで、法輪功は中国で迫害されており、香港政府に強制送還されたのです」と答えました。私の話を聞いた職員は「今の香港はどんどん自由と民主がなくなり、以前とはすでに全く違ってしまった」と感慨深げに話しました。

 駐車場を離れ、帰宅の路上で「今回の一連の経験を通じて、私の修煉状態は以前と比べて大きく異なり、知らない人に真相を伝えられないという固有の観念を打ち破った」ということに私は突然気づき、師父が説かれた「大法弟子にとって、修煉する人にとって、敵はありません。皆さんがやるべきことは人を救うことだけであり」[3] を私は深く認識しました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「シカゴ法会」
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法七』「シカゴ市法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/4/385885.html)
 
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