メディアの中で自らを昇華させながら衆生救い済度する
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文/香港の大法弟子

 【2018年7月4日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は梁燕と言います。1997年に幸運にも修煉を始め、今日ま二十数年も修煉してきた古い大法弟子です。私は大紀元で6年余り記者を務め、希望の声に入ってからすでに5年目になりました。今日は、「誓約を果たし、メディアの仕事の中で昇華し、衆生を救い済度する」について、皆様と交流したいと思います。

 法のために生まれる

 修煉する前、私は体が悪く、小さい頃からずっと薬を飲んでいました。大法を修煉してから、私はやっと健康になりました。修煉当初、はじめて『轉法輪』を手にして、師父のお顔を拝見した時、師父はとても温厚でとても信頼ができる方だと思いました。私はすぐに本を読み始め、3日で一通り読み終わり、更に繰り返して何度も読みました。私は師父が説かれた法理に深く惹きつけられました。実は、本を読み始めた時、師父はすでに私の体を浄化してくださいました。毎回読み終わると、師父は当時私が理解出来る法の内かんを私の脳裏に打ち込んでくださいました。1997年の冬至の日、私は突然大法を修めたいという一念が芽生えました。冬至の日は覚えやすいので、この日は私が法を得た記念日となりました。

 大法の修煉をしてから、すべての大法弟子と同じように、私はかつてない喜びと幸せを感じました。大法の修煉の道を歩み始めると、私は積極的に、楽しく法を広める事に身を投じました。中国共産党が法輪功を弾圧した後、地元の佛学会は様々なパレードをして、真相を伝え、迫害に反対し、中国の同修を救出するイベントを行ないましたが、中にほとんど私の姿がありました。師父のご指導とご加護のもと、私はよろめきながら一歩一歩今日まで歩んで来ました。

 メディアに入る

 2007年9月のある日、私はメディアの仕事をして法を実証する道を歩み始めました。

 当時、メディアの仕事はとても難しく、私にとって、それはもっと大変なことでした。なぜならば、私は性格が内向的で臆病で、人付き合いが苦手だったからです。その上、最初の頃、私は広東語が上手に喋れず、私達のメディア名を名乗っていても、相手が聞き取れず、何回も聞き直され、おまけに私の発音まで訂正されました。当時の私はとても恥ずかしがり屋で、ちょっとしたことで顔がすぐ真っ赤になりました。そして、あの頃、中国共産党のメディアは気が狂ったかのように私達を誹謗中傷し、多くの人は真相を知りませんでした。私達のメディアを取り巻く環境が当然良くなく、私達はほとんど取材をさせてもらえませんでした。時には、同じ業界の人から取材の知らせをもらったとしても、香港の天気が暑く、炎天下で汗びっしょりになってやっと駆けつけたら、取材はもう終了したと言われました。取材も順調ではありませんでした。何度も、私は主催側に呼び出され、どうして彼らのイベントを知ったのかと問い正され、報道してはいけないと言われました。何度も、私はカメラを持ち上げ、写真を撮ろうとした時、カメラレンズが人に手で遮られ、写真撮影を阻止されました。何度も、私は4~5人の市民や取材対象者に聞いても断られ、私の取材を受けてくれませんでした。何度も、私は取材のアポイントメントが取れず、何度も、取材しても肯定的な答えが得られませんでした。当初、他の記者も私達を受け入れてくれず、積極的に私達と話を交わさず、彼らは仲間を作って私達を避けていました。私はいつも孤独でした。その理由は他でもなく、私達は大法弟子が作ったメディアだからでした。

 これらの事に直面した時、私は心性が守れず、その上、経済的にも厳しかったため、いつも苦しくて疲れてとても落ち込んでいました。今から考えれば、本当に恥ずかしいと思いますが、実は私は何度も「脱走兵」になりました。私は昼間にアルバイトして、夜、帰ってきてニュースの編集をして、第一線での取材から逃げました。

 正念を持って難関を突破する

 このように放棄していいでしょうか! ためらっているとき、私は心を静めて法を学びました。メディアの同修も私と交流し、励ましてくれ、「あなたはメディアの仕事をするのは偶然ではありません。もしかしたら、それは師父のご按排かもしれませんよ」と言ってくれました。

 私は、「自分がメディアに入れたのは、きっと当初師父との約束があったからだ」と悟りました。そのため、私は絶対諦めてはならないと思いました! 今直面しているすべての事は、衆生が真相を知らない状況の中で起きた事で、全て旧勢力や邪悪の妨害と阻止によるものだと思いました。修煉者として、今こそ、心性を高めるべきではないでしょうか? 常人と言い争っていいのでしょうか? 彼らは私達が救い済度する相手ではないでしょうか? 彼らの迷いの中での振る舞いこそ、彼らがまだ救われていないからではないかと思いました。

 師父の感化の下、私は気持ちを落ち着かせ、圧力に耐え、自我を放下しました。私は一回また一回、取材のカバンを背負って取材に出かけました。当時、いつも師父の『洪吟』の中の「泰山に登る」という詩で自分を激励しました。

 よじ上る高き階千尺の路
 うねりて険しきこと歩み難し
 首を回せば正法を修するを看るが如し
 天半に停れば得度し難し
 恒心をもって足を挙ぐ万斤の腿
 苦を忍び精進して執着を去る
 大法の弟子千百万
 功成って圓満し高き処に在り

 「恒心をもって足を挙ぐ万斤の腿」はまさしく当時の私の気持ちそのものでした。師父の激励に感謝いたします。正念を持って出かけてしまうと、空が清らかで、体が透き通り、私は燕のように軽やかになって、すべての重荷が一気に吹っ飛んだように感じました。私は一回また一回生まれ変わりました。その瞬間、涙がぽろぽろこぼれました。師父は弟子を励まして下さったのです。

 慈悲で寛容な気持ちで衆生に対応する

 当時のことをお話しするのは、当時の印象があまりにも深く、歩んで来た道があまりにも難しかったからです。社会は私達を受け入れてくれず、私達との間に距離があって、私達のメディアは社会との交流もなかったのです。そこで、「私達はチャンスと突破口を掴んで、彼らに真相を聞いてもらい、私達のメディアを社会に信頼してもらわなければならない」と思いました。

 師父は『大紀元会議での説法』で、「あなたがぶつかったこと、接触したことはいずれもあなたの範囲の中の要素です。あなたの正念が強ければ、あなたは自分の範囲で強くて高くなり、中にある良くないものを抑制することができます」と説かれました。

 師父の教えを心に刻み、私は正念を持って対応しました。彼らが私に報道させなければ、私は電話で彼らに、「これは取材の自由を妨害していることです」と言いました。私の取材を受け入れてくれなければ、私は礼儀正しく、「なぜですか」と聞き、そして「中国共産党の言葉を信じていいのですか?! 中国共産党はたくさんの政治運動をやってきました。法輪功に対する弾圧もそのうちの一つです。弾圧の手段はすべて同じです」と言いました。それから、私はもっと積極的にもっと多くの人に取材をしました。

 当時、中国共産党の大法に対する誹謗中傷によって、多くの人は真相を知りませんでした。時々、取材が終わってから、彼らはかえって法輪功のメディアの記者が取材にきていることにとても好奇心を示し、進んで法輪功についていろいろ聞いてきました。私はその機会を利用して彼らに真相を伝えました。多くの場合、1時間以上話しました。4.25の中南海陳情から、天安門焼身自殺の真相、そして、自分が修煉したあとの体と心の変化、中国共産党がやって来た様々な政治運動、さらに、中国共産党が一歩一歩香港に干渉し、赤化していることを話しました。私は彼らに、「私達は皆中国共産党に迫害されている仲間です。私達すべての人は中国共産党に迫害されています。私達の誰でも中国共産党の抑制から免れる事はできません」と言いました。そして「私達はお金を出してメディアを作り、社会にサービスを提供するとともに、中国共産党の本質を暴き、人々に中国共産党に対する空想を捨てるよう呼びかけています」と話すと、一人、或いは一つの団体が真相を知り、そして、その人、その団体が大法弟子に尊敬の念を持つようになるのです。私達は友人になりました。それからの取材の中で、彼らは私を助けてくれました。彼らは取材の人脈を紹介してくれ、コミュニティの議題を教えてくれました。

 専門知識を高め 市民を心服させる

 情況は次第に変わりましたが、しかし、自分は原稿が上手に書けていないと感じました。私は積極的に、心を込めて取材をしましたが、しかし、常人はやはり私に疑いの眼差しを向け、私に距離を置きました。一度、ある団体の代表者が私と話をしている途中、ある地元の新聞記者がやってきたら、この代表者はすぐに私との話を中断して、その記者に挨拶しに行きました。そして、彼女の文章が上手だとかと褒めました。報道に関する専門知識を高めなければならないと気が付きました。「常人ができることならば、修煉者の私もできないはずがない」と思いました。そこで、メディアの同僚達に助けてもらいながら、私は新聞報道の専門資料を集め、毎回取材が終わると、必ず他のメディアの関連報道を読み、勉強し、彼らの上手な文章や良い言葉をコピーして、繰り返して読みました。場合によって、良い語彙を暗記もしました。毎回取材に出かける時、私は様々な工夫をして、真剣に取材する事件の原因やニュースの論点について下調べをしました。次第に怖くて質問ができなかった私は、質問の聞き方を覚え、自由自在に自分の聞きたい質問や、鋭い質問も聞けるようになりました。私は常人の記者よりもっと多くの力を入れ、現場でメモを取るだけではなく、音声も録音し、そこから最も重要な部分を選び出し、文章に入れました。それによって、より適切に市民の声と訴えを反映するようにしました。

 ある日の朝、前日に取材した民間団体の代表者から電話をもらいました。その時、私はびっくりして、自分の報道になにか問題があったのではないかと心配しました。そこで、私はびくびくしながら「私の原稿はだめでしたか?」と聞くと、彼女は「いいえ、違いますよ! あなたに感謝したいから電話をかけたのですよ。実によく書いてくれました。他のメディアより上手です!」と言いました。私はやっとほっとしました。師父はまたまた私を励ましてくださいました。

 このような事が次第に多くなりました。私も少しずつ彼らに信頼されるようになり、私が知っているコミュニティ団体もますます多くなりました。そのため私はたくさんのソーシャルリソースを持つようになりました。彼らも私達のメディアの創立記念日の時に祝辞を送り、彼らの支持と尊重を表してくれました。このような連鎖反応はいくらかの議員や団体の代表者のところまで広がりました。次第に、私は多くの政治関係の取材の知らせを受けるようになりました。そして、よく議論されている社会問題に関して、私も立法会の議員や活動家、政治家へのインタビューを取り付ける事ができるようになりました。

 私はいかなる機会も逃さずに、民衆との距離を縮め、謙虚な態度で彼らと同じ水平面に立ち、彼らに近づき、信頼を得るようにしました。互いに近づければ、真相を伝える機会が生まれ、それは彼らが真相を知る第一歩となるのです。

 いつでもどこでも衆生のために考え、彼らを善に導く

 香港の主権が引き渡された後、中国共産党は一歩一歩と黒い手を伸ばし、香港の行政、司法、教育システムに干渉し、民主派と活動家を抑制しました。ひしひしと迫ってくる圧力によって、多くの香港の市民は息ができなくなり、とても重苦しく感じました。取材する過程では、彼らは、「私達は数十年も抵抗してきましたが、先がますます見えなくなり、無力感を感じています」と言いました。この時、私はあらゆる可能性を利用して彼らを励まし、そして笑顔で楽観的に、「中国共産党から見れば、私達法輪功学習者は一番の敵ですよ。そんな私達でもここに元気に立っているじゃありませんか? 戦っているじゃありませんか? 皆さんは恐れる必要ありません」と言い、「中国共産党は怖くありません。彼らのいわゆる強大さは虚像に過ぎません。彼らの強大さは政権の不安定と弱さの現れです。善悪には報いがあるのは宇宙の法則です。中国共産党は悪事をやり尽くして、8000万の中国人を虐殺し、私達大法弟子を迫害しました。この債務をこのまま棚上げにするわけにはいきません。中国共産党の命運は尽きようとしています。近い将来、皆さんは彼らの解体と滅亡を見るでしょう。その時、私達は必ず街頭に来てカーニバルをやりましょう」と言いました。これらの話を聞くと、彼らはとても喜んで、「そうですね。どんな事があっても。私達も抵抗しなければなりません。声を上げなければなりません」と言いました。

 私は、「あなた達が声を上げれば、私達は初めて報道することが出来るのですよ。さもなければ、私は何を報道すればいいのでしょうか?」と言いました。民主派の人が抑制され、世論の関心が寄せられている時、私は進んで彼らに「皆さんは孤独ではありません」とメッセージを送りました。彼らは皆大法を支持する衆生ですから、私は彼らを暖かく見守り、彼らに真相を知ってもらい、救い済度しなければならないと思いました。

 こうして、少しずつ私は市民との距離を縮めました。私は時間を惜しまず彼らとコミュニケーションをとりました。法を正す進展の推進により、邪悪はますます迫害を維持できなくなりました。メディアの仕事をする中、私は市民との信頼関係を少しずつ築きました。修煉者としての誠実さ、堂々とした心、率直な態度、そして、「真・善・忍」を修めることによって現れた精神状態は彼らにきっと見えて感じ取れているはずです。取材が多くなると、多くの人は私のことを覚えてくれました。多くの場合、彼らは私に会うと、進んで声をかけ、挨拶をし、冗談も言ってくれました。時には、彼らは看板を高く上げて私に写真を取らせ、また一緒に食べ物を分かち合い、私のことを思いやってくれました。また、私が現場に駆けつけなかった場合、彼らは私のかわりに写真を撮ってくれたり、私を彼らのグループラインに入れてくれたりしました。私は彼らと友人になりました。時には、彼らがまだ取材の知らせを出す前に、私はすでに彼らの活動の準備状況を知っており、また彼らとニュースや事件などに対する考え方も分かち合いました。

 大法弟子の真相拠点に、またパレードをする時、いつも中国共産党の外郭団体の青関会による妨害がありました。私達のグループラインの中に、よく彼らが青関会に対する不満の発言や法輪功を支持する意見がありました。時には、大法弟子がパレードを行なった時、一部の人はその情報を伝え、「法輪功は今、どこどこでパレードをやっていますよ。青関会が妨害しているから、皆さん、時間があれば応援に行ってください」と呼びかけてくれました。ある日、私はある常人の真の普通選挙を求めるデモを取材した時、ちょうど十数人の青関会のメンバーがやってきて、彼らは大法を誹謗中傷する看板を持っていました。デモ隊に参加している人々は彼らと衝突して、叫んでいた掛け声を変え、「法輪功を支持する! 信仰の自由を支持する! 江沢民を審判せよ! 江沢民を指名手配せよ!」と叫びました。

 実は、文章を書く事は身を処すること、修煉することと同じで、マスコミの報道の原則に合致しなければなりません。それだけではなく、どんな目で見られても、私達は大法弟子ですから、謙虚で礼儀正しくしなければなりません。文章を書く時、衆生を晒してはいけません。彼らを困らせてはいけません。さもなければ、私達は取材の原則を失い、彼らを押し出してしまう可能性もあるのです。以前、ある取材を受けた学者とコメンテーターの人は私達の報道にとても不安を持っていました。私は誠意を持って彼らに、「取材を受け入れてくれて、ありがとうございました。私達にはまだまだ学ぶべきところや不足なところはありますが、しかし、私達は必ず努力して、心を込めて文章を書きますから」と言いました。その後、私はいつも共用リンクを送り、彼らからの意見を聞きました。

 大法弟子は、いつでもどこでも衆生のために考えるべきです。多くの中国の人々が取材を受ける時、私は彼らの安全のために考え、まず写真撮影は大丈夫かどうかと聞き、たとえ相手の人が大丈夫だと言っても、私はやはり再三に「しっかり考えてください」と注意を促しました。

 ある中国の記者は汚職幹部を告発することで大変有名になりました。一度、香港で取材をした後、私達はとても意気投合しました。その後、彼は記者会見を開いた時、再び私に声をかけてくれました。私達は友人になりました。彼は私に多くの汚職幹部の内部情報を暴露してくれたため、私は数篇のスクープを書きおろしました。しかし、私は決して彼の実名を明かさず、彼に「スクープのためにあなたを傷つけてはいけないから」と言いました。私達は信頼関係ができて、彼は大法の真相をとてもよく理解してくれました。

 多くの場合、私は彼らに「最も困難で危険な時、『法輪大法は素晴らしい』と念じてください」と言っています。そして、彼らに「これは最高の祝福です」と告げました。

 毎回取材に出かける時、私はできるだけ法を学び、、自分の心理状態を調整し、正念を発して現場を一掃します。そして、取材の過程では、私は「真・善・忍」の態度をもって同業者に対応し、時には彼らに写真撮影の場所を譲り、彼らが助けを必要とした時、彼らを助けました。資料をもらったり、或いは取材の知らせを受けたりした場合、私は皆と一緒に分かち合いました。今、同業者ととても良い関係を築き、メディアの仲間が出来ました。私達はいつも一緒に取材に出かけ、とても仲良くしています。

 師父は『洪吟二』の「阻む無し」の中で、「修煉は路同じからず すべて大法の中に在り 万事執着無ければ 脚下に路自ずから通ず」と説かれました。 十数年間のメディアの仕事は、困難で紆余曲折の日々が多かったのですが、師父の励ましとご加持の下、私は様々な困難を克服して前進してきました。法を正す進展の推進により、世間の人々はますます真相を知り、常人のメディアの影響力が次第に弱まり、私達のメディアの影響力がますます強くなりました。今、私達は様々な取材の知らせを受け取っています。また、いろんな団体は進んで私達の取材を要請し、社会の有名人も、政治要人も、法輪功学習者が作ったメディアの存在を知るようになりました。私達は師父のご指導の下で前進しており、私達の未来は明るいのです。振り返って考えれば、感無量です。師父の導きに感謝します。メディアで法を実証する機会を与えて下さったことに感謝します。私はメディアの仕事をしながら成長しました。

 最後に、師父の『洪吟二』の「金剛の志」のお言葉をお借りして、同衆達と分かち合いたいと思います。「衆を迷わせて各々乱れを示し 巨大危険されど緊迫を知らず 炸裂前に私は全力で挽回し 爛鬼 の禍害をなぜ許す 志の念は金剛を超え 洪微は是我が做す」

 師父に感謝いたします! 同修に感謝いたします!

 不足なところがあれば、同修たちの慈悲なるご叱正をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/6/27/370286.html)
 
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