くれぐれも お正月気分にならないように
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文/中国の大法弟子

 明慧日本2019年6月30日】師父は今年のニューヨーク法会で「皆さんにはっきりと教えますが、師父は当初、今年迫害を終わらせると決めていたのです。(皆が熱烈に拍手する)前期と後期を合わせて20年です」 [1] と説かれました。

 地元の多くの同修はそれを読んでとても興奮し、他の同修に会うと「あなたはどう悟っていますか? 今年中に終わりそうですか?」と聞き、また一部の人は「早く自分を修めましょう。今度は、本当に帰ることになりそうですね」と浮き浮きしていました。皆はいろいろと推測したり期待して、まるでお正月前に、正月用品を用意したり、爆竹を買ったり、洋服を新調したりするような気分になりました。

 このような心理状態はよくないと思います。古代の小道の修行でさえ、このような考え方はしなかったでしょう。これは大きな私心です。大法弟子には使命があり、人を救い、法を守るのは、我々がこの世に来た最大の願いです。法を正すのは確かに終盤になりました。しかし、まだ多くの衆生が救われていません。私達が皆行ってしまえば、残った事を全部師父に押し付けてしまうのでしょうか? 「やっと終わった。やっと楽になりそうだ」と言う考え方は正しくありません。

 この間、地元では次の事が起きました。

 以前、協調人が提案した真相USBメモリを制作することに対して、同修たちの意見が分かれました。その上、一つのUSBメモリを購入するには二十数元がかかり、2000個を作るには、4万元の費用が必要となり、経費がなかなか集まらなかったため、この件はそのまま棚上げになってしまいました。今回、師父は「師父は当初、今年迫害を終わらせると決めていたのです」 [1] とおっしゃいました。協調人は皆と交流した時「迫害は今年中に終わりますから、早く着手しましょう」とプロジェクトの再開を呼びかけました。

 協調人は「師父は今年中に迫害が終わる(師父の御言葉通りではない)とおっしゃいました。皆さんはお金を貯めてどうするのですか? 今使わなければ、将来もう使うチャンスがなくなります。お金って、将来、紙くず同様になりますからね! くれぐれも後悔しないようにしましょう」。このような「交流」を通して、一部の人は開き直りました。ある同修は「誰にも数万元ぐらいの貯金はありますから、早く引き出さなければ、将来本当に紙くずになりますから」と言い、また、ある人は「お金はもう使えなくなりますから、早く使い切りましょう」と言い、また、黙っている人に「人間になりたければ、ここに残りなさい」とか、「プロジェクトにお金を出さなければ、常人になってしまうわよ」と言う人もいました。言葉から同修の修煉状態とそれぞれのいる次元が見て取れました。

 個人的な考えでは、USBメモリのこのプロジェクトはやっても構いません。しかし、平穏な気持ちで、しっかり計画を立てて冷静に、また、理性的にやらなければならないと思いました。以前、師父は中国国内の同修の海外での党文化の振る舞いについて、おっしゃった時に「地元にはそのような人はいないだろう」と考えました。今度のことを通して、地元同修の党文化がまだまだ根強いと痛感しました。USBメモリの件について、皆さんの考え方は「やるなら、勢いよく進めて行こう」と極端でした。一部の同修は「USBメモリはとても有効的な提案で、大量に作るべきです。まず数万個を作って人々に配りましょう」と言い、また、一部の人は「もうすぐ終わりますから、早くお金を使い切りましょう」と言いました。まるで「今日が過ぎれば、明日はもうやってこない」というような考え方でした。

 また一部の同修は協調人が提案したこのプロジェクトに、もともと異議があって協力もせず、お金も出さずにいましたが、今は態度が大きく変わり、とても協力的になりました。しかし、このような協力は法を師にしているわけでもなければ、心性が高まってからの協力でもなく、ただ、師父がもうすぐ終わるとおっしゃったことを断片的に理解し、急いで協力して威徳を積もうとしていました。同修よ、協調人が極端に走るならば、あなたも調人について極端に走るのですか? 法に則って修め、自らの意見をしっかりと持たなければならないのではないですか?

 師父は「大陸の人は何かを行なう際、何でも極端、極限、限度ギリギリまでやらないと気がすまないのです」 [1] 、「皆さんは中国大陸で養った習慣によって、記事を書くにしても何かをするにしても、過激的になり、あのやり方、あの考え方は国際社会の人には受け入れられません」 [1] と説かれました。このような極端なやり方は常人に理解してもらえないだけではなく、法を破壊することにもなりかねません。

 師父は2002年の説法の中でも「終了する」と説かれ、この数年の説法でも説かれ、今度、師父はまた「終了する」と説かれました。個人的な浅い悟りでは、師父がおっしゃった「終了する」と言うのは、弟子たちの時間に対する執着心を試されており、そして、弟子たちに遺憾を残さないように注意喚起を促されていると理解しました!! もし今年中に終わらなければ、あなたは喪失感を感じますか? 後10年経っても終わらなければ、あなたはまだ自信を持って修め続けますか? もし終わるという事が全くなければ、あなたはまだこの法を素晴らしいと思い、修め続けて行こうと思いますか? 修煉者の目的は一体何でしょうか? 私達は師父の立場から、また、大法の立場から問題を考えなければなりません。言動が法に則っていれば、初めて大法の一粒子になれるのです!!

 個人的な浅い見識ですので、同修達の慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/6/7/388356.html)
 
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