廖健甫さんは雲南省第一刑務所で迫害死
■ 印刷版
 

 【明慧日本2019年3月31日】四川省攀枝花(はんしか)市の法輪功学習者・廖健甫さんは2018年7月、雲南省第一刑務所第十一分区に送り込まれた。その後、家族は2回、廖さんと面会した。廖さんの血圧が240mmHgになって、脳梗塞の症状も現れ、危篤状態になっていることを知った家族は、刑務所側に治療のための仮釈放を何度も申請したが、許可されなかった。そして、2019年3月19日夜9時、廖さんは刑務所で亡くなった。享年65歳である。

 中国共産党が1999年7.20から法輪功への凄まじい弾圧を開始した。19年来、法輪功を学び続けていた廖さんは数回にわたり、連行されて拘禁され、残酷な迫害を受けた。2000年12月7日、廖さんは職場で攀枝花市公安局の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)と東区公安分局の国内安全保衛部門の警官らに連行された。そして、2002年1月15日、攀枝花東区裁判所は廖さんに懲役8年の実刑判決を宣告し、廖さんを四川省徳陽刑務所に収容した。この徳陽刑務所で廖さんはさまざまな残忍な拷問を受けた。2009年、廖さんは出所したが、仕事を解雇されたため生計を立てなければならず、成都市に出稼ぎに行った。しかし、仕事をして2日目にまた連行され、成都市留置場に拘禁された。2011年8月26日、廖さんは成都市武候裁判所に懲役2年6カ月の実刑判決を言い渡された。

 2016年5月12日、廖さんは攀枝花市の法輪功学習者・宋南瑜さん(70)、付文徳さん(70歳)、雲南省華坪県の法輪功学習者・周富明さん(60代)の4人は華坪県で「法輪功が素晴らしい」と書かれた紙を貼ったり、法輪功の写真などのパネルを掲げた。

 そのため、2016年10月11日、宋さんと付さんは華坪県公安局の警官らに連行され、家宅捜索を受けた後、華坪留置場に拘束された。その翌日、廖さんも華坪県公安局の警官らに連行され、華坪留置場に送られた。

 その2週間後、宋さんと廖さんは解放され、付さんも11月7日に解放された。周さんは寝たきりの妻の介護のため、拘束されなかった。

 2017年7月24日、公安局はこれら4人の案件を華坪県検察庁に差し出したが、9月7日と11月6日、検察庁は証拠不足という理由で2回とも、4人の案件を差し戻した。同年12月4日、華坪県検察庁は4人の案件を玉龍県検察庁に移した。その後、玉龍県検察庁は4人を玉龍県裁判所に起訴した。

 玉龍県裁判所は2018年3月22日、廖さんら4人に対して不当な開廷をした。裁判の前に、裁判官は4人の家族や親族、弁護士に対して不当にも身体検査をした。この違法行為に弁護士は強く抗議した。

 法廷で廖さんは「法輪功への取り締まりは、江沢民個人の意思です」と自己弁護をしたとき、裁判官に「後で俺らが読むから、もう読まなくていい」と中断させられたが、それでも、廖さんは読み続けた。

 廖さんは「司法関係部門は公平公正に罪があるのかないのか証拠を収集しなければなりません。ここで法輪功が邪教ではないという事実を述べたいのです。法輪功の発展状況と法輪功の紹介から見れば、法輪功が邪教ではないと証明できます」とここまで読み上げたところで、裁判官に「後で俺らが読むから、読むのを止めなさい」と再び中断された。しかし、廖さんは「自ら読み終えないと、無罪を証明できません。私にとって不公平なことです」と述べた。

 廖さんは「法律の実施を破壊した」と問われた罪に対して、刑事訴訟法の第48条の規定に基づき、その罪を証明できる証拠を出してほしいと要求したが、再び裁判官に「これ以上やめなさい」と止められた。

 9ページにわたる自己弁護を書いたが、廖さんはその四分の一しか読むことが許されなかった。しかも、玉龍県裁判所は何の法律の根拠もないまま、廖さんに懲役4年の実刑判決と罰金3000元、宋さんに懲役3年6カ月の実刑判決と罰金3000元、周さんに懲役2年の実刑判決と罰金2000元、付さんに懲役3年6カ月の実刑判決と罰金3000元をそれぞれ下した。

 2018年8月21日、廖さん、付さん、周さんの3人は雲南省第一刑務所に収容され、宋さんは第二刑務所に収容された。その後、迫害によって廖さんは危篤状態になって、家族は治療するための仮釈放を強く求めたが、許されなかった。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/3/23/384232.html)
 
関連文章