同修を亡くして考える 私は本当に助けたか
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文/湖北省の大法弟子

 【明慧日本2019年8月15日】同修のAさんが亡くなった知らせを受けて、内心はとても悲しいです。私とAさんの付き合いは少ないのですが、以前、Aさんは私を助けてある大法のプロジェクトを新たに作り上げ、そのプロジェクトを私は数年間続けました。Aさんの助けに感謝しています。Aさんが修煉の道を最後まで歩むことができず、師父の苦心と衆生の期待に背いたことを非常に惜しく残念に思います。

 Aさんが病気になったことを知り、見舞いに行ったことがあります。2017年の夏、入院中のAさんは私に十数人の「三退」名簿を渡しました。その年の秋のある日、座禅をして恍惚としていた中で、同修がAさんの部屋から出て私に「Aさんは死んだ」と教えた光景を見ました。私はすぐに恍惚とした状態から目覚めましたが、その事を誰にも教えませんでした。

 2018年春、私はAさんを見舞いに行き、Aさんに「死ぬことが怖いですか。師父をかたく信じていますか。捨て身になって生死を放下する覚悟が出来ていますか」と聞くと、Aさんは何も答えず、部屋の中はひっそりと静まりかえっていました。

 私はまた「人間はいずれ死ぬので、死は怖いものではありません。私たち大法弟子は師父のご加護があるので、病魔や死を恐れる必要はありません」と言いましたが、Aさんは依然と声を出しませんでした。

 外に出て真相を伝えることができない現状に、Aさんは焦ったことがあるので、私は「外に出て真相を伝えることができないことを焦らないでください。あなたが回復することが何よりの真相です。しっかり学法煉功して、早く回復すれば、それは何よりも有力な真相です」と言いました。Aさんは、立ち上がって煉功する気力もないと言うので、私は「たとえ体を壁に寄りかけても、煉功しなければなりません」と言いました。また、多くの同修が見舞いに来て、よくAさんに「内に向けて探そう」と言ったので、Aさんの精神的プレッシャーが大きくなったのを心配して、私は「今の段階で、内に向けて探すことは二の次にして、まず学法と煉功をしっかり続ければ、必ず奇跡が現れます。大法にはできないことはなく、師父にできないことはありませんが、修煉者として、あなたはまず法に従っていることが前提です」と話しました。Aさんは頷きました。

 Aさんと別かれる前に、私は再三「よく学法と煉功をしましょう」と言い聞かせたのですが、意外にも、それっきりで彼女は亡くなりました。

 修煉の道を最後まで歩むことができずに、逝ったAさんは今きっと痛恨しています。一方、彼女の周囲にいる私たちは、彼女のために助けの手を差し伸べたでしょうか。彼女の死について、私たちは何か責任を感じませんか。何か反省するところはありませんか。情況が詳しく分からないので、むやみにほかの同修の行ないを評することはできませんが、私自身はAさんのために「最善を尽くした」といえますか。命の最後の時期にAさんは同修たちに何をして欲しかったのでしょうか。私たちの心はだんだん冷たくなり、利己的になり、自覚しなかったのではありませんか?

 同修が一人一人と逝って、残った私たちの心が痛みますか。自分自身を責めたことがありますか。同修が病気の状態に陥る時間が長くなると、周囲の私たちは、彼を助ける情熱と意志がだんだん緩むのは事実です。師父は弟子一人一人を大切にしておられるのですが、私たちは周囲の同修を大切にしているでしょうか。同修のことを自分自身のことのように尽力しましたか。修煉者としての慈悲と善を同修のためにどれぐらい捧げましたか。周囲の同修と一つの全体になったのでしょうか?……。

 弟子を一人一人亡くして、師父はきっと心を痛めておられます。私たちは反省して、同修を大切にし、自分自身を大切にし、良く出来なかったことを改めなければなりません。

 師父は「実は私が皆さんに教えたいのは、皆さんの生命は大法のためにやってきたということです!(弟子の皆さんが熱烈な拍手を送る)他に選択肢はありません。本当にないのです! これは大法弟子の場合です。常人の場合、六道輪廻し、各界で転生しますが、皆さんはそれができなくなるのです。皆さんは大法以外、何もやるべきことはありません。ですから、しっかり行なわなければ、あなたを待っているのは悔いしかありません。特に古い大法弟子は緩まないでください。それほど困難な歳月を乗り越え、今日まで至り、なんと大変だったのでしょう! 大切にしないのですか? 私まであなたを大切にしているのです! 神まであなたを大切にしているのです!(弟子の皆さんが熱烈な拍手を送る)ですから、なおさら自分自身を大切にすべきです」[1]、「すでに法を得ているため、あなたという生命はすでに大法に属しています。捨て身になって正念をもって正しく行ない、師父の言う通りにすれば良いのです」[1]とおっしゃいました。

 『二〇一八年ワシントンDCでの説法』が発表されてから、私はすぐ上記の二つの部分を暗記しました。「師父は私を大切にされ神々も私を大切にしているので、私自身も自分を大切にしなくてはなりません。私の生命は大法に属したので、肝心なところで捨て身になって師父の言われた通りに行わなくてはならない」とよく自分に言い聞かせています。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDCでの説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/22/374127.html)
 
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