ニューヨーク法会|大切にすることの本当の意味
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文/ニューヨークの大法弟子

 【明慧日本2019年8月19日】

 尊敬する師父、こんにちは。同修の皆さん、こんにちは。

 私は、大切にすべきものを大切にすることが分かり、それができる人間だと私はずっと思っていました。しかし去年、人生最大の難関に遭遇してから、「大切にする」ことの本当の意味がはじめて分かりました。そこまでの人生の中で「大切にする」ことに対する理解は、実はとても浅はかなものだと分かりました。

 2017年11月19日、授業中にとんぼ返りをした時、足のアキレス腱を切りました。当時、とんぼ返りをして着地をした時、もっと力を入れて着地しようと思いました。しかし着地した瞬間、アキレス腱から激痛が伝わってきて、まるでかかとがナイフに刺されたようでした。地面に転んだ私は顔を上げた時、まず目に映ったのは先生の驚いた表情で、周囲を見ると、教室の中のクラスメートもみんな同じ驚いた表情をしていました…。私は立ち上がろうとしましたが、足はまるで自分の足でなくなったように、全く私の思うとおりに動けません。私は自分に「大丈夫だ、大丈夫だ」と言い聞かせて、師父にご加護をお願いしました。

 神韻巡回公演に影響が出ないように、事務所は私に手術を手配しました。荷物を整理した時、私はずっと心の中で「私は旧勢力の按排に従わず、師父の按排だけに従う」と自分に言い聞かせると同時に「自分は回復できるのか、これから踊れるのか、神韻芸術団に復帰できるのか」という不安もありました。ちょうどその時、事務所は電話をかけてきて、私の情況を尋ねました。私は「私は何も恐れませんが、神韻芸術団に戻ることだけが私の願望です」と言うと、電話の向こう側で「大丈夫です、必ず戻ってもらいます」と言いました。その言葉は私に大きな自信と勇気を与えてくれました。

 病院の診断によると、私の怪我はふつうの情況と違うようでした。アキレス腱が切れる時、ふつう、真ん中にひびが入って切れるのですが、私のアキレス腱は骨から離れたのです。そのため、アキレス腱を引っ張って、釘を使ってアキレス腱を骨に固定する必要があります。手術の後、私は歩けず、松葉杖を数カ月使いました。簡単な動きでも私にとってとても難しくなりました。その間、毎日座り込む私はよく内に向けて探し、顕示心、嫉妬心などが見つかった後、最も強い執着心は情に対する渇望だと分かりました。私はもうすぐ成年になるので、頭の中でよく将来のこと、結婚などを考えていました。結婚の念が浮かんだらすぐ自分に「まだ未成年なので、こんなことを考えるべきでない」と言い聞かせますが、しかし次回、また結婚の念が抑えきれずに浮かびました……。また、以前、女子生徒に会ったら、進んで話しかけないように気を付けていましたが、撮影チームを手伝った時期によく女子生徒と協力し合うため、だんだんと自分に対する要求を緩めました。そのため、旧勢力に隙に乗じられて怪我をしたのだと思います。

 療養期間に、すべての執着を放下して、より修煉に励もうと私は決心しました。数カ月常人社会に戻り、きっと執着心を引き起こす要素が周囲に充満しているので、修煉の意志を緩めてはいけないと覚悟もしています。そこで、私は毎日『轉法輪』を2回読み、1回は父と一緒に学んで、もうい回は自分で学んで、毎日五式の功法もちゃんと煉功します。立てないため、2時間の煉功は全部座ってやりました。以前、芸術団にいた時、多くの場合、私の学法は形だけのものになってしまい、読んだ内容が頭に入っていませんでした。今はゆっくり読んで、一文字も一文字が頭の中に入り、以前理解できなかった多くの法理が理解できました。

 数カ月経って、ふつうに歩けるようになりましたが、私の人生観はとても消極的になりました。以前、よく休憩時間が少なすぎると愚痴りましたが、今は、毎日気の向くままに時間を支配できるようになりましたが、全然楽しくありません。ほかの大法弟子は衆生を救い済度するために努力しているのに、私は何もできません。

 最も消沈していた時に、3人の学友はずっとメールで私を励ましてくれ、おかげで私はだんだん楽観的になり、この数カ月を無駄にしたくない、何かしたいと思いました。毎日の学法と煉功をしっかりした上で私は神韻公演の宣伝活動に参加し、公演中に楽屋で手伝いをして、中国語を学び、舞踊の動画をたくさん見て、撮影を学び、パフォーマンスの授業も受けました。

 神韻公演中に楽屋で手伝う中で、多くの感銘と啓発を受けました。私は14歳で神韻芸術団に入団して、師父がそばにいらっしゃることに慣れ、それはごく自然なことになっていました。しかし、地元の学習者の一員として楽屋に行くと、皆は師父に会ってどれほど興奮するかをはじめて知りました。神韻公演は師父の指導の下で運営されているため、地元の学習者は神韻芸術団の団員にとても友好的で親切で、神韻公演を最も重要なことのように思い、自分の寝食よりも重要でした。楽屋でそのような例をたくさん見て、私は地元の同修をとても敬服しました。以前、私はよく「疲れた、つまらない」と文句を言っていましたが、その時の自分は本当に神韻を大切にすることがまだ分かっていませんでした。

 私が所属する団もロサンゼルスに2回来て、団員に再会した私は多くの感銘を受けました。芸術団にいた頃、周囲は全員大法弟子であり、しかもほとんど同年齢のクラスメートであり、その修煉環境はどれほど貴重なのか、当時はまだ分かっていませんでした。ロサンゼルスの実家で療養する時期、周囲は両親以外は全部常人です。常人と交流して友達になることもできますが、しかし常人との交流はとても浅いレベルにしか留まりません。一方、芸術団の仲間と一緒にいる時、私たちには同じ夢、共通の目標があって、そこで受けた感銘は唯一無二のものです。クラスメートと喧嘩をしたことを思い出すと、とても恥ずかしくなりました。

 数カ月経って怪我は6、7割ぐらい回復して、跳ぶことや、とんぼ返り以外の基本的な舞踊動作をするには問題ありませんでした。私は事務所に連絡して、芸術団に復帰していいかを聞くと、しかし彼らの回答は「まだ決めていない、もう少し待って」でした。その時、世界巡回公演はもうすぐ終わって、次年度の巡回公演の準備もそろそろ始まるのです。芸術団に戻れるのか、もし戻れなかったら、これから何をすればよいのかと心に不安でいっぱいでした。母は「心を落ち着かせて。戻れるかどうかが重要ではなく、一番重要なのは今後もしっかり修煉を続けることです。どこまで行ってもあなたは大法弟子です」と言ってくれました。多くの執着心を探し出して、全てを師父の按排に任せようと思って、私の心はだんだん平穏になりました。それから、校長先生から私の復帰を許可するという電話をもらいました。復帰して芸術団に戻ったら、過去の数カ月の生活はまるで夢のようでした。師父に会った時、嬉しくて、それは夢ではないかと信じられないほどでした。

 今、困難に出遭ったら、怪我をした時期の辛さを思い出そうと私は自分に言い聞かせています。舞踊を練習してだんだん力を失ったら、歩くことさえできない時の自分を思い出します。クラスメートとまた喧嘩したら、一人で家にいる時の孤独感を思い出します。修煉を怠ったら、師父の慈悲を思い出します。

 アキレス腱が切れることはダンサーにとってとても悲惨な事だと思われるかもしれませんが、私にとって、それは悪い事ではありません。その経歴があったおかげで、いろいろ内に向けて探すことができ、自分の本当の修煉状態を見極めることができ、更に重要なのは、「大切にする」ことを覚えました。

 その数カ月の難関を乗り越えることができたのは、芸術団の先生たちの思いやりと激励のおかげで、両親とクラスメートの応援のおかげで、更に重要なのは、大法に対する信念のおかげです。私は大法をかたく信じ、大法は円容不破の存在であり、悪い事を良い事に変える力を持つと私は信じます。

 師父に感謝します。

 神韻に感謝します。

 同修の皆さんに感謝します。

(2019年ニューヨーク法会の発表原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/23/387728.html)
 
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