我が家族3人は全員同修で 互いに協力し合う
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 【明慧日本2019年8月24日】私の父は迫害前から修煉を始め、私と母は2008年に修煉の道に入りました。しかし私達が真に修煉を始めたのは、2011年からでした。この10年足らずの修煉の中でお互いに支え合い励まし合って、師父の慈悲なるご加護の下で数えきれないほどの奇跡を体験しました。今回、いくつかの例を挙げて皆さんと分かち合い、師父にご報告させていただきます。

 一、師父の手助けにより 私達の難題が解決する

 母は学力がなく、修煉を始めるまでは家庭の都合で若い時から一生懸命に仕事をし、そのために身体を壊して多くの病気に罹り、短気で強い性格になりました。しかし、これらは修煉後に全て変わりました。

 身体が健康になれただけでなく、利益に対しても淡白に見るようになり、修煉や衆生を救うことに全身全霊で身を投じました。母の収集力と師と法を信じる度合が並大抵ではなく、私は心から母を尊敬しました。

 ある日、母は当地区のパソコンの技術を担当することになりました。しかし、母はローマ字が読めず、これまでにパソコンやプリンターを触ったこともありませんでした。私は幼い頃、よく次のような一幕を目にしたことがあります。母は故障したプリンターを解体して途中でお手上げになり、師父の写真の前に行って跪き、師父に助けを求めました。その後現場に戻ると、いつの間にかプリンターが直っていました。具体的にどのように直したのか、母もよくわからないと言っています。これは間違いなく、師父の法身が母の手を使って直したと思われます。その当時、パソコンを修理できる人がいなかったので、母は自分で手探りで修理していました。このようにして母は他の同修と一緒に、故障した20台のパソコンとプリンターを直しました。師父の手助けにより、大きな損失を避けることができました。

 早い時期から少人数の同修が明慧ネットから真相資料をダウンロードし、それをUSBメモリを使って互いに資料を回していました。回しているうちにUSBメモリが紛失してしまい、誰のところで紛失したのか分かりませんでした。衆生を救う進展を遅らせないために、新しいUSBメモリを購入しようとしましたが、母はいつものように誠心誠意に、USBメモリが見つかるように師父にお願いしました。USBメモリの中に大法の資料が入っており、常人の手に入ってはいけないので、例え紛失したとしても、師父が見つけてくださると母は固く信じていました。そして、師父は本当にまた助けて下さいました。師父の写真にお供えする果物皿の中に、そのUSBメモリがありました。この時、私たちは大喜びして、師父が常に私達の傍で、見守って下さっていることを強く感じました。

 二、師父のご加護により危険から脱出する

 家族3人で毎週一緒に真相資料を配りに行きました。その時私は10歳で、父が運転するバイクの前に乗って発正念し、母はバイクの後ろに乗り資料を配る担当で、私達はそれぞれの役割を明確に決めていました。そして街や近隣の村に真相資料を配りに行き、1年中このようにして行なっていました。

 中国の東北地方の冬は日が暮れるとより一層寒くなり、寒さをしのぐために私は父のダウンジャケットを羽織り、寒さに耐えていましたが、それでも道中で手足の感覚を失っていました。でも家に戻るとすぐに手足の感覚が戻り、凍傷になることはありませんでした。子供と一緒に資料を配ると、人から見られている時、親戚を尋ねているのだと思われるので、そのおかげで何回も危険から脱することができました。

 冬のある日、夜中の23時頃に資料を配り終え、帰り道は照明灯がなく暗闇で、私たちは道端の蓋をしていない井戸に全く気づきませんでした。私が気づいた時は、バイクがすでに井戸の縁にのし上がり、傾きかけていました。この時、父の片足は井戸をまたいで反対側の縁で踏ん張っており、私が下を見ると井戸の真上だったので、井戸に落ちないように私はバイクのハンドルをしっかりと掴みました。後で両親は井戸があることに気付いていなかったと言いました。しかし私の視覚には、バイクの前輪が今にも井戸の中に落ちそうになりましたが、その瞬間に井戸を越えて向こう側の井戸の縁に移動していました。これは師父がまた助けて下さったことを私は知っていました。

 私達は3回の交通事故に遭いましたが、いずれも無事に乗り越えることができました。ある日、街を歩いていた母に向かって、1台のバイクがまっすぐに突っ込んで来て、母まであと10メートル足らずの距離で急ブレーキをかけ、運転手は母の近くまで投げ出されました。しかし母は怪我もなく、何が起きたのか当時わからなかったそうです。

 またある日、1台の乗用車がバイクに乗っている私達に向かって走って来て、ギリギリの所でかわして通り抜けましたが、車はその勢いで溝に落ちそうになりました。

 さらにある日、母はバイクに乗って転倒し、そこに1台の大型トラックが母の脇のギリギリの所を通り過ぎて行きました。これも師父のご加護がなければ、母はトラックの下敷きになっていたに違いありません。

 師父は『轉法輪』の中で、こうおっしゃっていました。「われわれのやっているこのことには、間違いが許されません。本当に正道によって修煉すれば、誰もあなたを勝手に傷つけたりすることはできません。それにわたしの法身に守られているので、何の危険も起こらないのです」[1]

 私達はこれらの危険に遭った時、恐怖を感じていませんでしたが、後になって、幸運にもこれらの災厄から逃れた時に喜びを感じ、師父に深く感謝いたしました。

 三、最も正しいことを行ない 中学入試を無事合格

 2015年江沢民を告訴する大潮流が始まり、私達も交流して、江沢民の告訴に参加することにしました。父は明慧ネットで法律に関する資料を調べ、私達は告訴状を書き上げて発送しました。そして、他の同修達の告訴状も手伝いました。この時、ちょうど私は中学校入試の直前でした。父は、毎晩同修の告訴状の作成を手伝い、私はその告訴状をパソコンで文章にまとめていました。私達は時間を大切にして、いつも夜中まで続けていました。それでも次の日の授業中に全く眠くなく、ずっと中学校入試まで毎日しっかり授業を受けることができました。

 その頃は、ちょうど師父の新しい『論語』が発表されたばかりで、私はすぐに暗証し、母と一緒にいる時や登下校時も『論語』と『洪吟』を暗証し、入試のテスト問題が配られる間も暗証していました。その結果、テストはとても良くできました。私は不得意な科目もなく、もともと苦手だった数学も、トップの成績を得ることができました。今思えばあの頃はいつも夜遅くに寝ていましたが、授業外で復習したわけでもないのに、毎日最も正しいことを行ない、正念に満たされて雑念もなかったため、精神状態が良く、良い成績を収めることができました。

 これまで風雨の中、私達家族は10年足らずの修煉の道を一生懸命に歩んで来ました。そして師父が、私達家族に修煉の環境を切り開いて下さいました。私達はこの機縁をこれからもずっと大切に、もっと大切にしていきたいと思います!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/8/10/391144.html)
 
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