河南淮陽県の善良な一家3人の迫害死の真相
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 【明慧日本2019年12月11日】河南省周口市淮陽県の劉振屯郷李菜園村に法輪功学習者・李廷林さんと妻、息子・李軍旗さん一家3人が暮らしていた。法輪功を学ぶ前、李さん夫婦はともに多くの病を患い、軍旗さんもてんかんの持病があった。農民の李さん一家は収入が少なく、病気治療のために常に病院へ行かなければならなかった。しかし、治療費をたくさん使っても3人の病気が好転せず、辛い日々を過ごしていた。

 1996年、李さん一家は幸運に法輪功に出会い、学び始めてしばらくすると健康を取り戻し、やっと苦しかった日々を終えて、幸せな日々を迎えた。以前、いつも沈んだ顔をしていた一家3人は、毎日笑顔になり、家が法輪功の煉功点にもなった。

 しかし1999年7.20、中国共産党は法輪功への弾圧を開始した。李さん一家はその迫害の重点的な対象者になり、当局から繰り返し家宅捜索を受け、連行されて拘禁され、そこで脅迫されたり恐喝をされた。それによって、李さん夫婦は前後して死亡した。一方、息子の軍旗さんは5回にわたって連行され、2回も実刑判決を受けた。残酷な拷問をされた軍旗さんも2018年刑務所を出所してから、わずか4カ月でこの世を去った。46歳の若さだった。

 一、連行3回 刑務所の拘禁2回 李廷林さん(軍旗さんの父親)の迫害死

 2005年2月8日(旧暦)夜10時頃に、劉振屯派出所の警官ら5人は李さんの家に行き、外の門を壊して侵入した。

 警官は李さんの家を隅々まで家宅捜索し、法輪功の真相DVD2枚を見つけただけだったが、それが「証拠」として足りないと、李さんの家を繰り返し3回も家宅捜索した。その後、警官らは当時、74歳の李さん親子を連行して淮陽留置場に送り、35日間拘禁した。

 2008年4月1日(旧暦)夜9時に、数人の警官らはまたも李さんの家に行き、李さんの家を家宅捜索した後、強制的に李さん親子を郷の派出所に連行した。親子は別々の部屋に連れて行かれ、暴力を振られた。警官は父親の李さんに十数回もビンタを食らわせ、一方、軍旗さんを拘禁した部屋からも悲惨な叫び声が響いた。

 暴力を振って疲れた警官らは親子を共に手錠をかけ、ベッドに14時間縛り付けた。その後、父親の李さんは解放されたが、軍旗さんは県の拘留所に送られた。

 翌日、父親の李さんをビンタした警官らは手を痛めて、病院に行った。

 2008年五輪のとき、淮陽公安局は多くの法輪功学習者を一斉に連行した。78歳の李さんは県城の平信橋付近で一番目の連行者になり、留置場に拘禁された。留置場で酷い迫害を受けた末に、李さんは重病になった。それを聞いた李さんの三女が公安局に駆けつけ、父親の解放を要求したが、数日後に三女も連行され、4年の実刑を下され、新郷女子刑務所に収容された。その後、李さんの病状がますます重くなって、警官は責任を負う事を恐れて、李さんを解放した。

 帰宅した李さんは娘の判決のことを知り、悲しくて大きなショックを受けた。警官が続けて家にやって来て、騒がらをされたことで、病状がますます悪化した。そして、2009年3月26日に79歳の李さんは死亡した。

 二、猛打によって寝たきりになった李廷林さんの妻軍旗さんの母親)の迫害死

 2005年2月8日(旧暦)夜10時頃、劉振屯派出所の警官ら5人は李さんの家に来たとき、李廷林さんの妻はベッドに横になっていたが、警官にすぐベッドから降りるようにと命令され、下着のままで降り、寒くてベッドの隅で立っていた。

 夫と息子を連行されて拘禁された35日間、李廷林さんの妻は毎日涙を流した。

 2008年4月1日(旧暦)夜9時、警官は李さんの家に来て、ベッドに入っている息子の軍旗さんを連行しようとした。それを見た軍旗さんの母親は警官に「なぜ、息子を捕まるの? 息子は法を犯したのか?」と聞いたが、張という警官に掴まれて地面に投げ倒され、革靴で十数回も蹴られた。その後、その警官はまた、母親の顔にビンタを十数回打ち、「口を出すな、出すならまた殴るぞ」と脅かした。

 母親は息子を連行した警官の後ろについて、息子を取り戻そうとしたが、また、警官に猛打され、倒れてしまった。

 立ち直った母親はまた、警官に追いかけられて3回も蹴られて殴られ、倒れた。そのため、母親の全身は傷だらけになり、顔が大きく腫れあがり呼吸困難になった。

 そのせいで、母親が自立生活が出来なくなり、寝たきりになった。その後も警官からの絶え間ない嫌がらせを受けた。その上、三女の冤罪で母親が恐怖を感じ、悲しみのあまり、2013年1月2日(旧暦)に亡くなった。

 三、5回にわたって連行拘禁、判決を受けた軍旗さん

 2005年2月8日(旧暦)、軍旗さんは警官らに自宅から連行され、淮陽留置場に入れられ、35日間拘禁された。

 2006年3月(旧暦)の初め、劉振屯派出所の警官は李さんの家に押し入り、家宅捜索をした後、軍旗さんを留置場に連行した。1カ月以上拘禁された軍旗さんは、現金1000元(およそ1万5000円)を強請り取られて解放された。

 2008年4月1日(旧暦)夜9時、公安局と派出所の警官らは李さんの家へ行き、家宅捜索した。仕事で疲れきった軍旗さんはすでにベッドに入っていたが、父親と共に郷派出所に連行された。父親と別々の部屋に拘禁された軍旗さんはひどい拷問を受けた。その後、軍旗さんは県城の拘留所に送れたが、残酷な拷問によって全身に傷を負ったため、拘留所側に入所を断られた。そして、警官は軍旗さんを郊外に連れて行き、路上に放り捨てて立ち去った。

中共酷刑示意图:殴打
拷問のイメージ絵:寄ってたかって殴打する

 2014年5月、軍旗さんは人々に法輪功が迫害されている事実を話したため、淮陽国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官らに連行された。公安局で警官は軍旗さんを猛打して打ち倒し、足で軍旗さんの体を踏みつけながら、片手で軍旗さんの腕を上に引っ張りあげ、火をつけたライダーで腕を焼いた。それで、軍旗さんは5か所にやけどして傷を負い、非常に苦しかった。しかし、警官らは軍旗さんに「どうだ? 服従するかい」と聞いた。「いいえ、私は罪を犯していません。あなたの行為は違法です。もし、本当の犯人にこのような行為をしても、犯罪です。あなたに応報が来るのです。やめてください」と言った。「応報があるって。そんなことは信じない」と警官は言った。

 2014年6月24日、軍旗さんにとっては5回目の連行である。淮陽国内安全保衛部門の警官らは城関鎮小孟楼村に住むある法輪功学習者の家に行って、軍旗さんを含む学習者11人を一斉に連行した。その後、公安局で拷問を受けた軍旗さんは留置場に送り込まれた。

 留置場で軍旗さんは「転向」を強いられた。軍旗さんは3日間で1回、部屋を取り換えられた。その度に新しい部屋に入ると、受刑者らに残虐な手段で虐待され、悲痛な叫び声が留置場内に響いた。そのため、軍旗さんのてんかんが再発し、精神的にも肉体的にも大きなダメージを受けた。

 その後、軍旗さんは逮捕状を出され、検察官に裁判所へ提訴された。裁判で、検察に被られた罪に対して、軍旗さんは「公安庁が公布した14種類の邪教組織の中に、法輪功は含まれていません。また、国家出版総署は法輪功書籍の出版の禁止令を廃止しました。『憲法』には公民は信仰と言論の自由があると規定されており、私が法輪功を信仰することは無罪です。何も法を犯していません。すぐに解放してください。法輪功学習者を迫害する者が悪報に遭った例がたくさんあります」と訴え続けたが、裁判長に止められた。その後、軍旗さんは懲役3年の実刑を言い渡され、鄭州市新密刑務所に送られた。

 四、刑務所でさまざまな残虐な迫害を受けた軍旗さんは迫害死する

 鄭州市にある新密刑務所は河南省の男性法輪功学習者たちを残虐に迫害する刑務所で、多くの学習者が9監区に入れられ、軍旗さんもその1人だった。

演示:关<span class='voca' kid='85'>小号</span>
拷問の再現:後ろ手に手錠をされ、独房に拘禁

 9監区長は軍旗さんを「転向」させる目的を達するため、誘惑するなどの手段を使ったが失敗したため、軍旗さんを独房に2週間拘禁した。しかし、軍旗さんは独房から出て来ても「転向」しなかった。そして、警官らは軍旗さんをスタンガンで電撃ショックを与えたり、受刑者の刑事犯を利用して軍旗さんを虐待させたり、手かせ足かせをつけさせたりした。また、軍旗さんは袋のような刑具(拷問に使う道具の一種)を全身に被らされ、頭だけを出し、それから、その袋の中に水を入れられた。軍旗さんが受けたこの拷問は死ぬほど苦痛だったという。

 2017年3月25日8時~10時、軍旗さんは警官らと受刑者数人に囲まれて強く殴打された。その結果、軍旗さんは地面に倒れ、額に2センチの傷口ができ、そこから血が流れ出た。ほかの受刑者は「もうやめなさい。それ以上すると死ぬかもしれない」と阻止したが、警官は「刑務所で法輪功学習者の1人ぐらい殺しても大したことはない。蟻を殺すより簡単なことだ。何も怖いことなどない」と言った。

 2017年3月31日午前8時半、軍旗さんは警官らにスタンガン数本で一斉に5分の間、電撃ショックを受けた。そしてその後、軍旗さんはてんかんを再発した。

酷刑演示:多根电棍电击
拷問の再現:警官ら数人で、スタンガンで電気ショックを加える

 2017年7月14日午前9時、軍旗さんは受刑者ら4人によって猛打され、全身あざだらけになった。

 2017年7月16日夜9時、受刑者らはシーツを軍旗さんの頭にかぶせて殴った。一分監区大組長はそれを見て、止めることをせず、「『転向』しない者を殴ってもよい。責任は俺が負うから」と言った。そして、警官は殴った者に懲罰を一切せず、全身に傷を負った軍旗さんに手かせと足かせをかけた。

 2017年6月25日、軍旗さんはやっと3年の刑期を終え、帰宅した。同年10月、劉振屯派出所の警官らはまた軍旗さんの家にやって来て、家宅捜索をした。軍旗さんは「あなたたちの名前は? 私は何の違法のこともしていないのに、なぜ、家宅捜索するのですか?」と聞くと、ある警官が「俺は、劉という苗字だ」と答えた。軍旗さんは「あなたたちは法を知っている上で、法を犯しています。訴えに行きます」と言って家から離れた。しかし、警官らに一部の私物を押収された。

 2017年10月21日、軍旗さんは劉振屯派出所の警官らに公安局に連行され、ひどい拷問を加えられて留置場に送られた。その後、軍旗さんは懲役1年の判決を下され、鄭州市新密刑務所に収容された。

 2018年10月26日、軍旗さんは出所して帰宅したが、刑務所でどんなに残忍な迫害を受けたのかわからないが、精神異常になった。そして、4カ月後、軍旗さんは死亡したという。

 李さん一家は勤労で、善良で、質素な農民であった。かつて、李さんの家の庭に多くの人が朝晩、3年間にわたって法輪功を煉っていた。しかし当局の迫害で、善良な李さん一家は、3人全員が残酷な迫害に遭い、迫害死したという。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/30/396441.html)
 
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