【明慧日本2019年11月12日】(河北=明慧記者)河北省遷安市の元政協副主席で法輪功学習者の範恵英さんは、法輪功を学び続けたため、18年間にわたり現地の政法委、610弁公室、公安局の関係者らに残酷に迫害され、何度も生命が危険な状態に晒され、2019年1月8日に死亡した。享年78歳であった。
1999年7.20、中国共産党による法輪功への迫害が始まって以来、範さんは何度も残忍な迫害を受け、命を失うところだった。範さんの2人の娘は海外で就職しており、母親のそばで世話をすることが出来ないため、何回も母親の出国手続きをしたが、すべて当局に阻止された。
2001年2月から2019年1月8日まで、差し止められた範さんの給与と年金の総額は、100万人民元(およそ1561万円)にとどまらないという。それ以外にも、医療保険や住宅手当などの福祉による待遇の支給を一切受けたことがなかった。
長期にわたる残酷な迫害により、範さんは自力での生活ができなくなった。3年前から、範さんの娘は2人の家政婦を雇って母親の世話をしてもらった。そして、毎日インターネットを通じて、母親の顔を見るようにしていた。母親を心配する娘たちは安心して仕事することができず、頻繁に帰国していたため、精神的なプレッシャーを受け、経済的にも極めて大きい出費であった。
以下は、2015年4月に、範恵英さんが受けた迫害の経歴を述べたものである。
私は範恵英と言い、河北省遷安市政治協商部門に勤めていた。法輪功を学ぶ前に、炎症性の胃炎、胃下垂、慢性結腸炎、腎盂腎炎などの病気を患い、各地の大きい病院を訪ね回ったが、効果がないだけではなく、ますます深刻な病状になった。治療代金は国が負担してくれたが、病気の苦痛は本当に耐え難いものであった。
1997年、法輪功に出会い、「真・善・忍」の基準で自分に要求して修め、良い人を目指した。間もなく奇跡が起こり、20年以上患っていた各種の持病が治り、自分も新しく生まれ変わり、国から多額の医薬費をもらわずに済んだ。しかし、法輪功を学んでいるという理由だけで、1999年7.20以来、私は残虐悲道な迫害を受けた。
2001年1月から2004年の前半まで遷安市公安局の警官らによる嫌がらせを、数え切れないほど頻繁に受けた。そして、不当な家宅捜索を受け、洗脳班に送られ、留置場に閉じ込められた。ここでも侮辱され、虐待され、無理やりに3回も灌食されて危篤状態に陥った。当時、体重は30キロ足らずになり、経済的にも苦しめられ迫害はひどいものであった。
また、洗脳班では、私たち学習者は自由を剥奪されただけではなく、さらに限りない侮辱と虐待を舐め尽くした。
私達を拘禁する部署の関係者らは、贅沢三昧の生活をしている中で、私達はお腹を満たしたことがなく、1000元(およそ1万6000円)の食費を払わせられた。
「訓練」と呼ばれる体罰もきついもので、毎日砂の袋を背負って走ることを強制されたため、足は赤く腫れ上がった。また、両手を地面に付けさせ、足を持ち上げられて、ほふく前進をさせられた。また、両手で頭を抱えてしゃがむ姿勢を長時間強制された。
このように警官らは、思うままに法輪功学習者を殴ったり、平手打ちを食らわせたりした。
2001年の冬は、大雪が降り非常に厳しい寒さであった。自分の羽毛ジャケットと革靴は取り上げられ、敷物もなく、毎晩寒さで全身が震え上がり、極寒の冬を過ごした。また夏になると、大勢の人がぎっしりと詰められ、私の頭はちょうど便所に当たって、両腕は蚊に刺されて赤い点々がいっぱいできた。
留置場では、7、8人の武装警察官らが私をベッドに押さえつけ、頭や手足をベッドの柵に固定され、部屋中に多くの警官らを配置し、病院から4人の医療従事者を呼び寄せ、左の鼻の穴から胃に管を挿し込んで灌食され、寝る時になっても挿し込んだまま放置され、大変辛かった。
拷問のイメージ図:無理やり灌食される |
苦しめられて私は虫の息となり、危篤状態に陥ったため、警官らは責任を負うことを恐れて、私を解放した。差し止められた給料を返すようにと、何度求めても支払われなかった。
2003年、私は告訴状を書いて、国務院、全国人民代表大会、政治協商部門、最高検察庁に郵送した。解決してほしいことは、以下の三つである。
一、1999年7月から勤務先の責任者が、私の身分証を差し押さえ、身分証を戻してほしいこと。
二、私は今年ですでに74歳になったが、退職手続きが未だに行なわれず、至急、退職手続きを取ってほしいこと。
三、今までに差し止められた給料を全額、返却してほしいこと。
しかし、これらのことは今なお、公正に何一つとして解決されていない。