【明慧日本2019年9月5日】(河北=明慧記者)河北省張家口市涿鹿県の元小学校の校長をしていた張全興さんは、法輪功を堅持したため、2002年、警官のひどい暴力により歯が抜け落ち、拘束された。その後、経済的にも苦しめられ、張さんの生活の支えであった年金は、17年間分がすべて涿鹿県教育局に差し止められた。その累計金額は50~60万人民元( 約738万~885万円 )に上るという。
張さんの一家は法輪功を学んでいるという理由で、何度も警官に連行され、拘禁されて滅多打ちにされた。張さんの娘・張青花さんは労働教養に入所することを強いられたことによって、意識が朦朧としたままである。息子と妻は酷い迫害の恐怖の中で、前後して亡くなった。1人ぼっちになった張さんは食べ物も飲み物もなく、知り合いの救援金で生活をした。2019年5月に冤罪が晴れないまま亡くなるまで、80歳の張さんは1元の年金も受け取ったことがなかった。
法輪功は張さん一家を救う
元張家堡鎮文教学校の校長であった張さんは、法輪功を学ぶ前には万病が身につきまとい、頸椎と腰椎の骨増殖症、頭痛、腰痛、足の痛み、心臓、肝臓、腎臓、胃まで多くの病気を抱え、服を着ることや横になることが自分一人で出来なくなっていた。医者は「いくらお金をかけても、あなたの病気は完治しないだろう」と断言するほどで、張さんの毎月の給料は薬代も払えない状況であった。
張さん本人だけではなく、家族も多くの災難に見舞われていた。80歳の母親は体が弱く病気がちで、息子の力華さんは小児麻痺を患って、後遺症が残り、足は小さくて短く筋肉はなく、感覚もない、その上、記憶力も衰えていた。張さんの妻は長年の過労とプレッシャーの中で精神が崩壊し、寝たきりになった。一家に病が付きまとう苦しみの中で、ただ精一杯耐えるだけで、一家の暮らしは崩壊寸前であった。
この危難の中で一家は法輪功に出会い、『轉法輪』を読み、法輪功の五式の動作を全て覚えて教えを実行した。それ以来、奇跡が起こり、妻の病気は薬を飲まずに治り、無病の軽い身となった。さらに不思議なのは、息子の力華さんの記憶力が大幅に好転し、両足で歩けるようになり、バケツにいっぱい入った水を運べるようになり、ある程度の仕事ができるようになった。
法輪功を学んだ張さん一家は皆、善良で、寛容で、誠実な人になった。小麦を収穫する夏の時期になると、広い農作業場が見つからないので、村委員会ではなかなか解決できず、張さんにお願いすると、張さんは自分の農作地を農作業場として十数年間、無償で皆のために提供した。
中国共産党は一家を迫害し続ける
1999年7.20江沢民の派閥の人員らが法輪功に対して、凄まじい迫害を発動した。当時、張さんの家は重点的に監視する対象となり、村委員会は張さん家の周辺に夜でも4~5人を配置し、さらに隣近所の人達にもこっそりと監視させた。鎮派出所の4、5人の警官らは、普段着で頻繁に張さん宅へ調査に行き、家族を恐喝して、息子の力華さんを数回連行した。教育委員会も張家堡鎮と五堡鎮の関係者らが、学校の教師などを何度も派遣し、張さんの家を調査させ監視させた。
2002年4月8日午後、張さんは自宅で五堡鎮派出所の警官らにより連行され、ポケットの中のわずか90元の現金(約1300円)までも奪った。その後、県国内安全保衛大隊(法輪功迫害の実行機関)の大隊長・董飛らは、張さんを半円形の椅子に縛り付け、一斉に滅多打ちにし、殴ったり、蹴ったり、平手打ちをしたりした。また、革靴で張さんの足の指を踏みつけ、とげのあるゴム棒で張さんの頭や全身をひどく殴り、暴力を振るった。その際に張さんの前歯が2本抜け落ち、その後、すべての歯が抜け落ちた。当日の午後7時過ぎ、張さんは県留置場に送られて60日間拘禁された。県公安局で董飛は張さんの妻から2700元の現金(約3万9800円)をゆすり取り、別の課室で鎮副書記・杜友は700元(約1万300円)をゆすり取った。
2002年4月9日、五堡鎮派出所の王刑斌ら6、7人が張さんの家に押し入り、テレビ、ミシン、テープ・レコーダー2台と扇風機を押収し、道端で「買う者はいないか?」と見物に来た住民たちに聞いた。
2002年4月24日深夜、張さんの妻・高玉珍さん、息子の力華さんを含めて、4人の学習者が洗脳班に連行された。そこで、息子は靴下を脱がされ小石の上で走るようにと強制された。もともと足が不自由な息子の力華さんは速く走ることができないため、棒が折れるまで叩かれた。結局、息子は45日間拘禁され、妻の高玉珍さんは30日間拘禁された上、850元(約1万2500円)をゆすり取られた。
2003年10月、県610弁公室、教育委員会、村の役員らは、張さんの家に行き「三書」を書くようにと強要したが、一家全員に拒否された。するとその場で、教育委員会の副委員長・王大麗は家族に罰金3000元(約4万4200円)を宣告し、2003年10月から張さんの給料を差し止めた。
息子と妻は冤罪が晴れず死亡し、娘は残忍な迫害により障害をもたらされた
中国共産党の脅威にさらされる残酷な迫害の下で、息子の力華さんは冤罪が晴れないまま死亡した。息子を失った妻の高玉珍さんは心身ともに痛みが増し、2015年に1月5日に悲しみ、わびしい思いの中で亡くなった。
2006年1月のある日、北京市平谷区でアルバイトをしていた娘の青花さんは、連行された学習者の家族に電話して、その学習者が出所したかどうか状況を尋ねた。その結果、電話を盗聴され、平谷公安の刑事、警察官ら6人が青花さんやその家族、バイト先の店長まで連行した。
1カ月後、青花さんは労働教養2年を強いられて、留置場から大興労働派遣所に移送された。そこで非常に苦しめられ、青花さんは意識が朦朧として四肢に力が入らず、訳のわからない言葉を言い出した。家族が面会に行った際に、面会を許可しなかった労働派遣所側は「張青花は家にいる時に精神病を患ったことがあるのか? その証明書を用意しなさい」と家族に告げた。
半年後、青花さんはまた内モンゴルフフホト市の労働教養所に送られ、労働を強制された。毎日箸を包装する作業で数多くのノルマが決められ、完成しなければ睡眠を剥奪され、残業をさせられた。解放されたあとも、青花さんの精神異常はなかなか治らず、家族と本人は巨大なダメージを負った。
2015年8月22日、張さんは最高検察庁に告発状を郵送し、迫害の元凶である江沢民を告訴した。そのため、2018年7月2日、地元の警官らは張さんの家に行き、嫌がらせをしたという。