孔紅雲さんは保定市留置場の薬物迫害で死亡
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 【明慧日本2019年7月2日】河北省保定市の法輪功学習者・孔紅雲さんは2019年6月12日に、保定市留置場で残酷な目に合わされ、薬物の迫害によっていきなり意識不明になり、死亡した。享年47歳の若さであった。

'孔红云'
孔紅雲さん

 孔さんは2019年1月2日、学生のような人に法輪功の真相を伝えた時、その人に通報され、和平里派出所の警官に身柄を拘束され、保定市留置場に拘禁された。

 3月8日(金曜日)、孔さんの弁護士は保定市蓮池区検察庁南院の電話を受け、次の月曜日の3月11日に孔さんの家族を連れて一時出所の手続きをするようにと言われた。3月11日に、弁護士と孔さんの母親は検察庁を訪ねたが、誰にも応対されず、弁護士は担当者に電話をかけたが、急に一時出所の手続きが取り消されたと言われた。そこで弁護士は留置場へ孔さんに面会に行ったが、孔さんはすでに入院したと言われた。

 情報筋によると、孔さんは3月8日に病院に送られ、医者に入院治療を勧められた。しかし、留置場側は許可しなかった。3月10日夜、留置場は再び意識不明の孔さんを病院に搬送したが、医者に危篤であると通知された。この時でも、留置場は家族に何も知らせなかった。医者の話によると、留置場の副所長が孔さんの気管切開の手術にサインしたという。孔さんはずっと呼吸器で呼吸を維持していた。最後、医者は「もうダメになりそうです。まだ家族に知らせないのですか?」と問い詰めると、警官はやっと家族に知らせた。 

 家族は関係者に孔さんの健康状態が急に悪化した理由を尋ねると、「2回転倒したからだ」と言われた。この時、派出所側は家族に一時出所のところにサインを強いた。家族は「留置場に入る前には元気で、何の病気もありませんでした。今死にそうになって、急に家に帰らされても受け入れられませんし、サインできません。賠償してください」とサインを拒否した。そのため、孔さんはずっと保定市第一病院のICUの部屋にいた。その時からたくさんの私服スパイも病室の外に来て見張ったが、その後、少し人数が減った。

 6月12日午前8時過ぎ、孔さんの家族は電話を受けてからすぐに病院へ向かったが、孔さんの心拍はすでに止まってしまっていた。現在、死体はまだ火葬されず、病院で保管されている。

 孔さんは連行されてから亡くなるまで、わずか5カ月あまりだった。孔さんの80代の母親は悲しみのあまり、一晩で老けた。

 連行される前の孫さんはとても健康で、ティッシュを販売していたが、15キロの包装でも上の階から下の階に楽に運んで売ったり、また三輪車に乗って食用油を数十桶乗せ、階段を上って配送し、バリバリと働いていた。

 孔さんは留置場でどのような虐待をされたのか、誰もが知らない。どうして気管を切開されたのかについても、医者はただ「呼吸困難のためである」と説明した。家族は監視カメラの映像を見られように求めたが、留置場側に拒否された。

 弁護士の話によると、2月の初めに孔さんと面会した時、孔さんは断食中でずっと「法輪大法は素晴らしい」と叫んでいた。2月26日、再び面会した時、孔さんは2人の囚人の助けで出てきた。それにも関わらず、ずっと「法輪大法は素晴らしい」と言い続けた。孔さんは弁護士にすでに食事を摂り始め、2日目になったことを伝えた。しかし、囚人は弁護士に孔さんが精神病だと言った。孔さんは食事をとってから十数日後、突然意識不明になり、あれから一度も目が覚めたことがないという。

 孔さんは法輪功を学んでから、迫害された実態は下記の通りである。

 孔さんは2007年から法輪功を学び始め、2008年3月13日、法輪功の真相を伝えたという理由で、依棉派出所の警官に連行され、懲役3年の不当な実刑判決を宣告された。

 2011年9月19日午前、保定市高開区賢台郷の派出所の警官ら6人に身柄を拘束され、15日間拘束された。

 2012年3月、韓村派出所では7日間拘束された。

 2012年5月17日、南関派出所の警官に身柄を拘束され、5日間拘束された。

 2012年9月8日、賢台派出所の警官に連行され、拘禁されたが、身体検査で不合格だったため、拘置所側に受け入れを拒否された。 

 2012年10月19日夜、尾行されて先に賢台派出所に連行され、その後、韓北派出所に連行され、一晩拘束された。翌日、康荘路洗脳班に移送され、2日拘禁された。その期間中、電気棒で電撃をされた。

 2012年11月3日、新市場派出所の警官らは無理やり孔さんの借家のカギを変えた。

 2013年5月17日、保定市南関大街派出所の警官に連行された。派出所は家族に知らせず、いかなる手続きもせずに、孔さんを5日間拘束した。

 2013年12月15日、孔さんは保定市易県で法輪功の真相を伝えた際に、中国共産党による法輪功への誹謗中傷を信じる人に通報され、県塘湖派出所の警官に連行された。所長に手と顔を電気棒で電撃され、殴打された後、拘置所に送られた。そのため、孔さんは断食をして抗議し、12月20日、家族は孔さんの解放を求め、孔さんはやっと家に帰された。

 2014年1月4日、孔さんは法輪功の真相を伝えた時、競秀公園派出所の警官に身柄を拘束され、懲役4年の不当な判決を言い渡された。その後、孔さんは石家荘女子刑務所に送られて、ここで非人道的な酷い迫害を受けた。

 薬物による迫害

 2014年、孔さんが拘禁されて20日目、弁護士は初めて孔さんに面会ができた。当時の孔さんは断食して、まだご飯を食べていないがとても元気だった。しかし、1カ月後、弁護士は面会から帰って来て、家族に孔さんの精神状態が異常で目の焦点が合わず、記憶力にも問題があることを伝えた。この状態は孔さんが2018年10月に、自ら受けた迫害の詳細な内容と一致していた。それは保定市留置場側が孔さんに中枢神経を壊す薬を飲ませたことを、孔さん自ら話した

 孔さんの2018年10月の話によると「2014年1月4日、私は通報され、保定市新市区競秀公園派出所の警官に連行された。その後、留置場に送られた。私は留置場で強制労働に協力しなかったため、囚人に攻められた。私は断食で抗議したが、灌食された。その後、1カ月ほどパイプを入れられていたが、私がパイプを抜いたら、また灌食された。数人で私の脚や身体を押さえ、スプーンで私の口をこじ開けた。その後、私はどうしてなのかわからないが、足が立たず、トイレに行くのも自分で立てず、人に引っ張られる必要があり、大小便も失禁するようになり、自分でコントロールできなくなった。記憶力が急に減り、法輪功の動作すらも思い出せない時があった。最初は断食の影響だと思ったので、食事を摂り始めた。しかし、以前刑務所でも断食したことがあったが、その時はこのような症状は出なかった。今考えれば、留置場で中枢神経を破壊する薬を飲まされたからだとわかった。法輪功の動作も刑務所から出てから、他の学習者に新たに教えてもらったほどだ」

 2018年、仕事に復帰するために、孔さんは何度も職場の担当者に法輪功の真相を伝えに行った。ある日、職場のゲートで法輪功の真相を伝え、資料を配布した時に警備員に通報され、高新区派出所の警官に連行され、3日間拘束された。

 2019年1月2日、孔さんは連行され、留置場で断食してひどい迫害に抵抗した。その後、10日間あまりで食事をとったが、いきなり意識不明になり、他界したという。このように急な死に対して、保定市留置場側はその責任を負わなければならない。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/6/20/388975.html)
 
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