台湾法会|これこそ私の使命である
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2019年12月16日】

 2001年6月、私は媽祖北竿郷(まそほっかんきょう)で法を得ました。ある日、テレビを見ていたら、お医者さんがこう言っていました。「私は医者ですが、自分の病気を治すことさえ出来ませんでした」。それを聞いて、これは彼の本音だとすぐにわかりました。そして、どんな医学関連の書籍を紹介してくれるのかと思っていました。当時、ぼんやりと覚えていたのは『轉法輪』という三文字でした。そして、台湾に帰省した際に書店に行き、この本を見つけました。黄色の表紙に『轉法輪』という大きな三文字が書かれていたので、疑問が生じました。これは仏教のお経ではないのか? どう見ても、医学関連の書籍には見えない。だがとにかく、どんな内容なのか読んでみようと思い、書籍を開いたら師父の写真がすぐに目に入りました。おお、これは弥勒佛だ! よく考えてみると間違っていました。弥勒佛ならポッチャリしているはずではないか? たぶん自分の勘違いだろうと思いました。それで書籍を読み始めました。第七講の「殺生の問題」と「肉食の問題」を読み終えた後、直感でこれは本当にお経だと思いました。ただし、現在の仏教の論述と全く異なっており、このお経は本当の法でした! それから、私は修煉の道を歩み始めました。

 一、不思議な業力消去の体験をする

 最初は桃園市で煉功していました。煉功して間もなかったのですが、業力消去の法理を知っていました。ある日、公園で站樁(たんとう・第二式の功法のこと)をやっていた時に、左脚の太ももが急にひどく痛くなりました。何かが脚を這っていて、噛まれたような感覚を覚えました。しかし、煉功するには忍耐しなければならない、煉功の音楽が流れ始めたら、どんな理由があっても勝手に動いてはいけないと分かっていました。そして、そのまま無理やり30分我慢しました。音楽が終わると慌ててトイレに行き、どんな状況かを確認しました。一瞬、目の前の光景に驚きました。左太ももの一面に大きいな赤いアリがたくさんついていました。また、多くのアリが太ももに噛みついており、1匹ずつ引っ張って取り除く必要がありました。私の業力を消去させるために協力してくれていると分かっていたので、アリを取り除く過程で、極力それらを傷つけないように注意を払いました、完全に取り除いた後、また煉功場に戻って、煉功を続けました。家に帰った時に太ももがひどく痒くなり、アリに噛まれた箇所に無数の膿疱(のうほう)が出ていました。数えてみたら240個余りありました。数日が経ちました。幸いなことに強い正念があったので、異常な痒みに7日間も耐えることが出来ました。そして数日後に、膿疱のことを思い出し、どうなっているかと確認してみると、びっくりしました! 左脚の皮膚はスベスベで、傷跡さえありませんでした。まるで何もなかったようで、夢のようでした。それからは、蚊に噛まれても痒みを感じることがありませんでした。一度大きなムカデに噛まれましたが、傷口が少し熱く感じるぐらいで、数日で治りました。ある同僚はこのことを知り、「あり得ない、私が前にムカデに噛まれた時は全身にアレルギーが出て、病院で緊急措置を受けました。あなたが無事でいられたのは本当に不思議ね!」と私に言いました。

 また一度、自動シャッターに挟まれて、死にかけた体験もあります。その日は仕事が終わって帰宅するため、地下の駐車場に向かいました。早く入ろうとして、前の車のすぐ後ろにつけていましたが、車の運転手は私のことに気づかず、鉄のシャッターを下ろしてしまいました。私の乗っていた原付が前の車に近過ぎたため、私はどうすることも出来ず、身体全体がちょうどシャッターの真下に入ってしまいました。身動きが取れなくて焦っていると、私の被っていたヘルメットのフックを、誰かの手に引き止められた気がして、シャッターの下から逃れられず、どんなに力を尽くしてもシャッターの下から逃れられませんでした。もう少しで死にそうになった時、身体が急に水になったように、一瞬にして頭をヘルメットからはずすことが出来ました。そこから逃れてから、原付の上で業力から構成された、もう一人の私が潰されて死んだと感じました。師父はおっしゃいました。「ぶつけられて大した怪我はなかったと思うかもしれませんが、実は一人のあなたが本当に死んだのです。それは業力で構成されたあなたです」[1]。弟子のために、こんなに大きな業力を消去してくださった師父に感謝申し上げます。

 二、よろめきながら病業の関を乗り越える

 2年前に執着心を取り除くことができず、常人の利益を追求して、債権や株を購入しました。しかしながらずるい人心をもって、法理に則っていない自分の言動から逃れようとしました。三つのことをやっていましたが、ただ形式的にやっているだけでした。修煉者として、最も重んじるべき心性を修めることが出来ず、学法は形式に留まり、その内涵を気にしませんでした。そして旧勢力に隙に乗じられてしまい、ひどい病業の虚像が現れました。高熱が出て、左側の顔全体が腫れて変形しました。発正念しましたが、長期にわたり言動が法理に則っていなかったため、効きませんでした。恐怖心のため、最終的には病院に行きました。沿道で絶えず内に向けて探しました。自分は何のために大法を修煉しているのかと自分に問いかけました。他でもなく人間社会での生老病死が嫌になり、人間社会での情はあてにならないと見抜き、修煉こそこのすべてを超越できるからではないか! 自分が造ったすべての業力は自分で滅しないといけません。誰も代わりにしてあげられないのです。なのになぜ、自分はまた二の舞を演じ、常人になってしまったのか。どうして法の要求を満たせないのか。どうして勇猛精進できないのかと、心の中で叫んでいましたが、目には涙が浮かんでいました。

 常人の医学的角度からみると、蜂窩織炎(ほうかしきえん)になったため、抗生物質で炎症が発生することを緩和させてから、継続して治療しなければなりませんでした。もし頭部が感染したら命の危険にさらされます。当時、私の隣にはこのことをブツブツ言っている人がいました。私はこの念を否定し、「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」と念じました。帰宅後に気分が最低まで落ち込み、しかたなく二日間薬を飲んで元気を出してから、学法と煉功、発正念を始めました。正念がでた途端に、自分は修煉者であるため薬を飲んではいけないと悟り、薬をやめました。その後、左側の目の下に膿疱(のうほう)ができ、ますます大きくなりました。ぶどうの大きさになった時に突然破裂し、大量の悪臭がする膿と血が流れ出しました。絶えず滲出だし、30分に一度拭かないといけませんでした。朝目覚めたら、枕にかけていたタオルまで一面汚れていました。当時、硬い塊が傷口に向けてゆっくり移動しているのを感じました。それが傷口に接近した時、黒い部分が少し見えました。その後思い出しましたが、黒いモノは二十数年前に車の事故に遭ったため、ものが二重に見え、視力を矯正するために入れたシリコンでした。黒い部分がどんどん出てきて大きく見えました。そして、集団学法に参加したある日、傷口に激痛が走りました。無理して我慢しました。膿が流れ出しても気にせず、集中して学法し、一文字一文字、一文一文に心を込めました。その結果、何回か激痛が走り、我慢できずに傷口を一度きれいにしました。その当時、シリコンがもうすぐ落ちそうになりました。急いで携帯電話でその瞬間を撮りました。驚いたと同時に、再び大法修煉の超常さを体験しました。わずか2時間30分でこれほど超常的なことが終わりました。私はとても興奮して妻に電話して、この嬉しかったことを知らせました。しかし、妻は逆に私に聞きました。「視力は正常ですか」。私は考えもせずに、正常だと答えました。ですから、今までずっと正常で、二度と二重に見えることはありません。

 しかしこの関は、まだ完全に終わったわけではありませんでした。それからの1カ月間、鼻がなにかに遮られたらしく、息が吸えなくなりました。しかたなく口で息を吸いましたが、時間が長くなると喉が乾いて痛みだし、非常に苦しくなりました。ある日どうしても我慢できず、鼻で息を吸いました。突然鼻腔(びこう)から悪臭のあるものが口の中に落ちてきて、吐き気がしました。直ちにトイレに行って吐き出したら、なんと卵の大きさの膿の玉でした。目にすると本当にびっくりしました。それから鼻は少しずつ滞りなく通るようになり、正常な状態に回復しました。この膿の玉が今回の業を滅するはじまりでした。

 三、病院で大法の超常さを実証する 

 病状を確認するために病院でCTをとりました。病院に戻った時に医者にCTの結果を聞きました。主任医師は病歴を見ながら、「いまも膿が流れていますか」と質問しました。私は「傷口は治りました」と答えました。その医師ははっきり聞こえなかったのか、それとも間違って聞こえたのか、再び同じ質問をしました。私はまた傷口が治ったと答えました。その時、その医師は目を大きく開け、慌てて私の傷口を確認し、「どうやって治ったのですか?」と真剣に聞きました。私は『轉法輪』を学んだら、シリコンがみずから落ちてきたと伝えました。彼は目をさらに大きくし、『轉法輪』とは何か、その3文字はどう書くのか、自分も一冊購入して読みたいと言いました。私は大法を紹介しました。彼は慎重に『轉法輪』という3文字を書きました。実際、そのシリコンには弾力があり、かつて何回もクリップでそれを取り出そうとしましたが、それはゴムのようで自動的に弾いて戻って行きました。そして何回も失敗したために諦めるしかありませんでした。この過程を述べた時、医師と看護師はみな非常に驚き、慌てて「それはいけません。シリコンを取り出したら、再び複視になります。一番いい方法は入院してから手術をして取り出すのが比較的に安全です」と言いました。実際に私がみなと一緒に学法した後、そのシリコンは自分で出てきたのです。これは医学的に、あるいは一般人の観念ではあまりにも不思議なことです。そして私は医師に聞きました。「その抜け出た所は、何が埋まっているのでしょうか」。医師は考えてから、「私も分かりません。理論上では、そこの骨が再び成長することはあり得ず、あなた自身の何かが自動的に埋められたはずです。しかし、それがなにかを確定することが出来ません」と言いました。それから私はシリコンが落ちるその瞬間をとらえた写真を医者にみせました。写真をみた医者は私にこう言いました。「これはすばらしい、これはすばらしい、これはすばらしい!」。また、写真と落ちて来た2センチくらいのシリコンが欲しいと言いました。私の同意を得た上で、それらを授業で事例として使いたいということでした。

 四、神韻プロジェクトに参加する

 私はあるとき、神韻の巡回公演のポスターを目にして非常に感動し、嘉義市(かぎし)での公演を鑑賞しました。入場する時に案内役の同修の礼儀にかなった服装などを見ると、瞬時に同修たちの修煉状態はあまりにも素晴らしいと感じました。一挙一動は本当にすぐれたものでした。素晴らしい演目を鑑賞した後、演出があまりにも完璧だと感じ、自分が法輪大法を修煉していることを光栄に思い、神韻を誇りに感じました。そしてこれほど素晴らしい神韻のために、なぜ自分が現場の安全を守る保安の仕事をしないのかと思い、自ら進んで高雄の同修に自分も保安チームに参加したいと申し込みました。しかし、私の参加していた煉功場が高雄でないことが原因だと思いますが、保安チームの責任者は私の参加を拒否しました。そこで、大丈夫だ、すべて自然にまかせようと思いました。

 ある日、同修が神韻芸術団の照明チームに参加しないかと聞いてきました。私は何も考えずに、参加しますと答えました。こうして師父の按排の下で、私は願いどおり神韻関連の仕事に参加することが出来ました。参加した当初、もし修煉状態が良くなければ非常に辛くなるだろうと言った同修がいました。当時はどういう意味か分かりませんでしたが、後にそれを体験できました。照明チームはとても体力が必要でしたが、私の身体能力はあまりすぐれておらず、腕の力も強くありませんでした。照明設置の全過程を終えると非常に大変だと感じました。身体が疲れたり、足が痛くなったりしましたが、なんとか我慢しました。強大な意志で仕事を終えることが出来ました。ときには舞台の撤去が終わると、また次の劇場で舞台を作らなければならず、体力的に本当に一般人には手に負えない状態でした。よく自分の車の中で寝ていましたが、同修は笑いながら今夜はモーテル(中国語で車旅館のこと)で寝ると言いました。最初私はよく聞き取れずにいいなと思い、彼らがどこに行って寝るのか知りたかったのです。翌日皆は寝ぼけてぼんやりしている状態で、車から降りて来て、そのまま劇場に向かいました。そこでやっと分かりました。なるほど、皆はモーテルで寝ていました。

 神韻の照明チームに参加して数年が経ちました。神韻公演は本当に世界のトップショーであると感じ、神韻のために仕事が出来ることをこの上なく光栄に思いました。しかし参加して時間が長くなると、自分の技能があまり進歩してないことを感じました。同修は皆、経験を積み一人前になりました。例えば、同修がどうしたいかを話すと、どのようなライト、ケーブルを準備すれば良いか、作り出した照明がどんな効果を現すのか、一つ一つのライトをどこに向けるべきか、どうしてこのようにライトのセットを組まないといけないかなど、これらは私にとって容易いことではありませんでした。しかし私は、大法は超常であると信じていました。ただ心で学びたいと思えば、師父は必ず私を助けて、この願望を実現させてくださると思いました。今はまず三つのことをしっかり行ない、なるべく全ての舞台制作と撤去作業に参加するようにしています。私に知恵が必要な時、師父は必ず私を助けてくださいました。

 五、責任を取り、誓約を全うする

 個人的な体験ですが、大法弟子はただやりたいという心さえあれば、師父は様々な方法で、大法を実証し、衆生を救い済度する機会を按排してくださいます。以前、よくパソコンに触れていたので、パソコンのことならよく知っています。一度私の地区のインターネット関連のプロジェクトの窓口を担当していた同修が、ほかのプロジェクトのためやめることになり、仕事をほかの同修に引き継がないといけないことになりました。そして、もう1人の同修がその仕事を担当しました。当時、私は自分も出来るのにと思っていました。なぜ私は選ばれなかったのだろうとか思いました。本当に残念でした。そして間もなくして、新しい担当者もやむを得ずその仕事を離れることになりました。そして自然に私がその窓口を担当することになり、私の地区の同修のために、パソコンと真相伝えの関連のサービスを提供することを始めました。

 蜂窩織炎で業を滅していた時を振り返ると、当時、同修のパソコンに問題があると、私は相変わらず故障を解決してあげていました。ある日の深夜、オートバイに乗って田舎の小さな道を走っていた時、突然このような一念が浮かんできました。「たとえ私が倒れてしまっても、同修のためにパソコンを修理してあげる。たとえ、毎日学法が出来なくても、同修に真相伝えが出来るようにサポートしないといけない」。一瞬にして涙が流れ出しました。止めようしても止められませんでした。しかし、直ちにこの一念に陥れば余計に難に遭うのではないかと思いました。私は師父が法を正すことの手伝いをするためにやって来ました。法を正すことが完了したら、また自分の天国世界に戻らないといけないのに、どうして旧勢力の按排に従ってしまい、常人の中でダメになるのでしょうか。そしてこの念を直ちに排除し、正念でそれを否定しました。それと同時に「私は師父が法を正すことの手伝いをし、さらに多くの衆生を救い済度し、自分をしっかりと修め、さらに同修を助けてあげたい、これこそが私の使命である」と強大な一念を発しました。

 同修の皆さんはみな異なる修煉の道と体験があると思います。大法に鍛えられ、皆さんは私と同じように自分の先史の誓約を見つけることができ、かつ私達に付与された偉大な使命と責任をまっとうすることが出来ると思います。最後に、師父の説法をもって同修と互いに励まし合いたいと思います。「いずれにせよ、大法弟子として、師父が皆さんに教えたいのは、自分の責任の重大さを知っておく必要があり、これは子供の遊びではないということです。このことはすでに最後まで来ており、私は焦っていてしょうがないのに、皆さんは気にしていません。しかし、最後になると、泣いても間に合わないのです」[2]

 以上は個人の修煉体験です。もし法理に則っていない部分があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。ありがとうございます。

 注:
 [1] 李洪志师父の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク座談会での説法」
 [2] 李洪志师父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』

 ※蜂窩織炎(ほうかしきえん・進展性の化膿性炎症のこと

 (2019台湾法会の発表文章)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/30/396249.html)
 
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