台湾法会| 雲の上で交わした誓約を果たす
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2019年12月9日】

  師父、こんにちは! 

 同修の皆さん、こんにちは!  

 私は高雄市の修煉者で呉睿蓁(ごえいしん)と申します。自分でも分かっていますが、修煉の道において多くの不足があります。以下は修煉をはじめて数カ月しか経たない私の修煉体験ですが、皆さんと分かち合いたいと思います。 

 一、幾千万年も待ち続ける

 世間の迷いの中で私達は幾千万年も待ち続けました。私は雲林県の田舎で育てられ、小学校しか出ておらず、小さいときから自由を追い求め、両親の管理下から逃れて自立したいと考えていましたので、20歳の時に結婚しました。それ以後は、自由自在に生活ができると思っていましたが、それは悪夢のはじまりでした。

 主人は賭博にはまり、愛人を作り、家族の生活を気にかけてくれませんでした。そのため私は一生懸命に働いてお金を稼ぎ、生活を支えていました。精神的な苦痛に耐えながらも、2人の子供と20年間生活してきました。ある日、ガマンが極限に達したと感じ、主人と離婚しました。離婚したあとは精神的に楽になりましたが、よい事は続かず、2年も経たないうちに交通事故に遭いました。私は膝半月板が粉砕骨折し、医者の診断では神経が損傷しているので、生涯付き合わなければならないとのことでした。私は3年間寝たきりの状態になり、歩けるようになって7年後に、偶然の機会に孫の同級生の母親の提案で、裁縫の職業訓練学校に通うことになりました。そうして生活の中での小さな出来事が、幾千万年も待ち続けた大法と出会う機縁になったのです。同じクラスに年配の法輪大法の修煉者がいて、1年後に、もう1人の修煉者が入学してきました。この修煉者の無私無我の積極的な努力によって、冷たい雰囲気だったクラスが楽しい学習の雰囲気に変わりました。

 ある日、彼女たちは煉功の話をしていました。その話を聞いた私は好奇心から「何の功を練習しているのですか?」と尋ねると、彼女たちは「法輪功です」と答えました。私は以前から練功に興味があり、いろいろな団体と接触していました。これまでに法輪功修煉者のような良い人を見たことがなく、人としてなぜこのように良い人になれたのか? 私も学べば同じように良い人になれるだろうか? 彼女たちと同じように良い人になりたい、と思いました。

 師父が『轉法輪』の中でおっしゃいました。「人間の生命の中にはもともと修煉は入っていませんが、今やあなたは修煉しようとするのですから、あなたのために今後歩む道を改めて段取りしてあげなければならず、あなたの身体を調整してあげてもいいのです」[1] 。私は同修の家で『轉法輪』を一講読んでから、神韻のチケット販売のお茶会に参加し、そして、大紀元時報が主催した9日間の講習会にも参加しました。師父は本当に私の新たな人生を按排してくださったのです。

 二、 法の中に溶けこむ

 9日間の講習会に参加して、「座禅する時に痛みで足を下ろしてしまえば、煉功が無駄になってしまいます」という師父の説法を聞いて、私は煉功する時に痛くても足を下ろさない。なぜならば、煉功を無駄にしたくないし、生涯にわたって膝の障害手当をもらいたくないと思いました。煉功場に行って煉功をはじめてから、数日間は足の痛みで叫んでいました。数日後、骨が刺されるような痛みでガマンできなくなり、大声で泣き叫んでいましたが、それでも煉功音楽が終わるまで足をくずしませんでした。私の泣き叫ぶ声が同修の煉功を妨害したと思い、後で「すみません」と謝りました。しかし、善良な同修たちは親指を立てて、私を励ましてくれました。

 このように、煉功する度に痛みに耐えながら足をおろそうとしなかったのですが、どうしてもガマンしきれずに何回か足を下ろしてしまいました。しかし、間もなく1時間の煉功と、30分間足の痛みがない感覚を味わうことが出来ました。同時に足の存在を感じなくなり、身体の存在も感じなくなり、その感覚は言葉では表すことが出来ません。それは業力の苦痛に耐えたのち、代償として得られた素晴らしい境地の感覚なのです。

 さらに、煉功しているときに地面が金色に見え、初めは網状だったのですが、のちに一面の金色になりました。同修の話では、それは師父が私を励ましてくださっていたのだそうです。

 修煉する以前の私は、本を読むのがあまり好きではありませんでした。無理して読もうとしても、適当に読んでいたのです。しかし同修と一緒に初めて『轉法輪』を読んだ時に、とても素晴らしく感じ、読みたくなりました。法を得て、法を学び、煉功を行ない、心を修めなければなりません。どのようにして師父の法理を悟るのかを学び、トラブルがやって来た時は、どのようにしてトラブルに対処するのかを学びました。そして、師父の法理に基づいて内に向けて探すことを学び、他人のことを見ずに、自分だけを見るようにして、師父の言葉「内に向けて探す」を聞いていれば、根本から業力が浄化されるのです。それは、とても素晴らしくて、とても不思議なのです。

 修煉する以前は、私と接する人々は優しさがなかったのですが、修煉してから、彼らは私に優しく親切に接してくれるようになりました。こうなってから、私がよく口にする言葉は、「どうしてこうなったのか」、「どうしてこんなにリラックスできて、こんなに幸せなのか」です。大法は本当に不思議です!

 三、 雲の上での誓約を果たす

 修煉をはじめる前は、ビルの清掃と靴の製造のアルバイト収入で生活をしていました。修煉してからはビルの管理者と住民の間でトラブルが発生し、私の仕事にも影響が及びました。この時ある修煉者から、「人を救う新聞があって、配達員を募集しています。もしあなたが行けば、衆生を救うプロジェクトに参加する事ができ、同時に収入を得ることもできます」と教えてくれました。この話を聞いた私は、「それはいいことですね」と返事しました。新聞配達は私にとってそれほど辛い仕事ではなく、とても楽しく、とても面白いと思いました。その時の私は「大紀元時報」について、どのような新聞なのかは知りませんでした。

 大紀元に面接に行き、支社長が私の条件は会社の要求に適していると言われ、いつから新聞の配達をはじめるかは責任者からの連絡を待つようにと言われました。ちょうど同じ時期に、娘が車を買い替えることになりました。補助金が許可されるまでの期間中、娘は通勤に私のバイクを使いたいと言い出しました。もし新聞社から通知が来ても、バイクがなければどのようにして新聞を配達すればいいのか、と心配していました。結果として娘が買った車の納車は21日で、新聞配達は22日からはじめると連絡がありました。この出来事は私にとって、とても奇跡のように思えて、師父の按排だと思いました。

 私は新聞配達をとても楽しみにしていました。唯一の心配は道を探すのが苦手なことでした。同修が手助けしてくれると言い、必要であれば、息子に頼んでカーナビで道案内をしてくれると言いました。この話を聞いて私は嬉しくなり、「素晴らしい、心配する必要がなくなりました」と話しているうちに、同修は私に依頼心があるのではないかと言いました。以前は彼女も依頼心があったそうですが、依頼心という執着を取り除かなければならず、依頼心は人の思考を鈍らせ、愚かにさせてしまい、人の手助けを待つようになります、と話してくれました。私は心を静めて考え、その通りです。私にも依頼心があり、しかも強いのです。交流を通して私はこの依頼心を取り除くことを決心しました。私は同修に「まず、1人で道を探してみて、見つかるかどうかを試してみます」と言いました。結果として依頼心が取り除かれ、道に迷いませんでした。道を探す事はそれほど難しくなく、依頼心が自分を阻んでいたのです。

 研修期間が終わりに近づき、正式に新聞を配達する日が近づいてきました。私は新しい道を覚えるために、2日間煉功場に行きませんでした。このことを知った同修から「いつから正式に新聞の配達をはじめるのですか?」と尋ねられ、私は「あと1週間ありますが道を探すのは難しく、見つからない道もあり、だから出来るだけ早く道を見つけるために、煉功場に行きませんでした」と事情を説明しました。同修に「それはあなたを煉功させないための妨害です」と悟らされ、私は同修の話を理解して、煉功場に行きました。結果として煉功場から出ると、見つからなかった道がすぐ見つかったのです。この事でさらに分かったのは、大法弟子は行なうべき事を行なうべきであり、もし自分が乱れてしまえば、旧勢力に妨害されるということです。

 正式に新聞を配達する前の打ち合わせで、責任者の同修に「新聞を配達する際に、もし犬に追われたらどうしますか?」と聞かれ、私は「早足で逃げます」と答えました。しかし彼は「法輪大法は素晴らしい!」と念じるそうです。後にグループ学法の最中に、孫が学校の運動場で横たわっている2匹の黒い犬の写真を送ってきました。その写真を見た私は思いました。縁もゆかりもないのに、なぜ犬の写真を送ってきたのか? 不思議に思いました。翌日、新聞を配達した際に、写真とそっくりの2匹の犬と出会い、とても凶暴そうに私を追いかけて来ました。どうすればこの2匹の犬を振り切れるのか? バイクのスピードを上げて振り切ろうとしましたが、スピードが速くなればなるほど、犬ももさらに速く走り、どうすればいいのか? 迷っていると、脳裏に同修の話が浮かびました。そして私は犬に向かって大きな声で、「法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。すると凶暴だった2匹の犬は、瞬時に子羊のようにおとなしくなりました。

 新聞配達は徐々に慣れてきましたが、別の試練に直面しました。私が修煉をはじめてから娘は3回連続で昇進しました。嬉しい事ではありますが、反面悩み事も増え、今の職位では出張が多くなり、家にいる時間が少なくなりました。そのため新聞配達に出かける時、家で幼い孫が1人になります。どうすればいいのか? 娘は私の身体を心配して新聞配達の仕事をやめるように勧められ、私も悩んでいました。その後、同修と交流しました。同修は「私達は一体であり、あなたの新聞配達を手伝う事はできないにしても、あなたの家に行って孫の面倒を見る事はできます」と言ってくれ、私は「それは疲れますよ」と言うと、同修は「疲れませんよ、付き添いをすればいいだけで気楽です」と言ってくれました。このことを通して私が感じたことは、師父の法を正すことを手伝い、衆生を救い済度するため、同修たちは一体になっているということです。

 修煉をはじめて発正念を学びましたが、真に発正念を理解したのは、新聞配達の仕事をするようになってからです。新聞配達に慣れるに従い仕事もスムーズになり、心の緊張もほぐれました。脳裏に雑念が増えはじめ、新聞の配達が終われば、朝食は何を買って帰ろうか? 家族は今頃どうしているのか? と考えているうちに、1台の車が横から突進して来て、衝突する寸前で止まりました。数日後、また1台の車が正面から突進して来て、双方とも急ブレーキをかけたので、ギリギリのところで衝突を避けることができました。

 この時に私は自分に言い聞かせました。新聞配達するのは衆生を救うためであり、とても神聖なことで、厳粛に対処しなければなりません。翌日から新聞配達する時、集中して絶えず発正念をするようにしました。そうすることで状況が変わり、発正念する時に特別な感覚があり、別の空間に行ったように感じ、道や建築物と空の色まで異なり、透き通るように見えました。30年間住み、熟知していたはずの街は、なぜかいつもと違うように見え、普通の街が形容できないほど美しく本当に不思議でした。

 6月1日、新聞社が常人の会社に依頼した新聞配達を取りやめたため、私達の配達量が大幅に増えました。ある日、バケツがひっくり返ったかのような大雨が降っていました。私達ははっきりと分かっていました、これは正邪の戦いなのです。皆はこのことを厳粛に捉え、必ず良く行なえるように、真相を順調に顧客の手元に届けられるようにと考えました。

 1人の顧客の住所をどうしても見つけることが出来ず、慌てている時に、脳裏に師父の説法がよぎりました。それは「何かに遭遇しても驚かず、冷静で落ち着いて理性的に考えることができ」[2]という言葉です。そして私は心を落ち着かせて周りを見てみると、探していた場所が目の前にありました。この日、配達時間はいつもよりかかりましたが、無事に新聞配達を完了したという連絡が次々と入りました。この結果を聞いて、同修はみんな喜びました。

 私は4、5歳の時に毎晩、一塊の雲が私の身体に落ちてくる夢を見ていました。成長するにつれてこの夢を見なくなりました。私はこの夢の意味について多くの人に聞きましたが、答えが見つかりませんでした。同修にこのことを聞いたところ、「天上の神の座る椅子は雲であり、あなたの天上の椅子があなたを探しに来たのかもしれず、そのことを忘れないようにという意味かもしれません」と教えてくれました。私もそのように思いました。後に大学教授の同修の講演会に参加する機会がありました。その同修が壁に掛けてあった「誓約」の掛軸を指をさした際に、彼の指に沿って掛軸を見ると、掛軸の中の神々が雲の上に立っておられました。そこで私は「なるほど、私の雲はあの雲と同じだわ!」と思いました。

 師父の各地での説法を学ぶことで、法を正す時期の大法弟子は天上において、師父と誓約を交わしたことがわかり、師父について衆生を救う使命を果たすために降りてき来たことがわかりました。

 新聞配達の過程で困難や試練に直面したことがあり、やめようと思ったこともありました。その時、師父が説かれた「あなたは当初掛けた願を実現させず、創世主の要求どおりに行なっていなければ、行なうべき事を全うしなかったことになり、あなたは主を騙し、当時の局部の環境、法を正す進展と救われなかった衆生に損失をもたらし、宇宙の異なる次元に損害をもたらしたことに責任を取らなければなりません」[3] を思い出しました。師父はさらに「人類は大審判に臨むということです」[3] ともおっしゃいました。私は心の中で思いました。「師父は大審判に触れられ、きっと大事なことです。もちろん私達は大審判を恐れているのではなく、考えているのは師父は私達や衆生を救うために、苦労されておられることです。もし私が当初、新聞を配達するという誓約を交わしていたのならば、困難だからやめてしまえば、それは師父の苦心された按排を乱したことになりはしませんか? 真珠のネックレスのように、一つの真珠の玉も欠けてはいけません。今生は人間に生まれ変わることが出来たのに、それでは無駄になりはしませんか? ですから私は決心しました。必ず良く行ない、さらに良く行なわなければなりません。

 四、 終わりの言葉

 修煉体験を書く過程で、同修に元夫のことを話しました。彼は親戚が料理店を開店した日に、愛人を連れて飲みに行きました。親戚は写真に撮って私に見せ、私を馬鹿にするように笑っていました。ここまで話すと辛くなり、目に涙が溢れてきました。

 同修の話では、私は元夫に借りを返したことになり、私もそう思いました。しかし、真に法理に基づいて理解していなかったので、放下できずに辛くなりました。同修は、私が思い出した場面を両者の立場を置き換えて考えるように勧められ、私はそうした時にすべてが分かりました。師父が説かれた法理に照らし合わせれば、私達は悪い事をする時に、その場で業と徳の交換になりますが、あとで精神的な苦痛も動揺に味わって、返さなければなりません。これまで私が遭った苦難と境遇は、実はすべて自分の業によってもたされものです。自分が味わった苦しみは、相手も以前同じような苦しみを味わっていたのです。法理を理解した瞬間に、私は真に放下してとても楽になって、大法修煉は本当に素晴らしいと思いました!

 師父の慈悲なる済度に感謝いたします。手助けしてくださった同修に感謝します。私達は共にさらに精進して、師父が法を正すことを手伝う使命を、これからもしっかり果たしていきましょう!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『北米での巡回説法
 [3] 李洪志師父の経文:『九年大ニューヨーク国際法会での説法

 (2019台湾法会の発表文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/25/396189.html)
 
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