流れをさかのぼって 高い峰に登ろう
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年1月18日】私は大法の修煉に入って、すでに21年目になりました。1998年の年末の頃は身体や仕事、また家庭の経済状況など全てがとても辛い時期で、私は法輪功を修煉し始めました。その時から、大法の奥深い法理は私を引きつけ、私の魂を洗い清めてくださいました。大法の本を読む時、私はいつも涙を流していました。私は生命の本当の目的と意義が分かりました。同修達は大法の勉強会や集団煉功点を作り上げました。勉強会や煉功点で現れた神聖さや和気藹々とした雰囲気の中で、皆現れた高尚さは私の心を精煉し、心身ともに変わり、私の人生の道も開けてきました。

 一、 誓約は心の中に

 私が修煉してから半年経った頃に、中国共産党が大法への弾圧を始めました。

 その時、私は煉功点の中で一番遅く法を得た者でした。私の家族も修煉しているし、私の家は平屋なので、出入りが非常に便利で、同修達はよく私の家で交流していました。私たちは世間の人々に、法輪功迫害の真相を伝え始めました。同修達はたくさんの資料や、ステッカー、横断幕などを持って来て、私の家で折り畳んで整えてから分けあって、街頭で資料を配ったり、貼ったりしていました。

 私は一つの信念が固まりました。「邪悪の弾圧であろうと、拘束であろうと、私が家から追い出されても、会社から解雇されても、私は師父の無実を証明したい! 大法への誹謗中傷を正したい!」と思っていました。

 二、 本当の自分に戻り、真の天機が現れる

 弾圧が始まってから10年経った頃、私は知らず知らずのうちに物事を行なうこと自体が修煉であると考えました。そして、徐々に「自分が頑張っていること」を表したいという強い執着心を形成していきました。学法をする時に心を込めていないし、修煉自体も着実ではなく、法理を理性的に認識できず、同修とトラブルを起こした時、自分に向けてしっかり探すこともできず、自分を修めることさえも出来ませんでした。それによって大きな隔たりが形成され、嫉妬心や恨む心、虚栄心、利益心、耳が痛い意見は聞かない、その他にも他人のあら探しをしたり、軽蔑したり、裏で同修の陰口を言う等々の執着心が現れると、しまいには邪悪が私を迫害する口実を掴んで、数回にわたり迫害してきました。それらの迫害に対して、私は自分の内に向けて探せず、なかなか自分を顧みることが出来ないばかりか、結局、痛みを伴う教訓を活かすことが出来ませんでした。

 2011年に、私は再び不当に労働教養を科せられた時、突然、私は目覚めたのです。「私は主佛の弟子です。邪悪が私に毎回、毎回、不当に拘束して迫害することを、師父は認めておられません。師父を手伝い、法を実証することは、宇宙でもっとも偉大で神聖なことですが、なぜ、邪悪が私を迫害する勇気があるのでしょうか」

 釈放されて家に帰ると、私は心を落ち着かせ、多くの時間を取って学法しました。法に照らし、真剣に自分の内に向けて探しました。師父は、私の真剣な修煉の願望を見られ、法理を私に示されました。例えば、ある日私は「心性の修煉を重んじ、自らを真の修煉者として常人社会の中での行為を規制して いけば、あなたの功は上に伸びていきます」[1] を読んだ時に、「真の修煉者」の文字がとても際立っていて、学法した後にこの文字に対して非常に深い印象が残りました。おそらく私が長い間着実に修煉していなかったために、真の修煉する弟子として基準に合わなかったので、師父は私に啓示されたのではないでしょうか。

 師父は、「自分の修煉状態を直視する勇気がなく、自分の不足を見る勇気がありませんが、それなら何を修めているのでしょうか?」[2] とも説かれました。私は自分に対峙し、自分を細かく分析しました。多くの人心や執着心が根付いており、以前は触れる勇気がありませんでした。これらの人心や執着心によって、多くの魔難を招いてきました。私は法に照らし、心を込めて修煉することを決心しました。トラブルがあったら、強制的に内に向けて不足を探しました。

 この時から、私の頭が突然開けたように、法理が見え、修煉もできるように感じました。本気で修煉すれば、師父は必ず導いてくださいます。すべての困惑や問題などの解決案は、法の中にあります。私の心がパーっと広くて楽しく感じ、法を勉強すればするほど、心を静めることになります。大法の本を捧げた時、非常に親しいと感じます。2014年からは法の暗記以外に、私は毎日少なくとも二講の『轉法輪』を坐禅を組み勉強して、一日も欠かしたことがありません。私は一思一念に対して、しっかり修めて、修煉の道に、家庭の関、利益の関、色欲の関、邪悪の迫害の関を一つ一つしっかり乗り越えています。

 修煉者のすべては大法から出て来ます。私は、「法をしっかり勉強すれば智慧が生まれます。個人の利益の中から脱出してからは、低い次元の理に制限されていません。一思一念を法で導くと、複雑な現状の虚像に左右されず、より高い次元から問題の本質がはっきり見え、師父の要求を満たすことができ、師父の言われる通りに行なえます。これは本当に師を手伝って法を実証することだ」と悟りました。

 三、 基点を正してからは、まっしぐらに修煉の道を走る

 3カ月前に、地元のA同修が強制的に連行されました。Aさんと親しいB同修がおり、Bさんは刑務所に勤めている親戚から、「刑務所の中に、Aさんが数人の同修を売り渡し、警官は売り渡された同修を捕まえています」という話を聞きました。一時的に、同修は不安に襲われビクビクしていました。一部の同修は恐れて資料を作る勇気がありませんでした。同修の間に、このことを議論し、Aさんの不足についても議論しました。さらにわざわざ私に会ってこのことを話し、「あなたはAさんと仲がいいから、安全には注意してね」などと言いました。

 私の家からAさんの家までけっこう距離があるので、互いの連絡は少ないですが、年始の頃、Aさんは「一緒に真相を伝えよう」と私を誘いました。Aさんは家庭のヘルパーの仕事をしており、離婚して息子が1人いて、生活は非常に大変でした。毎回、私が資料を用意すると、Aさんは約1時間ほどバスに乗って、私の所にやって来てから、一緒に資料を配ったり、貼ったりしていました。私たちはうまく協力し合って、効率も高く、私たちの会話はほぼ法に基づいての交流で、常人の話が一切なかったのです。Aさんは衆生を救い済度することについて、非常に積極的で、私を引っ張っていました。Aさんへの迫害は、A同修の取り除くべき執着心がありましたが、地元で師父を手伝って、衆生を救い済度する活動については大変な損失になりました。

 師父は、「真の煉功者としては、高い次元に立って物事を考えなければならず、常人の考え方で物事を考えてはいけません」[3] と説かれました。Aさんの同修を売り渡す件の話について、私は初めて聞いた時に、単純に「私たちが一緒にした時、すべて法に則って、正念も強いので、この迫害は私と関係がない」と思い、Aさんに正念で加持する以外、私はやるべきことを引き続きやっていました。2回目にこの話を聞いた時も、私はあまり深く考えていませんでした。3回目の時に、3人の同修がわざわざ遠いところから車に乗って私の家にやって来て、この話をした時に、私の心がとても痛みました。私も多くの迫害の経歴があります。邪悪な恐怖の環境の中で、人心が現れたとき、外の同修の正念の加持や全力で迫害を否定することがどれほど大事でしょう。私は深刻な体験があり、厳粛に、そして厳しく同修に、「私たちは同修のために発正念すればよいのではありませんか。常人でも誰かが困っている時には、互いに助け合うでしょう。まして、私たちの同修であり、大法弟子は一体です。同修は師を手伝ったために、迫害を受けています。私たちはこのように噂を伝えあって、同修にマイナスの要素や魔難を加えて、これで本当にいいのでしょうか。これが師父の望まれていることでしょうか。そして、誰かを売り渡そうと思っても、売り渡すことができますか。邪悪は誰かを迫害しようと迫害することができますか。私たちは師父と大法をどの位置に置いていますか」と話しました。同修たちはこの話を聞いて、考えも変わりました。その後、私はこの類の問題について、数回、協調人や他の同修たちとも交流し、同修の皆がすべて法に則って向上しました。

 以前、このようなことが現れた時、私も受け売りしたことがあります。今は深く師父の要求を感じました。それは「流れに逆らって進んでいます」[4] ということで、変異した現代の観念に縛られず、この十悪毒世の中から脱出してさかのぼることです。同修にいくら不足があっても同修で、師父が選択された人です。邪悪を手伝って同修を迫害することは絶対にあってはいけません。恐怖のために他人のことを構わず、自分を守るためなら何でもやるのはいけません。魔難を大きく見ることは私たち全体の力が減っていることです。どの基点に立ち、私たちに対して、修煉の中で昇華できるかどうかがポイントです。

 四、 3回真相のパンフレットを送られて、修煉の機会になる

 今年の年始の頃、ある同修が私に50冊の真相のパンフレット(9枚のA3、あるいは、A4の資料まとめて1冊のパンフレットになる)を送ってくれました。数年前に私たちはこのような資料を都市や田舎に大量に配ったり、貼ったりしたことがあります。今、都市は言うまでもなく、田舎でさえも監視カメラを至る所に取り付けています。多くの所に警官が同修の家に検査しにやって来て、既に3人の同修が強制的に連行され、不当に判決を下されました。このような環境の中で私は恐怖心が出て来ました。私はこの真相資料を見て、「これらの真相資料を配り終わったら、田舎へ行って真相を伝え、三退活動を行なおう、このことは同じでしょう」と思っていました。

 しかし、その真相資料を配り終えると、また、協調の同修がさらに100冊を送ってきました。私の圧力がもっと大きくなり、やりたくない気持ちが出て来ました。「なぜ他の同修にやらせないのか? あなたはいつも真相資料をためてはいけないと強調しているのに、なぜ、全部私に送ってくるのか?」と、私は考え、恨みの心が現れ、協調の同修を見ると機嫌が悪くなりました。その間、私と協力しあった同修も私への態度が強くなり、私のことに対して、これも良くない、あれも良くないと話していました。きっと私の修煉のどこかに問題があるのでしょう。しかしどこに問題があるのか分かりませんでした。

 その後、この100冊の真相資料をまだ配り終わってないのに、協調の同修はまた70冊の真相資料を持ってきました。この時、私は初めて「このことは偶然ではない」と認識して、真剣に考えました。同修は数回にわたり、大量の真相資料を送って来ました。これは必ず、私の何か良くない心に対するものだと思いました。

 師父は、「修煉過程において自分が出会った苦難などを理解できるかどうか、受け入れられるかどうか、自分が修煉者だと悟れるかどうか、修煉過程においてこの法に従って実行できるかどうか、ということです」[3] と説かれました。このことによって、多くの隠された執着心、そして、いつも直面する勇気がない執着心が見つかりました。私は衆生を救い済度するための神聖な大法の真相資料を、邪悪が迫害するための危険な物品だと見なしていました。この資料を配り、衆生を救い済度することを常人の任務と考え、連行される心配のために早くこの任務を終わらせ、安心したいと望む心、不公平だと思う心等々です。このような汚い心を持って、法を実証することをやって、神聖と言えますか? これは師父を手伝うということですか? これは師父がこのことを利用して、私の深く隠れた人心を取り除くためだと悟りました。

 実は協調の同修もたいへんで、地元の全体の法を実証することをうまくやるために、忙しく走り回っています。私には経験もあり、少し分担しても良いのではないか? 私は自分に「もしも、この真相資料配布を師父がやらせており、宇宙の法を正す中であなたが埋めるべきことであれば、あなたの世界にあなたがこのように充実する必要があり、あなたはそれを不公平だと思いますか?」と聞きました。修煉の中に小さいことはありません。この心があれば、天上の神も認めません。私はこの良くない考えについて、恥ずかしいと思いました。法理がはっきりすれば、正しくない心を取り除けば、心も平然となりました。

 しかし、時々夜に資料を貼る時、1日中、心が不安を感じ、マイナスの考えが出て来て、「今夜は無事だろうか」と思い浮かぶ時、私は発正念で徹底的に否定します。

 ある日、私の頭の中にいろいろな良く考えが出てきて、当日の夜田舎で資料を貼るなら、何か良くないことが起こるようと感じました。この時次のような、師父の法が私の頭に表れました。

 「将来、あなたに錯覚を与えて、それらすべてが存在しておらず、みんな偽物だ、とあなたに思わせるようなことも起きるかも知れません。動揺するかどうかを試すのです。絶対動揺しないという決意があり、いざという時に本当に動揺しなければ、あなたはおのずと乗り越えることができます。なぜならあなたの心性がすでに向上しているからです」[3]

 私は、「このことは師父がより高い次元へ突破するように弟子を按排された」と悟りました。私はすぐ一念を固めました。「私の生命は師父が下さったので、大法を修煉することを必ずやることで、師父の話に従うことも必ずやり遂げることです。宇宙のすべての衆生は正法の中で、自分の位置を置きます。大法弟子は正しい道を歩み、師父を手伝って人を救って、なぜ邪悪や悪い人に迫害されるのか? 誰も迫害する資格がありません」。こう考えて、すぐ山を切り開く力を感じました。その後、マイナスの思惟が現れたことがないで、大法からくださった強い正念は正しくない要素をすべて徹底的に解体しました。私は師父を信じ、法を信じることによって、もたらされた玄妙さを体験しました。

 その後、真相資料を貼るときは、正念も強いし、穏やかで、心も平然としていました。大法の力を超常的に発揮し、資料を貼ることは速くて神聖に行なっています。同修との間隔も消えて、もっとうまく協力し合っています。

 師父、ご安心ください。弟子は将来の道がどのぐらい長くても、私たちは必ず従っていきます。師父の救い済度と期待に必ず添います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [4] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDCでの説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/12/30/398008.html)
 
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