「事実の不知は罰せず」なのか?
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年6月2日】古人は「天地が万物を作った際、生生(しょうじょう)(※1)する徳性も万物に与えた。この生生する内在の力は、万物に生気を満ち溢れさせ、成長を競わせる」と考えました。

 「道」は万物の源、生命の源でもあります。老子は「人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」と説き、人と自然との関係を述べ、宇宙の万事万物が宇宙の特性および生生する運行法則に従わなければならないことを掲示しました。

 俗世の中で、利益、名声、情欲などは人々の心を常に是と非(※2)の瀬戸際でさまよわせており、現代社会であればあるほど誘惑が多くなるため、人々は知らないうちに「天道」からますます離れてしまいました。

 「自然の法則を観察し、その法則に基づいて行動する」。このようにして、人間は初めて天、地、自然と調和が取れ、天下は初めて平和の世になり、政権は初めて長く続くことが出来るのです。中国の儒、釈、道(※3)が融合する文明の中で、天を敬い、道を追求する内包は変わらないものでした。

 昔、ある人がお釈迦様に「事実の不知は罰せず」との言い方が正しいかと聞きました。これについて、お釈迦様は直接回答せず、「今、火箸があるとする。その火箸は真っ赤に焼けているが、肉眼では分からない。もし、その火箸を取ろうとするあなたは、火箸が真っ赤に焼けていることを知っている場合、あるいはまったく知らない場合、どっちの火傷が酷いと思うか」と質問をしました。

 その人は少し考えてから、「それは知らないほうが、火傷が酷いでしょう。なぜなら、知らないと、まったく心の準備がないから、防ぐ措置を取らないからです」と答えました。

 仏陀は「そうだね! もし火箸が真っ赤に焼けていることを知っていれば、取る時に、慎重に注意深く、少しも油断せずにやるだろう。逆に知らないまま取る場合、きっと大胆に取ってしまう。『事実の不知は罰せず』というように、事実の知らない者は受けた被害が最も大きく、最も悲惨だということを考えるべきだ。人間は真理を知らないからこそ、果てしない苦海に落ちこぼれてしまうのだ」と諭されました。

 仏陀の話は哲理に富んでいます。知ることは人を賢明にし、無知であれば、人が愚昧になり、騙されやすくなります。神佛に対する誹謗中傷を信じる人は、真相を知らず、神に背き、法を乱し、ひどく毒害されます。早く心を翻(ひるがえ)して目覚めてほしいものです。

 (※1)生生(しょうじょうとは、生まれては死に、死んでまた生まれることを、永遠に繰り返すこと

 (※2)「是」(ぜ)は道理にかなったこと。 良いこと。 正しいこと、「非」は道理にあわないこと)

 (※3)中国の儒、釈、道( 儒とは、儒教。儒教は宗教ではありません。思想です。人間社会のルールみたいなもの。 釈とは、お釈迦様の仏教。インドから伝わり、本土化に成功しました。 道とは、道教。中国生まれの宗教ですが、思想でもある

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/9/404958.html)
 
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