文/日本の大法弟子
【明慧日本の2020年6月15日】昨夜、発正念をして、神通力を使って邪悪を一掃した時、一気に入定した状態に入りました。その時、世界の全てが止まったように感じ、自分がある広々とした空間に入りました。私は閉じられたまま修めているもので、他の空間が見えません。今回の入定した状態は私に殊勝で超越した、素晴らしい体験をさせていただきました。今まで長い間、このような状態に到達していなかったため、もしかしたら、これは神の状態ではないかと思いました。
「神の状態を保つには、全く異なる思惟方式を持たなければならず、その際には、世界に対する見方や関門を突破する考え方も、全く違うものでなければならない」と私は悟りました。入定した状態が終了して大法の本を開くと、師父の次のような法が目に入りました。
「人間が神のことを何と言おうと、神はまったく気にしません。人間は神を動かすことができません。神はあなたがしたことに自分とどういう関係があるのかを、まったく気にしないし、まったく構いません。なぜなら、あなたは神を動かすことができないからです。神は人心を制御して、人間の行為を左右することができますが、人間が神を左右しようとしても、それはありえますか? ですから、神になりたければ、あなたはこのようにならなければいけないのではありませんか? あなたは執着を放棄しなければならないのではありませんか? 人間に動かされえる心を全部、放下すべきではありませんか?」 [1]
それは世俗から超越した心理状態で、場合によっては、関門を突破する概念すらもないと私は思いました。そうなれば、不公平に耐えるとか、辛くて我慢するとか、というような事も当然なくなります。なぜなら、私達は自分を神と見なしており、まったく心を動かさないからです。法を正す師に手伝うこの肝心な時に、神の状態を保つことが出来れば、私達は邪悪に容易に勝利し、神通力を使って困難な状況を突破することが出来ると、私は深く体得しました。
しかし、神の状態を長く保つことは難しく、どうすれば、この神の状態を長く保つことが出来るのでしょうか?
今朝、目が覚めて煉功をしようとしました。昨日のあの素晴らしい神の状態は、再び現れることはもうなく、また「人間の状態」に戻りました。私は頭がフラフラして、鼻水、涙も出てきていわゆる花粉症の症状が現れ、心の中に言い表せないイライラした沈んだ気分になりました。昨夜のあの素晴らしい神の状態と自分が体得したものは、すでに遠い昔の記憶になっていました。しかし、修煉しようとする心は再び私に、神の状態を保たなければならないと促してくれました。「どうして、神通力を使わせないのだろうか」と思い、そこで、私は自分の100万の兵隊(交流の文章には、大法弟子には100万の兵隊がいると書いてあった)に、自分の正しくない状態の背後に潜んでいる要素を全部一掃させました。正しくない状態を持っていれば、神の状態に到達できないと思ったからです。
十数分後、頭がはっきりとしてきて、花粉症の症状もなくなり、落ち込んだ気持ちも消えてなくなりました。
心性の関門を突破する時、自分を神の状態に到達させ、いかなることにも心を動かさないようにし、些細なことでも見逃さない、これこそ神の状態を保つ努力ではないでしょうか?! 以前、神の基準で自分に要求するのが厳し過ぎて、手が届かないと思いました。しかし、もしもずっとこのような思惟を持っていれば、最後に、師父が私達の圓満成就を迎えられた際に、私達はその瞬間に神の状態になれるのでしょうか?
昨日、師父は私に神の状態の素晴らしさを体験させていただき、その法理も見せてくださいました。それは神の状態で、この世の中の全てに対応すべきである、と気付かせてくださったのです。必ず、やり遂げなければならないと思いました。
実は、本当に神の状態を保てば、すべてのことが簡単になり、修煉の道で、あなたは破竹の勢いで前進することが出来るようになります。なぜならば、神はすべての問題を解決できる能力を備えているからです。ですから、私達は自分を低く見てはいけません。自分を低く見ることは、大法を低く見ることになります。そこで、私は、「あなたは神です。神の思惟を持って、神の心理状態ですべての事に対応しなければならない」と自分に言い聞かせました。今から、そしてこれから先もずっとこうしなければならない、と思いました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法七』「二〇〇六年カナダ法会での説法」