「修は己にありて、功は師にあり」についての理解
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文/カナダの大法弟子

 【明慧日本2020年1月3日】先日、学法の時に「修は己にありて、功は師にあり」[1] の説法について、新たな認識を持ちました。

 一時期、体が前よりだる重く感じ、胃腸にも異常が現れ、時々めまいもして、少し体力を使っただけで、息切れや動悸がするようになりました。

 1995年に法を得た時から、師父が身体を浄化して下さり、そして、その素晴らしさをこの身をもって体験してきました。また、師父は我々の業力を細かく分けて心性の向上のために、次元の向上のために、そして、業力の転化のために、修煉の各次元に難や関が設けられているということも学法を通じて知りました。

 ですから長い間、体がだる重く感じるのは、きっと自分の修煉状態に問題があるに違いありません。そして、いい加減にこの問題を早く解決しなければならない、ということを悟りました。心性が向上せず、長期間同じ次元に留まっていると、自分の体も「不健康」な状態に陥ってしまうからです。

 師父は「心性が高まってくると、身体にも大きな変化が起こります。心性が高まってくると、身体を構成している物質も間違いなく変化が起こります」[1] と説かれました。

 では、一体どこに問題があったのでしょうか? 毎日、学法や煉功発正念、真相伝えの「三つのこと」を行なっているように見えますが、一つ一つよく照らし合わせてみたところ、学法に問題があることが見つかりました。長い間、決まった時間にネット上で、当地区の同修たちと一緒に法を勉強しています。しかし、時間が経つと形式化してしまい、法を勉強するときに他のことを考えたり、他の同修が法を読んでいる隙に、別のことをしたりするなど、学法に全く集中していませんでした。

 師父が弟子からの「病状」についての質問に回答するとき、「ですから、最もひどく妨害され、最も深刻に迫害されている人の多くはあまり精進していない学習者であり、あるいはいつも法を勉強していない人、法を勉強するときほかのことを考えている人です。こういう場合が多いのです」[2] と説かれました。

 自分の状態はまさに師父が説かれていた典型的な状態でした。法を勉強する時に、他のことを考えており、この状態が長い間続いていたのです。

 法を勉強する時間が決まっているのなら、無条件に、真剣に、頭がはっきりした状態で法を勉強しなければなりません。今後の学法時には、常に自分自身を律して注意しなければなりません。

 学法の状態を正していくにつれ、何も求めずに、純粋な心で法を勉強する時、師父の説法が生命の深いところまで届いているのをよく感じますし、学法の素晴らしさもよく体験します。そして、知らないうちに体調も良くなっていき、自らの修煉状態も改善されているのがわかりました。

 今回のことを通じて、師父が説かれた「修は己にありて、功は師にあり」[1] の法理について、新たに悟りました。自らの不誠実な学法状態を改善して、乗り越えるべき関を乗り越え、自分を正していけば、師父が与えてくださった功が働き始めるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二〇一〇年ニューヨーク法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/12/23/397360.html)
 
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