明慧法会|善念と慈悲で人々を救う(下)
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文/中国の大法弟子 本人が口述し同修が整理

 【明慧日本2020年6月23日】(前文に続く)

 留置場で法を実証する

 正念が不足している時には危険に遭う可能性があります。2011年の旧正月まであと3日の時、私は「今回は多めに配ろう。旧正月は外に出る時間がないから」と思いましたが、実際は仕事に対する執着が起こり、資料を配る時に発正念をしませんでした。配り始めてちょうどしばらく経った時、ガードマンに見つかり、ガードマンはすぐに私の手をつかみ「どこを探してもお前たちは見つからないが、今日は捕まってしまったな」と言いました。そして警察署に電話しました。一緒に来ていた同修が声を聞きつけ急いでやって来てガードマンに「こんなに年を取っているんですよ、彼女を解放してあげてください」と言いました。ガードマンは「それはできますか? できないね」と言いました。同修を巻き添えにしてはいけないと私は思い、大声で「余計なことをしないでください、私はあなたのことを知りません、すぐにここから離れてください」と言いました。

 そして私は真相を伝え始め、その時は夜の8時過ぎの小さな公園の中で、すぐに50~60人が取り囲み、みんな静かに聞いており、口をはさむ人はいませんでした。ガードマンも私が真相を伝えるのを止めず、もともと警察署はそこから7、8分の距離でしたが、パトカーが遅れてしまい、パトカーがやって来たときは、私が伝えるべき真相を伝え終えて2時間近く経過していました。

 警察署に着くと、警官は私に尋問し始め、私の資料がどこからの物なのかを尋ね、私は「あなたには何も言いません、裏切り者になってしまうので何も言いません、だから話しません」と言いました。警官は一晩中尋問して私を眠らせず、翌日留置場に連れて行かれることになりました。警察署の門を出ると、今まで見たこともないような薄暗い空が見え、灰色の霞が空を覆っており、私はその時「空も私に対して不公平だ」と感じました。留置場について検査した時高血圧になったことのない私が最高血圧220、最低血圧180の検査結果で、それでも留置場に入れられましたが、留置場の警官は恐れていました。

 師父は「たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないようにしてください」[2]と説かれました。留置場では毎日留置場の規則を覚えさせられ、私が師父の『論語』を暗唱すると、警官たちは私に薬を飲ませ、私は薬を吐き出しました。私がいびきをかくので、夜に横で寝ている人が私を私を起こし、私も罪悪感を感じ、他の人の休息に影響を与えることを心配しました。翌日、留置場の警官が監房にやって来て「誰が夜いびきをかくんだ」と聞きました。私は「私です」と言いました。留置場の警官は大声で他の人に向かって「みんなに言っておくが、おばさんがいびきをかいて、誰かがおばさんに手を出したら、一生ここから出られなくなるぞ」と言いました。それ以後、監房内の人は私に対してとても礼儀正しくなり、トイレに行くのも私を助けてくれました。

 私は2回監房が変わり、最初の監房に5日間滞在し、5人を三退させ、次の監房に19日間滞在し、13人中9人が三退しました。私は留置場内ではいつも自分の言行に注意し、日用品も多めに買い、困っている人にあげました。真相を伝えることはスムーズにいきました。

 二つ目の監房の牢名主は20代の女性で、けんかをしたために、重刑に処される予定でした。牢名主は「彼らはみな私が15年以上の刑になると言っている、どうすればいいですか?」と言いました。私はいつも牢名主に真相を伝え、牢名主に「法輪大法は素晴らしいとあなたが信じれば、すべてが変わるでしょう」と伝えました。牢名主は承認しました。牢名主は他の人に対して特別に厳しいのですが、私にはとても親切で、ピーナッツやアヒルの卵は留置場ではとても貴重なのですが、牢名主は私にも配布し、自分が食べるインスタントラーメンも時には私に少し分けてくれました。

 私は2年の労働教養が確定しましたが、師父のご加護の下、留置場に24日間だけとどまり、留置場外執行という形で出てきました。留置場を出る時、牢名主は私に「ある時留置場の警官の事務所であなたのファイルを見たことがあり、重刑に処すと書いてあり、その時は私は恐ろしくて麻痺してしまい、まさかあなたがこんなに早く出て行けるなんて」と言いました。私は「あなたに話しませんでしたっけ? 誰が決めようが関係なく、大法の師父がお決めになるのです」と言いました。牢名主がお金を持っておらず、また誰も牢名主のことを気にしていないのを私は見て、牢名主に「大法が素晴らしいと信じれば、いつでも誰かに助けてもらうことができ、出て行った後私はあなたにお小遣いを送り、どんな服がいるか言ってくれれば、買っておきます」と言いました。牢名主は「ありがとうございます。おばさんが話してくれたことは全部覚えておきます」と言いました。

 戻って来てから3日目、私は季節に合わせた服を数着買い、500元と一緒に、牢名主に送ってもらうよう娘に頼みました。娘が留置場についてはじめてわかったのですが、牢名主は福報を得て、私が出てきた翌日に牢名主も釈放されました。大法弟子が話したことは必ず約束を守らなければならず、私は牢名主に連絡してに物とお金を渡すと、牢名主はとても感激し、泣きながら「今私は法輪功を学ぶ人たちがどういう人なのかがわかりました」と言いました。

 病業の関を乗り越える

 師父の慈悲深いご加護の下、毎回の病業の関を私はすべて乗り越えてきました。病業の関を乗り越える時に奇跡的な多くのことが起こりました。

 ある時、肩こりの病業の虚像が現れ、腕が上がらず、資料を配るのにとても不便で、私は「師父、資料を配りに出かけても腕が上がらず、どうやって配ればいいのですか、師父早く治してください」と師父にお願いしました。すると翌日よくなりました。

 ある時雪が降っており、物干し台が滑りやすい状態になっており、除雪の準備をするために外に出たところ、まさかかかとが滑るとは思わず、まっすぐに全身が地面に倒れ、五臓六腑がすべて壊れたような感覚がし、耐えらないほどの痛みでした。その時私は「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある」[1]という師父の法を思い出しました。私は師父に「師父、たとえ私にどんな漏れがあろうとも、私はいつも大法の中で正しており、どんな口実であろうと邪悪が私を迫害することを絶対に許しません」と申し上げました。

 どうやって家に入ったのか思い出せませんが、家に入るとまず師父の写真の前に行き、師父にお礼を申し上げたかったのですが、頭を下げることができませんでした。夫に手伝ってもらって床についた後は、まったく動けなくなりました。私は心の中で高度な発正念を行ないました。夜に夫が私に寝返りを打たせようとしたとき、とても痛かったのです。私は夫に音楽プレーヤーを持ってきてもらうよう頼み、師父の説法を聞き始めました。毎日ほとんど寝ずに、3講聞き、起きられないと小さな電子ブックで3講読みました。

 翌日同修2人がやって来て、夫を含めて3人で私に寝返りを打たせました。私がとても苦しんでいるのを見て、夫は病院に行くように提案しました。私は「もし病院に行ったら、一生涯永遠に起きられなくなる。安心してください、数日経てばよくなります」と言いました。

 私は毎日学法に加えて内に向けて探し、数日前義理の息子に真相を伝えた時、義理の息子が中共の毒害を比較的深く受けていたために、真相を聞かないだけでなく大法を中傷し、その時私は憤慨し、年長者の口調で義理の息子に説教をしました。善の心をもって接するのではなく、忍耐力もなく、そのため邪悪に隙をつかれたのだ、ということに気づきました。

 このことに気づいた後、私はさらに厳格に自分を律すると、体はすぐに回復し始め、3日後にベッドを下りて、第一式の功法煉功するのに1時間以上かかり、全身服がびしょ濡れになり、その後に私はやっと眠ることができました。4日目私は第二式の功法を煉功し始め、それぞれの動作は4分間しか保持できませんでした。5日目、私は第三式と第四式の方向を煉功し始め、私は「腰が曲げられないのではないか?」と思いました。師父は「忍び難きは忍びうる、行ない難きも行ないうる」[3]と説かれました。私は師父が説かれたとおりにできるかどうか試してみると、第四式の功法で本当に腰が曲がりました。それから、日に日によくなりました。10日後、私は自由に歩くことができるようになりました。

 私の妹がとても気にかけてくれており、妹を安心させるために、妹のところに行き、その日は40分間坐禅し、半月の間に、私は基本的に正常になりました。夫は「これは本当に奇跡で、こんなに早く良くなるなんて、これがもし常人なら、死ななかったとしても植物人間になっていたかもしれない」と感慨深げに言いました。

 2013年春、ある日私は突然血尿が出て、腰が痛くてベッドから起き上がれませんでした。翌日高熱が出て、唇が割れ、何も食べられず、食べると吐き気がしました。この時、ある年配の同修が会いに来て、毎日私のために正念を発しましたが、やはり高熱が続き、その後同修は用事があり1日だけで帰りました。

 私がもう駄目だと夫は見て取り、私を病院に連れて行かなければならないと考えましたが、私は「心配しないで、私には漏れがあり、法に則っていないところが見つかり、正せばすぐよくなります」と言いました。夫は「こんなに熱があり、何を探しているんだ、病院に行かないのか?」と言いました。私は「私には師父がおられ、私は師父にお任せしています。病院は私を管理できず、病院は私の病気を治療できません」と言いました。

 師父は「皆さんもご存知の通り、私たちは修煉しています。修煉である以上、修煉には偶然なことはありません」[4]と説かれました。私は注意深く内に向けて探し始め、常人である時に行なったことを一つ一つ探しました。前回迫害された後、夫が恐れて真相を伝えるために出かけさせず、私は恐れる心と情の妨害を受け、次第に怠けるようになったことを最後に見つけました。私は「師父、私はしっかり行なっておらず、邪悪に隙を突かれました。よくなったら、私は必ずしっかりと行ない、師父に心配をおかけしません」と申し上げました。執着を見つけ出した後、すぐに私はよくなりました。

 翌日同修が戻ってきて、私は一緒に食事をし、同修は私に一口盛ってくれ、私は「もっとくれますか」と言いました。同修は驚いて「食べられるようになったのですか?」と言いました。私は「食べられます、よくなりました」と言いました。半月後、私は完全に良くなりました。よくなった後私はすぐに法を実証しました。

 慈悲で偉大なる師父に再び感謝し、生命が危険にさらされた時に何度も救ってくださったことに感謝申し上げました。私はすべての同修に「病業の関に遭った時は、必ず内に向けて探さなければならず、必ず内に向けて探さなければならず、問題を見つけ出した後必ず取り除き、実行しなければならず、そうでなければ、何も見つけ出していないのと同じだ」と言いたいのです。この機会を借りて当時私を助けてくれた年配の同修に感謝いたします。

 海外生活に未練を残さず海外で真相を伝える
 私は2013年、2017年、2018年の3回海外の親せきを訪問し、毎回数カ月滞在しました。今(訳注:2019年11月)思い返すと、そこでの生活に未練を残さず、またそこでの環境にも未練を残さず、最も忘れがたいのはそこで電話で真相を伝えて人を救った出来事です。

 2013年、真相電話をかけるプロジェクトに参加し、2カ月という間に200人以上を三退させ、その中で感動的な出来事が多くありました。ある時、吉林大学の学生のところに電話をして、基本の真相から伝え始め、30分以上伝え、伝え終わった後、私は「私は完全にあなたたちのためを考えており、個人的な私心はなく、将来大災害が発生した時にあなたたちが回避できるようにしたいだけです」と言いました。その学生は感動し、三退しました。私は「寮の中に他の学生もいるでしょう、呼んできてください、おばあさんが彼らにも伝えます」と言いました。するとたくさんの人が「おばあさんが話をする必要はありません、おばあさんの話を私たちはみんな聞いており、私たちはみんな脱退します」と言うのが聞こえました。こうして寮の6人が順番に実名で三退し、最後に電話を切るのをためらいながら、学生たちが「おばあさん、お話が聞けて、とてもうれしいです」と言いました。

 またある時、中学校の校長のところに電話をかけました。最初はまったく認めず、校長は「私はキリストを信じている」と言いました。私は「キリストを信じることとあなたが真相を聞くことは矛盾しておらず、キリストも偉大な神であり、私はあなたの信仰に反対せず、私があなたに伝えているのは平安を保ってくださいということです。あなたはよい人なので伝えますが、法輪功は佛法修煉であり、共産党による法輪功への迫害は非常に残酷で、多くの善良な人が迫害により亡くなり、神佛がそれを罰せられないと思いますか? あなたは党員で、その一分子でもあり、脱退すれば、将来の大災難からあなたは遠く離れることになります」と言いました。校長は「私の息子は来年大学に行くので、私は息子の将来に影響を与えることを心配しています」と言いました。私は「影響しません、かえって息子さんにとって良いことで、いったい何を心配するのですか。天と地とあなただけが知っており、私はあなたが誰であるかを知りません」と言いました。校長は「おばあさん、わかりました、あなたの言うとおり、脱退します」と言いました。そして校長は自分の妻を呼び、妻も脱退しました。

 このような例はたくさんあり、正念が強く、師を信じ法を信じさえすれば、真相を伝えることも特別難しいことではありません。

 私はさらに海外の観光スポットや大学のキャンパス内で真相を伝え、2017年に200人以上が三退し、2018年には500人以上が三退しました。ある時学校の卒業式で真相を伝え、2時間で30人以上が三退しました。学生たちはとても純朴で、観念が少なく、話すとすぐに受け入れました。7人の大学生がキャンパスで休んでおり、私は大学生たちに話をしに行くと、大学生たちは最初は敏感で、法輪功に対して多くの質問をし、私は大学生たちの質問に一つずつ回答していきました。大学生たちは私を囲んで聞き、とてもまじめに聞き、ある大学生が「私たちは法輪功の天安門焼身自殺事件しか知らず、なんとこれが真実なんですね、私たちはみんな理解しました」と言いました。数人全員で三退しました。

 ある時観光スポットで済南の女性に真相を伝え、法輪功に言及すると、その女性は顔を向け「こういうことを言わないでください、私は聞きません、法輪功の何がそんなにいいのですか」と言いました。そして大法を誹謗中傷するようなことを言い続けました。その時私はすぐにジェスチャーでその女性を止め、「すみませんが、あなたが脱退しようがしまいが関係ありませんが、犯罪を犯してはいけません」と言いました。私は真剣にその女性のために誠意を込めて話すと、その女性は一瞬固まり、それ以上話しませんでした。私は「なぜ私はあなたに真相を伝えているのでしょうか? 法輪功は佛法修煉なので、もしあなたに神佛を敬う気持ちがなければ、未来はとても危険です」と言いました。そして私はさらに踏み込んでその女性に真相を伝えると、その女性の顔は次第に穏やかになり「おばあさん、申し訳ありません、法輪功はこういうことなのですね、私は党員で、それなら私が脱退するのを手伝っていただけませんか」と言いました。別れる時、その女性は何度も私に感謝しました。

 ある時観光スポットで、私は4人の若者に真相を伝えると、若者たちは真相を聞かないだけでなく、侮辱と誹謗中傷を口にしました。ある若者はさらに私を怖がらせるために警官を装っていました。私は動ずることなく若者たちに真相を伝えても、学生たちは聞く耳を持たずに去っていきました。数日後に再び若者たちに会うと、若者たちは遠方から私に「おばあさん、こっちに来てください」と呼びました。私が行ってみると若者たちの態度が違うことに気が付きました。私は若者たちに「先日おばあさん(訳注:私)が伝えたことを考えてみましたか?」と聞きました。若者たちは「考えてみました、私たちを脱退させてください、私たちはみな脱退に同意します」と言いました。私は若者たちに「本当のことを教えてください、あなたたちは何をしているのですか?」と聞きました。若者たちは「おばあさんは優しそうな人ですので、正直に言います、私たちは全員逃亡者で、中国で麻薬を売っています」と言いました。私は「よくそんなことができますね? これは大罪ですよ」と言いました。若者たちは私に「おばあさん、私たちが脱退した後、法輪功は私たちを守ってくれるのですか?」と聞きました。私は「あなたたちが犯罪を犯しながら神佛に保護を求めるのであれば、神はあなたたちを守りません。あなたたちが犯罪を犯すのをやめ、これから足を洗って正道に立ち戻り、自分で働いて生活し、大法を認めれば、あなたたちの運命は変わるでしょう」と言いました。若者たちは真相を理解した後、みな喜んで三退しました。私がその場を離れる時若者たちは名残惜しげにしていました。数日後再び若者たちに会うと、そのうちの1人がもう1人を指差して「おばあさん、彼は昨日おばあさんに会いたいと言っていて、私が観光スポットに行っておばあさんに会いに行こうと言い会いに来ました」と言いました。この時私は師父が説かれた「慈悲は天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」[5]をより深く理解しました。

 法輪大法の真相を書いた紙幣で真相を広める

 法輪大法の真相を書いた紙幣で真相を広めることについてお話しします。最初は法輪大法の真相を書いた紙幣を私はあまり評価しておらず、ある時人々に真相を伝えた時、その人は「法輪功のことを聞いたことがあります」と言っていました。私はその人に「どこでお聞きになったのですか?」と尋ねると、その人は「紙幣で見ました」と言いました。私は「なんと、法輪大法の真相を書いたこの紙幣は人々を救うのにとても強力なのだ」と思いました。師父は、「私に言わせると、本当に良い方法です。(拍手) このお金を捨てることも、処分することもできないのです」[6]と説かれました。師父が肯定なさっているのであればと、私は法輪大法の真相を書いた紙幣を使って真相を広めようと思いました。

 私はまず野菜や果物を売っている屋台から始め、いつも買い物をする時、おつりは受け取らず、店の人たちに話しかけるのも店の人たちに敬意を払うことであり、次第に店の人たちとの距離が近づき、みなとても親切にしてくれました。そして私が法輪大法の真相を書いた紙幣を使っても、店の人たちも反対しませんでした。店の人たちが忙しくない時に、私は真相を伝え、三退させました。店の人たちが大法を認めた後、私は店の人たちに「お金をあげますけど要りますか? このお金を使う人には誰にでも福報があります」と言いました。店の人たちは「それならもう少しお金を交換してください」と言いました。

 数回交換した後、店の人たちも直接恩恵を受け、10日ぐらいごとに、私は店の人たちに会いに行くと、私が話をする前に、率先して「持ってきましたか?」と私に尋ねました。私は束にして店の人たちと交換し、一度に少なくとも100元で、そのほとんどが1元札で、休日には300元や500元が必要で、最大で1000元が必要でした。2017年から現在(訳注:2019年11月)まで、3万元以上の1元札、4000元以上の5元札、2000元以上の10元札を交換しました。同修の骨身を惜しまぬハードなワークに感謝し、新しいお金を得て法輪大法の真相を書いた紙幣を作るという長い道のりを実行してくれたことに感謝しました。

 情から抜け出し夫の死に自然に直面する

 長年にわたり、私が真相を伝えるのを夫は嫌がることがありましたが、重大な瀬戸際にはいつも私を支持してくれました。ある時私が留置場から戻ると「610弁公室」は70歳代の夫を自治会に呼び、私が洗脳班に送られる、と言いました。夫は「610弁公室」の人員を指差し「あなたたちの誰が彼女を動かす勇気があるか見てみましょう、もし彼女に何かが起こったら、とことんやってやる」と言いました。翌日「610弁公室」の人がわざわざ夫に「溜飲を下げてください、私たちは洗脳班に送りません」と伝えに来ました。

 夫はとても忠実な人で、困っている同修を助けたり、同修が労働教養所に拘禁されていると、いつもお金や物を送りました。ある同修は留置場から戻って来ても生活の糧がなく、夫は困難を解決するために無私でお金を渡しました。

 2007年、夫も修煉を始めましたが、ほとんど真相を伝えず、正念も発しなかったので、多くのことが法に則っておらず、この万古の機縁をつかみきれず、2016年に亡くなりました。私たちは50年以上一緒に住んでおり、関係はとても良好で、夫が亡くなったことは私に大きな打撃を与えました。その時家の中で何かを見たり、何かをした時に昔の夫を思い出しました。私は「これではいけない」と思い、「師父、私を助けてください、これ以上妨害されないようにしてください」とお願いしました。私はこのような妨害を取り除くために、もっと法を学ぶ必要があることを理解していました。それから夫のことを考えるたびに、たくさん法を学びました。

 徐々に私は夫に対する情を放下し「自分は大法弟子だ」と思い、世の中のすべての物に執着せず、旧勢力に迫害の口実を与えませんでした。そこで墓石を彫っている時、私は娘に「お父さんの葬式は他のどんな按排も可能ですが、墓石の真ん中にお父さんの名前を入れ、墓石に私の場所を残さないでください」と言いました。娘はその時泣きだしました。私は「私は信仰を持っているのでこのようにするのです、あなたが私の信仰を尊重してくれることを願っています」と言いました。埋葬の日までに、親戚たちがみなやって来て、夫の墓まで歩いて行ったのが最初だった私は「あなた、私が行なってきたすべてを、あなたが理解してくれるといいのですが、私たちはここではなく、もっとすばらしい場所で会いましょう」と言いました。

 私は大法なしでは歩けません。私は200平米近い家に1人で住んでおり、毎日の生活は充実しています。師父に対する確固たる信念があれば、どんな困難も突破できます。ここで改めて師父のご加護に感謝申し上げます!

 修煉を始めて今まですでに23年になり、私は少しばかりのことを実行しましたが、今日(訳注:2019年11月)まで歩んでくることができたのは、毎日堅持して法を学び修煉してきたことによるものです。しかし精進している同修と比べるとまだ遅れており、現在(訳注:2019年11月)もまだ多くの心が取り除かれておらず、引き続き向上していく必要があります。長年私を守ってくださった師父に感謝します。私はしっかりと行なっていませんが、今後はさらに精進しようと決心し、師父の期待を裏切りません。もう一度師父にお礼を申し上げ、助けてくださったすべての同修の皆さんに感謝いたします!

 初めて原稿を書きましたので、不足のところがあれば、慈悲深いご指摘をお願いいたします。

 合掌

 (完)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」
 [3] 李洪志師父の経文:『轉法輪法解』
 [4] 李洪志師父の経文:『ニュージーランド法会での説法』
 [5] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「法正乾坤」
 [6] 李洪志師父の経文:『ロサンゼルス市法会での説法』

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/7/395506.html)
 
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