明慧法会|協力・協調し連携するなかで修煉がわかった
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年1月5日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは!

 全世界の大法弟子の皆さん、こんにちは!

 修煉を始めて20年余り、修煉の素晴らしさを悟るほどには自分が修煉できていないため、法の博大さと師父のご恩がいつも着実に修煉するなかで現れてきています。以下では私の修煉体験を語り、適当でないところがあれば、同修の皆さんのご指摘をお願いします。

 愚かさ

 私は1997年に修煉を始めましたが、その時は大法とは何か、修煉とは何かについて、認識上ほとんどゼロした。その頃はみんなで一緒に師父が法を伝えるビデオを見ても、師父が何を説かれているのか私はまったくわからず、学法の時も学んでいるのが何かわかりませんでした。私の天目は何も見えず、厚い一層の何かで隔てられているとはっきり感じました。しかし愚かな中でも一緒に学ぶことを知っていたのは間違いではありませんでした。あるいは縁のためなのか、師父の手引きが多く、師父がずっと私を引っ張って行ってくださると感じました。

 1999年7月、大法が中傷され、私は決心して北京へ行き、その後、留置場、洗脳班労働教養所にまで入れられ、不当な判決を受けましたが、私はずっと修煉を堅持し放棄しませんでした。振り返ってみると、その過程にあったものは自分の本性であり、その過程にあったものは師父の弟子に対する評価であり、その機縁、加持、さらには私が体験したエネルギー、それは私自身がまだかつて修めきれていない境地であり、私はまだ大法の内涵を悟っていないことを私の心ははっきりと知りました。修煉を始めるということは、それが佛を修め道を修める法だと知ることであると最終的に同修から聞き、私はとてもうらやましくなり、自分と同修との間の大きな差を知りました。

 目を覚ます

 2012年、私が住んでいる市で大規模な連行事件が発生し、数十人の同修が不当に連行され、中国共産党は、私を捕まえなければならない、と言いました。続いて私たちのところにいる協調をはかっている同修3人が異なる程度で迫害を受けました。突然、暗雲が垂れ込め、中国共産党の殺気を同修たちはみな感じました。状況が少しずつ静まってきた時、同修はすでに相当長い時間「明慧週間」を見ていないことに気づきました。

 言えることはその責任感であり、私は資料拠点の運営の問題について準備しながら交流し、同修たちが正常な修煉環境を持てることを念願しました。準備し交流するにつれて、私が修めることのできない問題が現れ始め、同修間のトラブルが絶えず、同修が全体で協力していないと感じ、ひどく恨み、心が苦しく感じ、疲れました。

 その後、私が堅持する良い方法を師父は少しずつ私に見せてくださり、現実の状況から出発したのでは到達できず、そのため放棄しなければならず、何回か放棄を繰り返した後、何を「自我」と呼ぶのか私は少しずつわかってきました。私はそこで始めて学法を強化して、自分の問題を探しました。

 その後私は「学法と心を修めることは表裏一体の関係をなしており、学法だけをして心を修めなければ向上できず、心を修めるだけで学法しなければ教え導かれる方向を失う」と自分で総括しました。そんなある日『轉法輪』第一講を学んでいた時、本の中に「ここまで、煉功しても功が伸びない二つの原因についてお話ししました。高次元の法が分からないために修煉ができないことと、内へ向かって修めず、心性を修煉しないので、功が伸びないのです。この二つが原因です」[1] と書かれていることに気づきました。私は「自分はいったい何を総括したのか?」と突然気づきました。これは師父がはっきりと私に伝えてくださっているのではないでしょうか? 私もやっと「大法書籍を抱えながらこんなにも長い間、私はまったく法に則って修めていない!」と目が覚めました。

 転換

 2016年、私たちの周辺で同修が不当に連行されました。同修を救い出す方面において、みんな自分のことはさておき、経験がないと感じたり、恐れる心があったり、法律がわからないなどの理由でみんな参加したくありませんでした。私もその中の一人でした。ですから私たちはこの方面で能力のある同修に長期にわたって依頼しています。しかし今回迫害された同修の家族(やはり同修)がこの方面で能力のある同修に会った時、この方面で能力のある同修がおらず、その同修は私に連絡を取り相談した状況下において、家族を直接私のところに回しました。

 この家族は私に会って、事情といきさつを話し、私はとても驚き、これは冗談ではないかと思い、今まで自分が役立たずだと思ったことはありませんでした! 家族のために資料を整理した後、私は家族を裁判所に行かせようとしました。家族は行かず、私に「私と一緒に行くことはできないのですか?」と言いました。この刹那、私は家族を見て、数秒間、家族が必要としているものを考え、家族の要求に応じました。しかしこの時このような局面に応対するための心の準備はまったく何もできていませんでした。

 しかし心とは裏腹にこのことが開始され、私の修煉は根本的な転換点に差し掛かりました。

 救出に参加した同修は基本的に3人に決まり、家族、希望した他の同修と私で、その他の同修は正念を発して協力しました。この家族と他の同修はこの方面での経験がまったくなく、そして私も他の同修を救った過程の中で、ちょっとしたことにわずかに協力したことがあるだけでした。ということは、私たち3人は基本的に空白の状態にありました。それならば私たちが直面するもの、もし迫害されている同修がいる場所の同修たちと交流すれば、弁護士を手配し費用の問題を解決し、必要な資料を作り、連絡を取って弁護士を迎え、その弁護士と関係部署へ行って関係事項を問い合わせるなど、すべて私が積極的に先頭に立たなければなりませんでした。

 救出の過程全体で、同修と協力し協議し調整し、身体の疲労および時間が押していることはみな、私が受けた極めて大きな挑戦でしたが、私は真剣でした。その過程での突破と悟りは多くありました。

 私たちはいかなる先例も知らず、明慧ネットに出された実例を参照し、積極的に裁判所や留置場へ行き、家族の弁護人の手続きを勝ち取って処理を行ない、法廷での弁論に参加しました。弁護士がこの案件に介入した時、裁判所はすでに2日後に即開廷することを確定しており、弁護士と刑事法廷の裁判官、法廷書記などがひどく衝突した状況下で、裁判所の外ではわずか同修2人が正念を発しており、さらに私たちに参加した同修は確固とした正念で動かず、裁判所は最終的に自ら開廷時間を延期し、この弁護士でさえ感慨して大声で「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[2] と言いました。弁護士が私たちを誤解し、私たちの慈悲深い待遇の下で、弁護士の態度が180度変わり、積極的に私たちのために問題を解決する方法を考えました。私は人心が浮かびあがり、もう前に進みたくないと思いましたが、いつも自分のことを考える思想を強制的に排除して、前へ歩を進めた瞬間、険しい道はすぐに平原に変わりました。私の心身が極限に達した時、師父のお言葉を思い出し、よくない状態が瞬間に消えました......。師父のご加持を私は実感し、その感覚はとてもはっきりと強烈で、ありありとしており、エネルギーに包まれているかのようでした。

 迫害された同修は最終的に冤罪を受け、刑期はその裁判所では当時最も短いものでしたが、裁判の過程で、参加したすべての同修にとって修煉上で悟りと向上がありました。今回の案件が控訴、控訴の申し立て、省の最高裁判所などの部門に上告するに向かう全過程で、私たちのほとんどに「成長した」という感覚がありました。

 師父は「ですから、皆さん自分で乗り越えなければならず、なぜなら、法はすでに皆さんに伝え、皆さんも修煉しており、どんなことも修煉の中で解決されますが、あなたが真剣に修煉するかどうか次第だからです。本当に真剣に修めていれば、何でも解決されます」[3] と説かれました。そして今回の出来事は私にとって、最大の体験は「心を込める」ということでした。

 またその時から、師父の法に対して私は新たな認識があり、法の威力と大切さがわかり、また修煉者としての行ないや考え方が法に符合することが肝心なのだということがわかりました。またその時から、学法に力を入れる時、法を心の中で学び、内に向けて探し、法に則って答えを見つける習慣を養い、自分の独立性を鍛えました。

 師父が按排してくださったこの鍛錬の過程は、転換点になり、修煉は新たな状態に入りました。私は「すべての大法弟子はみなすばらしく、修煉する願望を持っているかどうか、歩もうとしているかどうかを見る。なぜならそれは法の力であるからだ!」ということを認識しました。

 最も素晴らしい按排

 私たちのところではもともと大法を修煉する人が多く、こんなにも長い間に、中国共産党の迫害の後修煉しなくなった者、死去した者、引っ越して地元を離れた者などがおり、今(訳注:2019年)修煉している人数はすでにそんなに多くはなくなりました。しかしいつからかわかりませんが、明慧ネット上の同修の交流文章を私は見て、固定的な考えの枠が次第に形成されましたが、私はまったく気づかず、それは「協調人の順序の良い作業と協力は、全体をさらに良く協調するだろう」ということでした。表面的に見て、この考えは問題ありませんでしたが、もし一つのモデルを形成すれば、師父が説かれた「私は皆さんにもっと広くて最高の修煉方式を教えました。つまり、大道無形なのです!」[4] に違反してしまいます。

 すべての大法弟子が世に降りる前に異なる誓約を持っているかもしれず、修煉過程の中で異なる選択をするかもしれず、すべての地区で異なる按排があるかもしれず、道は同じではなく、自分の考えに基づいて強行に歩めば、法から背離してしまいます。

 私と接触した数人の同修について、私はいつも同修のことについてまじめに考えており、同修が私からだんだん遠く離れて行っていることに気づいた時になって、私は法から背離し始めていることを悟りました。

 その後、私は同修に執着する心を意識的に修めて取り除き、同修が表す個性ややりとりなどに対して、人心が起きれば、自分のところで人心を取り除くよう努力しました。私が参加しているプロジェクトで急に助けが必要になり、異なる理解のために同修がプロジェクトをないがしろにした時、プロジェクトが進行する過程で、同修が突然参加しなくなり私を見捨てた時、同修が相談せず、プロジェクト全体に対して同修自身で処理してしまった時......、身動きが取れないために私は憤慨し、うらみ、黙って協力し、全体を重要視し、全体を重要視する過程で私は「見たところ同修の問題のようだが、すべて対応しているのは私自身に存在している問題なのだ」ということに気づきました。心性が衝撃を受けるたびに、依頼心、他人に要求する心、メンツを重んじる心、物事の表面を重視する心、自我、一人よがり、および深く隠された人の観念と考えの枠を、私は注意して修めて取り除きました。私の心がだんだん謙虚になり、平穏になり、穏やかになる時、私に見えるのは同修の長所であり、すべてが再び良い方向に向かって変わります。

 師父は「修煉とは、生命を成就させるということです」[5] と説かれました。法に則って向上した後、私は「存在している問題に直面し、一層一層の思想と観念を取り除き、師父が按排なさったものは最も良いものであり、それは生命が成就する『近道』である」と悟りました。私は心の底から師父に感謝申し上げます! 同修の皆さん、ありがとうございます!

 ペンで法を実証する

 ここ数年、同修が私に会って善を勧める手紙を書くように勧めましたが、私はまったく受け入れませんでした。なぜでしょうか? なぜなら学校に通っていた時私は国語が苦手で、さらに文字を扱う仕事も私は嫌いで、直接面と向かって人を救うほうがよいと感じていたからです。しかしなんとか満足している時に、いつもこのようなことが起き、ほとんどみな私は断ってしまい、いつもはただ簡単な資料しか書きませんでした。しかし私にも「師父が授けてくださった『神筆』も私には見えません!」という言い訳があります。

 私が同修の救出に参加するまで、参加する人が少なかったので、ただ無理やりでも自分で資料を書くことができました。印象が最も深いのは迫害された同修に控訴を文書で訴える資料を書いたことでした。対応する部門に送らなければならなかったので、法律知識が必要で、文字による表現も一定のレベルが必要でした。パソコンの前に座り、弁護士の弁護論稿を読みながら、考えも浮かばず、さらに悩み、まったく書けず、2日間ずっとこのようでした。その後ある同修が法律面に経験のある同修を探して私と交流し、どのような文章を書くのかということをその同修は私に要求せず、私が行なう出発点のみを啓発しました。その後私は再び書き始め、やはり悩みました。私はさらに座っていられなくなりました。その時突然「私はなぜ悩んでいるのか?」と警戒しました。結局のところ私は何をしたいのでしょうか? 同修と交流した内容を思い出し、私は自分を探し始め、「私は早くこの仕事を終わらせたいと思い、解放されたいと思い、このきっかけを利用して人を救おうとは思っていない」ことに気が付きました。これらの人心を見つけた後、私の心は静まりました。だんだんと考えが浮かび、弁護士に意見の助けを借りて、法律の角度から法輪大法を修煉することの合法性をはっきり伝え、関係する人々が違法違憲である事実を伝え、また法輪功修煉者が修煉した後の心身の変化をはっきり伝え、さらに家族の期待を表現し、関係する人々の良知と正義感を目覚めさせ、穏やかに、悪い考えのない言葉を用いて伝えました。1万字以上の真相を伝える資料を作り、さらにこのためにただ午後の時間だけを使いました。

 みんなが言う「文章は神業のようだ」、「文章を書くことも修煉なのだ!」ということを私は悟りました。大法弟子の心性が法の基準に符合すれば、大法こそ知恵の源泉なのです!

 その後、私は「大法弟子が何をしようと、すべて法は目の前にあり、心を修め、基点を正しくすれば、法の威力が現れてくる」ことがわかりました。修煉中に存在するいくつかの問題を見て、同修の素晴らしい物語を見るたびに「文章を書ける同修たちはどうしてこの文章を書かないのか?」と私は焦りました。書かないのはとても残念だと思いました。実際誰も書かないのを見て、私は筆が動き、明慧ネットに向けてまた発表しました。その後思い切って私は「待たず」、「頼らず」、「遠慮せず」、積極的に書きました。どの分野であろうと、必要でありさえすれば、私は書き、いつも気持ちを正しく持ち、心を込めたとき、妨害がないことに気づき、いつも書き始めれば「条件が備われば物事は自然に順調に運ぶ」ようになり、それは本当に法の威力でした! また明慧ネット上の文章に対して修正が必要なところを見つければ、私はいつも積極的にフィードバックし、これが大法弟子の仕事だと思いました。

 責任

 ある時私は同修の家に行き、幼稚園に上がったばかりの同修の孫娘が再び以前の態度を表し、他人を家の中に入れようとせず、なぜなら孫娘は祖母(訳注:同修)と遊びたかったからです。話をしていると、孫娘が妨害しました。その時私は同修の孫娘を見て「私たちは一緒に正念を発して魔を取り除き、孫悟空みたいで、よくないですか?」と言いました。同修の孫娘は私を相手にせず、私は孫娘をずっと見つめ「おばあさんの妨害をしてはいけません(以前同修が正念を発した時も孫娘は同修に正念を発せさせなかった)、あなたは法のために来たのではありませんか? さあ、私たちと一緒に正念を発しましょう」と言いました。そこで私は発正念の手振りを同修の孫娘に実演しました。同修の孫娘は私を見て、すぐにソファーの上から降りて座り、掌を立て、小さい手をまっすぐに立てました。私は同修の孫娘に「私たちは師父と一緒に家へ帰ります、あなたはどうですか?」と聞きました。同修の孫娘は「帰りたいです」とはっきりと言いました。そばにいた祖母の同修は茫然とし、なぜなら家族は子供が出て行って適当な話をするのを恐れており、同修の孫娘とずっと法輪功に関することを話さなかったからでした。さらに不思議なことに、私がそれ以後再び同修の家に行くと、子供は完全に別人のようで、とてもかわいく、とても友好的で、祖母を妨害することはなくなり、時に祖母が怠けると、同修の孫娘は座って発正念の手振りを行い、自分のやり方で祖母に注意を与えました。この子供の変化に同修は大きな啓発を受けました。

 実際、子供と話をする時、子供のわかっている面と人としての面を切り離し、私は同修の孫娘の分かっている一面に向けて話すと、孫娘が修煉などの情報を受け取った後の態度は、生命がちょうど大法の福音をまさに待望している表現ではないでしょうか?

 師父は「修煉の中で、皆さんは自ら真に着実に向上することによって、内面に巨大にして本質的な変化を生じさせているのではなく、わたしの力に頼り、外在する強大な要素を頼りにしています。これでは永遠にあなたの人間としての本質を佛性に変化させることはできません。もしも、みな一人一人が心から法を認識することができれば、それこそが威力無辺の法の体現であり─強大なる佛法のこの世での再現なのです!」[6] と説かれました。

 私は「大法弟子が覚者として成就していく過程の中で、人心と観念を修めて取り除けば、私たちに少しずつ神の状態が現れ、これは大法弟子全体の向上であり、衆生を救い済度する必要があるのだ」ということを悟りました。

 結び

 ある日、高楼の上から下を見ると、かすかな風の中で、木の先の梢の枝葉がゆっくりと揺れ、梢の枝葉はまだ下の方の枝葉ほど屈強ではないように見えました。この景色から私は生命の意義を考え、生命は枝葉の位置にいませんが、すべての枝葉に位置しており共にこの木を構成しているのです。それならば大法弟子として、私たちがどのようなプロジェクトを行なっていても、プロジェクトの中でどのような役割を担っていても、重要なことは私たちが各自の位置で自分を浄化し、法を実証し、法に圓容し、共に師父へのご恩と大法の威徳を表しているということです!

 再度師父に感謝申し上げます!

 同修の皆さんに感謝いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
 [4] 李洪志師父の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
 [5] 李洪志師父の経文:『二〇一八年ワシントンDCでの説法』
 [6] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「警告の言葉」

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/10/395563.html)
 
関連文章