大法修煉のなかで、本当の善い人になる
■ 印刷版
 

 【明慧日本2019年12月24日】私は、2018年の初めから法輪大法の修煉を始めた40歳の会社員です。今まで、神に対する概念は神話、哲学および心理学の範疇のものにとどまっていました。神や因果応報の理などは全く信じていませんでした。気功修煉法なんて面白おかしくて「馬鹿ばかしい」と思っていました。そのため、たくさんの業を造りました。いま振り返れば、自分は中国共産党という党文化、無神論で馬鹿にされた哀れな生命でした。人がもし、神に対する信仰を失ってしまったらなんと悲しいものだろうと深く感じました。と同時に、師父の慈悲なる済度に心より感謝しております。

 当時私は、盲目とした生活において、私利私欲のために絶えず他人を傷つけ、最終的に自分の体状態も悪くなる一方でした。長年下痢に悩まされ、西洋医学から漢方まで、数え切れない問診、薬でも治る兆しが見られず、かえって体の状況がだんだんひどくなり、やつれていき、最後には毎食が下痢になるほどひどかったです。現代医学に絶望した私は、毎日が心配で、病気で辛くてたまりませんでした。

 法を得る

 私が途方に暮れていたとき、ネットを通して大法の情報を知りました。まるで清水が流れてくるようで、この混沌とした世の中で、これほど多くの善良な中国人が善を思い、邪悪を払拭し、共産党統治下のほかの人とは異なっており、国内のメディアとも全く異なっていました。私は法輪大法の素晴らしさに感心し「これこそ私が探していたものだ! どうやったら学べるのだろうか?」と考え始めました。

 それと同時に、大法弟子が共産党から残虐な迫害を受けているのを見て、法輪大法の門の入り口で躊躇してしまい、いつしか迫害が終わってから学ぼうとさえ思いました。しかし、大法の種はすでに心に植えつけられており、時間が経つにつれて、大法を知れば知るほど、法を得る機縁は大変珍しいもので、もう待ってはいられないと思いました。強い緊迫感で最後の障碍を乗り越え、大法のウェブサイトにアクセスし、経文をダウンロードし、正式に大法を学び始めました。今でも、初めて大法の本(ネットダウンロード)を手にしたときの緊張感と興奮した気持ちを鮮明に覚えています。

 本当の良い人になる

 大法の内容は私の魂に強い衝撃を与え、人体、生命、宇宙などさまざまな不可解な謎が解けて、自分や周りのすべてのことを新たに認識させてくれ、まるで新しい世界が目の前に広がっているようでした。私は自分の執着は自分を立ち塞ぐ鎖であり、執着を放下してはじめて、返本帰真ができるのだとわかりました。

 以前の私は名利を好んでいました。仕事上の関係で、ビジネスパートナーがわいろを送ってくれることがしばしばあり、私はごく自然に全部受け取っていました。学法をしてから、以前の自分はなんと堕落していたのでしょう。真・善・忍の基準とかけ離れすぎています。これらの悪い考えをなくそうと決心し、相手からのものを断り、もらっていたものも返すようにしました。

 この過程において、妻は理解してくれず、人として冷たすぎて、このぐらいならもらっても差し支えないだろうにと思っていました。このとき私は師父の法を思い出しました。「職場で、あるいは社会で評判が悪くても本当に悪い人とは限らず、逆に評判が良くても、必ずしも本当に良い人とは限りません」 [1]。私は大法に同化し、真・善・忍の基準で自分に要求し、本当の良い人になりたいと思いました。

 心の中の苦を我慢する

 私は外では法に従って自分を律しますが、往々にして家に帰ったとたん忘れてしまいます。特に自分にとって理不尽なことがあれば、なおさら我慢できません。負けず嫌いなところがあるため、面子を重視し、よく家族と意見が合わないとき、忍ができていませんでした。心の中では我慢すべきだとわかっていながら、実際にはできていなくて、そのために悩み苦しみました。

 ある時、私は電話で妻と口論になり、心の中でむかむかして、いつもなら家に帰ったらまたけんかするところを、突然法が頭の中に浮かんできました。「善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです」 [2]。苦とはなんでしょうか? 私にはわかりました。煉功するとき身体の痛みは苦であり、生活の疲れも苦であり、これらの苦は我慢できますが、不当な扱いをされたときも苦であり、心の中の苦です。

 同じ苦でありながら、どうして耐えられないのでしょうか? この理がわかってから、釈然としました。自分がどんなに辛くても我慢しなさいと問いかけて、心構えができてから家に帰りました。不思議なことに、妻の態度は180度変わっていて、まるで電話での不快感がなかったかのように、緊張した空気もありませんでした。こうして喧嘩の過程が、消えてしまいました。

 煉功を行なうことや心を修め、執着を放下することによって、私の身体に変化がすぐに起きました。下痢をしなくなり、以前から悩まされていた飲食も悩まなくなりました。最初、飲むことを恐れていた冷たい水を始めて飲むときは恐る恐るでしたが、病気に対する執着を放下し、冷たい水を一気に飲んでも、もう何の問題もありませんでした。本当に素晴らしいです。

 人を救う

 絶えず学法することによって、共産党の毒害に対し、自分だけではなく、衆生に大法の真実をわからせることが大法弟子の使命だとわかりました。中国の残虐な迫害は真相伝えに不安を感じました。そこで、不安をなくすために、自分の親戚や、周りの友達から伝えるようにしました。安全のために自分が大法弟子ということは話さずに、客観的に話していました。

 ある日、一人の若い友達がひどいガンを患ったのを知りました。彼女の生命が危ういと思うと、気が気ではなくなり、大法だけが彼女を救えると思いました。強い使命感に駆られて、彼女と連絡を取りました。当時、心の中では、たった一人の彼女を救うのだという考えしかありませんでした。

 あの時、彼女はひどく落ち込んでいて、あまり元気がありませんでした。話す気力さえ失っていたようでした。私はこの状態は長く続かない、大法の力できっと彼女を救うことができるのだと信じていました。もし、本当に彼女を救いたければ、自分のことを隠し続けることはできないと、初めて大法弟子として、彼女に大法のことを話しました。大法の素晴らしさや修煉してからの変化も全て話しました。

 彼女は始めは黙って聞いていましたが、だんだんと会話が多くなり、大法のことを聞いてくるようになりました。ときには、いかに煉功するかなどの交流までしました。その後私は、順調に三退させることができました。大法の経文や煉功のビデオもあげました。

 すぐさま彼女は学法をはじめ、再び彼女にあったときには生き生きとしていました。きっと、彼女にはすばらしい未来が待っているに違いありません。慈悲なる師父に感謝いたします。また新たな生命が救われました。

 このほかにも、私は大法のネットから大法の資料をダウンロードして資料を作り、師父のご教授によって、資料を配り始めました。恐れる心にときどき邪魔をされますが、私はしっかりと学法、修煉をして、大法弟子の責任を果たします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「境界」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/10/15/394598.html)
 
関連文章