「殴られても殴り返さず」をやり遂げる
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2019年11月27日】師父は「煉功者としては、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないで、常に高い基準で自分を律しなければなりません」[1] と説かれました。以下は、自分の日常生活に起きた二つのことを書き出し、皆さんと交流したいと思います。

 ある日、夫と一緒にスーパーに買い物に行きました。スーパーは人が多くて、私は不注意でカートを押していた女性とぶつかりました。女性は手に卵を持っていたので、卵が少し割れました。私が謝るひまもなく、女性はいきなり怒鳴り始めました。しかも、とても汚い言葉で怒鳴りました。私はしきりに「ごめんなさい、ごめんなさい。私が悪かったです」と謝りましたがおさまらず、そこで私は「ではこうしましょう。まだ支払いが済んでいないから、その卵を私にください。新しいのをもらってください」と言いました。女性は私の謝っているのをまったく無視して、もっとヒステリックになり、私を追いかけて来てひどく怒鳴りました。

 周りのお客さんは口々に「この人本当にひどいわね。卵を手に持っているから、自分も気を付けなければならないのに、どうして人を怒鳴るのかしら」と言う人もいれば、「ぶつかったんだから、2人とも責任があるんじゃないの? 相手はすでに謝っているのに、どうしてあれほど怒鳴るの?」と言う人もいました。私は動ぜず、落ち着いて女性から卵をもらいました。その時、スーパーの従業員が走って来て、「その卵をこちらにください。お客さまは割れたを買わなくていいですよ」と言いましたが、「大丈夫です。私が買います。スーパーに損をさせるわけにはいきませんから」と笑顔で答えました。しかし、私がレジで支払いをして帰ろうとした際にも、あの女性はまだ怒鳴っていました。この時「気が済むまで怒鳴ってください。あなたが怒鳴れば怒鳴るほど私にとっていい事でから」と私が言うと、彼女は突然、怒鳴らなくなりました。

 家に帰る途中で夫は「お前は人がいいなあ。ここまで虐められているのに、一言も言い返さないでいいのか?」と愚痴を言いました。私は笑顔で「師父は私達に、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない、何事も他人の為に考えるようにと教わり、家でいつもそのようにしているでしょう」と言いました。

 ある日、夫が仕事から帰って来た時、私はちょうど網戸を掃除していました。網戸を台の上に置き、ホースで少しずつ丁寧に洗っていました。私の「上品なやり方」が気に入らないのか、夫はイライラして、突然、パシンと私の頭を軽く一発殴りました。夫は私からホースを奪い取り、私を押し退けて大胆に網戸を洗いながら、「お前のやり方は見ていられない」と怒鳴りました。

 夫に押されて、もう少しで倒れそうになりましたが、私は一言も文句を言わず、心の中で必ず慈悲心と穏やかな心を保つようにと自分に言い聞かせました。夫は私の顔を見て、また怒鳴りました。夫がまだスッキリしていない様子を見て、私は片方の頬を差し出して「じゃ、殴りなさいよ」と言いました。すると、夫は「ばかばかしい」と吹き出しそうな顔をして行ってしまいました。しばらくして、夫は何も起きていなかったように、私の傍に来て小さな声で「オレのことをまだ怒っているのか?」と聞かれ、私は「煉功者は怒らないのよ。怒らないだけでなく、心からあなたに感謝しているわ」と言いました。夫は「お前がこの功を煉ってから、家ではケンカをする相手がいなくなった」と独り言を言いました。

 私は法輪大法を通して学び、人と争うことや些細なトラブルを本気で放下し、「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」をやり遂げてきました。寛容な心を持つように教えてくださった師父に感謝いたします! 真・善・忍の基準に基づいて良い人になるように、もっと善い人になれるように教えてくださった師父に感謝いたします! 偉大な師父に叩頭して拝みます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/10/21/394833.html)
 
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