法輪大法のこの上ない善の力
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文/中国の大法弟子

 明慧日本2019年10月22日】私は1999年「7.20」の中国共産党による法輪功への迫害が始まる前から、大法修煉をしてきた弟子です。師父の慈悲なる済度と教えの下で、今日まで歩んで来ることができました。以下は私の修煉の体験談です。

 善をもって 人を大切にする

 以前、私は水道もない古い家に住んでおり、周辺の家と同じく遠く離れた共用井戸で、水を汲んで使っていました。隣の70歳過ぎた老夫婦も毎日水を汲みに行き、とても大変そうでした。その後、我が家が自前で水道を設置することにしました。施工が最終段階に入った時、私は夫と相談して近所の人達にも便利に水を使ってもらうために、水道管を家の中につなぐのではなく、わざわざ蛇口を玄関の外につけて、バケツで水を汲んで部屋の中に運ぶようにしました。我が家が水を汲む時には、必ず近所の人にも声を掛けて一緒に使うようにしました。

 近所にある短気なお爺さんがいましたが、気が食わないとすぐ人を罵ったりして騒ぎ立てていました。ある時、このお爺さんの娘が我が家にやって来て、両親がまた喧嘩してしまい、どうしても止められないと私に助けを求めました。行って見ると、ちょうど奥さんが衣服を持って家を出ようとしていました。私は奥さんに「この歳になって家を出るのは大変なことですよ」と言うと、奥さんは悲しそうに「この人が怒るといつも人をひどく罵しるから、もう一緒に住むのは無理」と言いました。私は続けて説得しました。「人を罵るのは確かに良くないですが、お爺さんはわざとあなたを傷つけるつもりはないと思うわよ」と諭しました。妻が出て行くのを見て、さすがのお爺さんも「俺が悪かった。確かに人を罵るのはいけないことだ。今度こそ絶対に罵るのをやめる」と奥さんに謝りました。それで2人は仲直りし、お爺さんも反省した通り、数十年の悪い癖を徹底的に取り除きました。そして私が10年間も大法の真相を伝え続けたことで、お爺さん一家も真相を受け入れ、家族そろって三退をしました。

 もう1人の近所の人はある原因で皆に嫌われて、誰も相手にしませんでしたが、私はいつも声をかけて、やさしく接しました。その後、彼は何か困ったことがあれば私に相談をするようになり、私の鍵だけが自分の心の扉の錠を開けられると言うぐらい、私を信頼してくれました。

 数年前、昔の古い家は統一的に取り壊されてマンションになり、かつての近所は今も同じマンションの住民になりました。大法弟子が正直で善良な人だと分かっているため、近所の人は困ったことがある場合には、私によく相談しに来ました。私はいつも善をもって対処し、人々を大切にしてできる限り熱心に人を助けました。

 ある60代の女性はほとんど他の人と接することがありませんでしたが、前日、自家栽培の白菜を2株わざわざ我が家に届けてくれました。それを見た夫は驚いて、「以前なら、彼女は人にあげるどころか、お金を出して買おうとしても売らない人だったのに、そんな冷たい人間でも大法弟子の善良さがわかり、心が溶けるものなんだなあー」と言って、感心しました。

 正念の力

 我が家の付近に保育園があります。ある月曜日の午前9時頃から国旗掲揚式が行なわれると知り、私はさっそく座って発正念を始めました。「師父、私が持っているすべての神通力を発して、保育園の空間場範囲内のすべての黒い手と卑しい鬼、それに共産邪霊の邪悪な要素を徹底的に消去して根絶し、子供たちを害さないために、国旗掲揚と国歌斉唱の放送が流れないように、ご加持をお願いいたします!」と私は強い正念を発しました。

 その後、保育園で働く友人から聞くと、その日、国旗掲揚と国歌斉唱の放送がどうしても流れなかったために、やむを得ずスポーツ進行曲に変えて流したそうです。また、国旗が半分まで上がった所で突然折れてしまい、旗が地面に落ちて2箇所ほど破れ、掲揚式を担当する先生の手も傷ついたと聞きました。

 「三退」した弟の命が救われる

 2018年7月1日の夜11時頃、呼び鈴が鳴ってドアを開けたら、1人の救急救命士が入って来て、私に弟が事故に遭ったと教え、入院費を持って一緒に救急車に乗って病院に行くようにと言いました。私はすぐに同じマンションに住む姉に連絡しました。急いでやって来た姉と一緒に救急車に乗ると、頭から顔まで血まみれの弟が、救急車の担架に仰向けで寝ている姿を見ました。驚きのあまり姉が失神しそうになり、救急車から転落してしまい、足がアザだらけになりました。私は姉に「大丈夫、怖がらなくていいわ。弟は今意識がはっきりしているし、すでに「三退」をしたわ。普段から師父を信じ、大法を信じており、常に大法のお守りを身につけているので、絶対に大丈夫よ」と言って慰めました。

 私と姉はすぐに救急車の中で、法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」と念じながら、師父に助けを求めてお願いしました。また、弟にも心から念ずるように教えました。病院に搬送されてすぐに一連の検査を受けましたが、内臓や骨には何の問題もなく、ガラスによる外傷だけだと言われました。頭と顔のほかに左耳の傷が比較的ひどく、背中と右肩にも擦り傷があり、右の腕にも長さ28㎝、幅7㎝の大きなすり傷がありました。そして右手は饅頭のように膨らんでいて、指が曲がり動かないほか、右足の皮膚も大きく擦り剝(む)いでいました。全身を100針以上も縫い、それだけで措置時間が4時間以上かかりました。

 病室に入ってから弟は事故の経緯を説明してくれました。その日の夜、弟はバイクに乗ってもう少しで家につくところ、後ろから1台のタクシーに追突されて吹っ飛ばされ、頭がタクシーのフロントガラスにぶつかり、大きな穴が出来てメチャクチャに壊れました。当時、弟の意識がなくなり、タクシーの方も止まらずに再び弟を乗せたままバイクごとぶつかりました。その瞬間に意識が戻った弟は、必死にタクシーのバンパーを掴み、5、6メートル引きずられました。その瞬間、自分を引き殺そうとしているのではないかと思ったそうです。バイクも引っ張られて地面と摩擦して火花が出て、弟の眼鏡も靴も吹き飛んで、ようやくタクシーが止まりました。その後、バラバラに大破したバイクがロープで固定され、交通管理署に送られましたが、それを見た人は皆バイクの運転手はもうすでに命を落とした、と皆が思ったそうです。

 このような大きな交通事故に遭っても外傷だけで済み、弟と私達の家族は皆命を救ってくださった師父に感謝する気持ちでいっぱいでした。事故を処理する過程で、弟は相手のタクシー運転手を一つも困らせておらず、1銭も賠償してもらいませんでした。治療費の中の1800元(およそ2万7500円)は保険会社が負担しないことになりましたので、それも弟が自分で支払いました。また、左耳の損傷が大きかったので、友人から障碍者認定を出すように言われましたが、弟はこれも婉曲な言葉で断りました。

 弟はたったの10日で退院し、1カ月余りでほとんど回復し、よく見ないとあれほどの大きな交通事故に遭った人だと、誰も分からないほど、顔には傷跡が一つも残っていません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/10/9/394316.html)
 
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