文/中国の大法弟子 悦聞
【明慧日本2019年10月7日】私(父親)の娘は40代で、大都市のある会社で財務の仕事をやっています。娘が法輪大法を学んでから、ますます元気で若々しくなりました。特に性格が非常に良くなった私のことを目の当たりにして、法輪大法に興味を持ち、私の修煉を支持してくれました。
2010年、娘がお正月の里帰りのときに法輪功の真相資料を見せると、娘は法輪功は良い功法だと理解し、いつか自分も法輪大法を学びたいと言い出しました。
2015年10月中旬頃に娘は体調をくずし、病院へ行きました。医者は娘の病状が重いとみて、「入院して検査するように」と言いました。検査の結果は直腸がん末期だと診断されました。当時、兄(私の長男)は妹(私の娘)を連れて病院に行きましたが、本当の病名を娘に教えず、ただ消化器系統に問題があって、入院して手術する必要があるとだけ告げました。
兄と弟の2人はこんな大事なことを、私と妻に黙っていました。病院で手術を受けたとき、腹部の左側に7寸(およそ21センチ)ほどの長さの口が開いており、医者が娘の腸を見ると、腸がすでにくっついてしまい、ただ腸を動かすだけで今にも破れそうな状態でした。手術を行なっている数人の医者は「腸全体を切り取り、お腹の所へ穴をあけてチューブを挿入し、尿や便をそこから出す方法を取る」という結論を出しました。そこで医者の1人が手術室から外へ出て、長男にその事を伝えて同意を求めましたが、長男はどうしてもその事が受け入れられず、同意しませんでした。それで医者たちは仕方がなく切り口をそのまま縫合しました。
それから病院側が娘のために香港大学病院の教授2人を招き、当病院の教授と組んで治療チームを設けました。しかし、専門家たちは治療する案をなかなか出せないでいました。それと同時に、長男は妹の病状をメールで全国の各大病院に送り、治療方法を求めましたが、すべて戻ってきました。
その時に孫娘からこのような悪い知らせを私に教えてくれました。私はそれを聞いて本当に驚きましたが、焦りませんでした。私の第一念は師父のことを思い出し、即刻、長男に電話をかけました。「病院の医者はどう言ったの? 妹を救える可能性があるのかどうか?」と聞くと、長男は電話の向こうで大泣きしながら、「医者は方法が全部尽きたって。母は末期がんでもう希望がないって言ったよ」と言いました。そこで私はすぐに長男に「早く退院の手続きをして、妹を専用の車で我が家に送ってきなさい。私に任せて」と返事しました。
長男は私が法輪功で娘を救いたいと考えていることはわかっていますが、「大丈夫かな」と心配そうに聞いてきました。「私には何もできないが、師父は何でもできる」と言って説得しました。長男は「まあ、これ以上何もできないから、無駄なことだと知りながら最後まで努力するしかない。それが母の運命だ」と言いました。
2日後、娘が我が家に帰って来ました。娘が家に着くと、すぐに2階に行って、師父の写真にお香をあげて、師父の写真に向かって3回叩頭した後、「師父、私は今日から本当に法輪大法を修煉します。師父の本当の弟子になります。師父のご加持とご指導をお願いします」と言って、誓いました。
その日から、私は10人ほどの同修を我が家に呼んで来て、娘と一緒に学法することにしました。それから毎日、私たちは『轉法輪』を二講読んで学法した後、同修たちが娘を真中に囲み、娘に煉功の五式の動作を教えながら、一緒に煉功しました。同修たちが帰ってからは、私は娘と続けて『轉法輪』をまたさらに、二講読みました。読み終えて、私は夕食を作り始めましたが、その間、娘はビデオを見ながら、法輪功の煉功動作を見ながら煉っていました。
娘が帰宅したばかりの頃は、繊維がない流動食しか食べられず、スープやスムージーのようなものを食べることしかできませんでした。私は茶碗蒸しにした卵やスペアリブの煮込みスープ、果物のスムージーを作り、食べさせました。1週間後はちょうどお正月の日にあたり、娘も食欲が出てきて肉を食べたくなりました。しかし肉を食べると腸に悪影響があることを知っていたため、食べることを恐れていました。私は娘に「『今日はお正月だから、弟子が食べたいものを食べさせてくださるようにお願いします』と師父にお願いしてみたら」と勧めました。そしてその日の昼食に、娘は少しの肉を食べ、ベーコンも食べました。しかし食後にお腹が張るなどの症状が全く現れませんでした。さらにその日の夕食に、娘はよく噛んで美味しそうに食べ、この日は3カ月以来、娘が一番よく食べた日でした。
私は娘に「師父があなたを見守ってくださっているのよ。今日から、食べたいものを食べていいわよ。この2、3日、お通じがよくなったら、もう問題がないわ」と言いました。その翌日、娘が母親の所から私の所に帰って来て、「昨日の夜、大便もおしっこも出たし、オナラもしたのよ」と嬉しそうに私に報告しました。それを聞いて私もほっとして、本当に嬉しく思いました。当時娘はまだ、たったの1週間しか法輪大法を学んでいなかったのですから!!
その後、次第に娘は毎回煉功した後に額に汗が滲み出てきて、顔色は色白で赤みがさし、ふっくらと丸くなるようになりました。鏡を見入る娘に笑顔がこぼれました。私は娘が少なくとも3カ月以上修煉しなければ、このような良い結果にならないと覚悟し、そう思っていましたが、嬉しいことに、娘は法輪大法を学んでから39日目でこの病気を克服し、完治しました。
その後、娘は「勤め先からいくつかの財務と業務の仕事をやってほしいと、何回も電話がかかってきたの。深圳に戻って仕事をしたいわ」と言い出しました。娘の母親と兄は娘のことを心配し、広州市に有名な腫瘍病院で再検査するようにと勧めました。翌日、私は娘を連れて、広州市内の病院に入院しました。そこで娘は全身の検査を受けましたが、すべて正常で、がん細胞は無くなっていました。
この病院の院長はかつて、アメリカのある大病院で数年間、専門医として働いていました。院長は、娘のカルテと今回の検査結果を見て不思議に思い、娘と私にその理由を尋ねました。私は「法輪功が、娘の命を救ったのです」と言うと、院長は驚き「法輪功が病気に素晴らしい効果があると聞いたことがありますが、今回、自分の目で確かめられました!」と納得し、褒めたたえました。
娘が広州から深圳に戻り、翌日すぐに出勤しました。私は娘の所で1カ月間、様子を見ながら過ごしました。娘は昼に会社へ行って仕事し、夜に帰って来て、私と一緒に学法をし、煉功をし、発正念をしました。私は娘に毎日「三つのこと」を必ず行ない、常に法輪大法の真相を伝えることを心がけるようにと話しました。娘が修煉の道を堅実に歩み出したのを見て、心配がなくなった私は安心して家に帰りました。
現在、娘のことが周りの人にも知られています。師父の恩に千言万語を尽くしても、師父への感謝の言葉は言い表せません! 私たち親子はもっともっと精進し、「三つのこと」をしっかりと行ない、多くの人を救えるように努力し、頑張らなくてはいけません!! これこそが師父に感謝する一番の良い方法だと思っています!!