明慧法会|私はなぜ明慧を仕事に選ぶのか
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 文/西洋人大法弟子

 【明慧日本2019年9月24日】私が法輪大法の修煉を開始し、そして中国で発生した迫害を知った時、何かしなければならないと思いました。まず私は各種の活動に参加し、そしていくつかのプロジェクトに参加しました。私は大紀元新聞のために幾編かの文章を翻訳し、他の同修と一緒に法輪大法の真相と中国が法輪功を迫害している真相を人々に伝えました。私たちはいつも数カ所の地方へも行きます。たとえば図書館で法輪大法を紹介し、功を学ぶことに興味を持っている人に法輪功の功法を実演して見せ、さらに人々の質問に答えました。最初は人手が非常に不足していたので、同修はいつも、プロジェクトを手伝いに来てくれないか、と私に尋ねました。あらゆるプロジェクトを手助けできることを私は確かに希望していたので、できる限り多くを行ないました。

 しかしその後、私は「一つのプロジェクトに集中すべきだ」ということに気づきました。なぜなら、私は「もし三つや四つのプロジェクトのために同時に仕事を行なったら、本当に正確にしっかりと行なうことはできない」ということに気づいたからです。そこで私は一つを選択して、明慧ネットの仕事に参加することに決めました。

 私が明慧ネットのために翻訳を始めた時、すでに数年修煉していました。始めた時は正確に意訳するのが難しく、なぜなら、私の母国語能力が落ちていたからでした。当時、私はすでに国外に居住して何年も経っており、家族と母国語で話す以外、母国語を使う機会はめったにありませんでした。

 翻訳の校正原稿を受け取るたびに、赤色で示され手直しされた多くの内容が目に入り、私はめげてしまい、また続けてやっていけるのだろうかと疑い始めました。幸いにも同修たちが助けてくれ、また母国語を読み返すよう提案してくれ、文法と正確な言葉の改善を強化して、ようやく私はゆっくりと進歩しました。しかし数年が過ぎて、少しマシになった母国語で修煉交流や迫害を暴露する報道を翻訳できるようになっただけでした。

 最初の時、私は迫害を暴露する多くの報道を翻訳し、中国の同修たちの忍耐に非常に震撼し、心が乱れました。時には自分の涙をコントロールできず、長い時間にわたって報道されているような中国の現状から、抜け出すことができませんでした。私は絶えず、翻訳だけに専念するよう試みました。そして、目の前に現れてくる中国の現状などの細かい部分を考えないように試みました。少しずつ好転し、迫害する者らに対するある種の怒りを放下することができました。

 一年中私はただパソコンの前に座り、最初は問題ないと感じました。しかしある時「私のこのような仕事では、とうてい師父の要求に達成することはできず、衆生を救い済度することを手伝えないのではないか?」という思いがありました。他の同修と交流した後、私は「ただ静かにパソコンの前で明慧のために仕事をし、明慧を行なうことはやはり衆生を救い済度することができるのだ」ということを認識し、確信しました。

 このような認識がその後の数年間にわたって、私を支えてくれました。明慧ネットのために尽くせることにも、比較的満足を感じることができました。しかし2年前に、私は再び改めて人々に溶け込み真相を伝えると同時に、やはり明慧のために翻訳を続けました。私は喜んで明慧のために翻訳しましたが、時には耐え難い寂しさを感じました。しかしその反面、師父の説法と同修との交流が私を大きく支えてくれました。

 私たちの修煉と同じように、すべての事柄が皆順風満帆にいくわけではありません。時には強烈な闘争心が起きることもあり、修煉者のような態度でいられなくなります。たとえば、協調人の要求が私を強要していると感じた時、あるいは不満に感じた時、私の反逆的な闘争心と強烈な自我が作用を引き起こします。時にはしばらく時間が経った後、このような感覚と反応を取り除くべきだ、とやっと認識することができました。

 何年も経った後で、私はやっとさらに「心性が向上してはじめて向上することができるが、私は毎回達成できるものではない」ということに気づくことができました。現在、よくない考えが現れた時、私はやはり非常に注意しなければならず、それでやっとよくない考えを除去することができます。これはずっとある種の抗争となっています。その他にも、私は口を修めることに注意しなければならず、各種の観念のためにいつも反応が速いのですが、すぐに自分の誤りのために法に則っておらず、私たちの規範に符合しない反応のために、非常にまずいと感じるか、あるいは恥ずかしく感じます。

 現在私は「もし、明慧のために翻訳していなかったら、その他の事情の影響のために、明慧のほとんどの文章を読むことはなかったかもしれない」ということを認識しています。そのため私にこの機会をくださり、このプロジェクトに参加できるようにしてくださった師父にとても感謝しています。

 師父が引き続き私を支えてくださり、私の執着と良くない観念を取り除くよう支えてくださることを私は希望いたします。明慧は非常に重要なプロジェクトであり、人々が真相を理解するよう手助けすることができるメディアなのです。

 (明慧20周年法会の交流文章より抜粋、 編集)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/29/387653.html)
 
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