『轉法輪』を思い 強く生き抜いて刑務所を出る
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文/中国の大法弟子 張玉蘭

明慧日本2019年7月2日】私は張玉蘭です。1998年から法輪大法の修煉を始めました。今年67歳です。大法に対する迫害が始まったあと、私は2002年3月11日に強制連行され、不当に8年の刑を科され、7年2カ月刑務所に拘禁されました。

 巨大な魔難に直面した私は微かな記憶を頼りに、絶えず『轉法輪』の内容を思い出して、7年という長い年月を耐え忍び、最終的に師父の保護の下で、生きて女子刑務所から出てくることができました。

 天津女子刑務所に3年間拘禁されていた私が信仰を堅持し続けているのをみた警官は卑劣な手段を使い、密かに私の食べものに薬を入れました。その時私はわけが分からず体が震え、手も震えて制御できなくなりました。ある日、警官に指図されて私を監視していた受刑者が小さい紙に包んだものを私のコップの中に入れているのを目撃しました。私は「あなたはなぜ私のコップに薬を入れるのか?」と叫び、廊下で警備している警官を素通りし、そのまま刑務所の第4区の隊長・李虹の事務室に行きました。「あなたはなぜ張玉鳳に指図して私のコップに薬を入れさせるのか?」と厳しく責めました。彼女はばれたと分かり「仕方ない。上役から強要されたのだ」と答えました。私は「なぜ私をこれほどひどい目に遭わせるのか?」と聞くと「死ぬことはない。ただ苦しみを味わいながら生きていくだけだ」と言いました。私は「これから私の口に入れるものに薬を入れないでください!」と警告しました。すると彼女は「私たちにはいくらでも方法がある!」と言い放ちました。そのときから私は毎日ご飯とコップに気をつけました。刑務所を出た後、彼女たちはその時から私が食べる饅頭に薬を入れはじめたと聞きました。

 以前私は良く眠れていました。薬を入れられてから突然2日間も寝られなくなり、それから両目が見えなくなり始め、両足が麻痺し、人に支えられなければ歩けませんでした。昼間は何も食べられなくなり、夜になると体は言いしれぬ痛みに襲われ、寝ることができませんでした。体は急激に痩せて、骨だけになり、太ももは腕のように細くなりました。もっと異常なことは、上半身は絶えず発汗し、顔は常に汗だくになり、綿入れのズボンを2枚重ね、夏でも綿入れの靴を履かなければなりませんでした。

 3カ月過ぎると呼吸が弱くなり、いつ息が絶えてもおかしくないような状態になりました。しかし、このような状況でも迫害は続きました。最終的に私は妥協して煉功しないと約束しました。彼女たちはそれでやっと私を横にならせ少し休憩させました。しかし、煉功しないと言った後私は精神的にまいり、薬効が続きました。

 夫は見舞いから帰ったあと、「妻はもうだめだ。数日しか生きられない」と家族に言いました。彼は私の家を売り、服も全て持ち去りました。ただ一台のピアノだけを残しました。そして息子に婿養子のところを探そうとしましたが拒まれました。息子は銀行から借りたローンで最上階の古い家を購入し、私が戻るのを待ちました。

 私が絶望し、危篤状態に陥った時、ぼんやりするなかで胸のところに『轉法輪』が置かれていると感じました。師父が私に引き続き『轉法輪』の内容を思い出すように悟らせておられると分かりました。刑務所には大法の書籍がなく、その前の3年間に学んだ『轉法輪』の内容を思い出すことで学法を続けました。しかしそれは精神を高度に集中させなければできませんでした。

 邪悪によって密かに投薬されてから、体の痛みで思い出すことができなくなり、3カ月間学法ができませんでした。その3カ月間は私にとって死んだほうがましなほどの日々でした。私は歯を食いしばり、激痛に耐えながら一生懸命に法を思い出そうとしました。邪悪な人が何を言っても私は思い出すのを止めず、頭の中でずっと法を暗唱しました。頭の中に残っている微かな一言二言を繰り返して暗唱しました。毎日深夜1時から夜明けまで、また夜明けから夜9時まで思い出しました。『轉法輪』には合計9講と60の小見出しがありますが、その小見出しを1日に1回思い出しました。師父が絶えず法理を私の頭に入れてくださったため、徐々に思い出せる内容が増えてきました。日に日を重ね、年に年を重ね、一刻も止めませんでした。大法は私を支え、私の体は日々良くなりました。両足と両目は最終的に不具になりましたが、何といっても命を保つことができました。

 それから2年後、徐々に私は手を使えるようになり、両足も動かせることができ、綿入りのズボンを着る必要もなくなりました。私は警官のところに行き、以前約束した大法に符合しない一切の言葉を取り消すよう要求しました。

 刑務所の人は私が厳正声明を発表しょうとしているのを察し、すぐに6、7人のユダを連れて来て私を転向させようとしました。ユダの中には孫と言う30歳を過ぎたもと教師がいました。彼女が話すすべての言葉に対して私は大法の法理に基づいて一つずつ反論しました。約2カ月後、私と孫は同じ日に各々の元の職場である学校からの通知を受け取りました。私の職場からは定年退職の手続きのため私の身分証明書の番号が必要だという内容でした。しかし、孫が受け取ったのは解雇通知でした。孫はわんわん泣きました。彼女は大法を裏切り他人を転向させれば刑期を減らして、早く刑務所から出て復職できると思っていましたが逆に仕事を失いました。この鮮明な対比をみて、私を転向させようとしていた人たちはショックを受け、その後誰も私を転向させようとしませんでした。

 刑務所で拘禁されたいた7年間、警官は拷問をやり尽くし、私の意志を打ち砕こうとしました。鉄椅子、かご、鉄の鎖、密かに投薬するなど卑劣な手段を使い尽くしましたが、何の効果もありませんでした。私は絶えず大法の内容を思い出すことによって、粘り強く生き続け、刑務所から出ることができました。これは大法による奇跡でした! 

 ここで私は全世界の全ての大法弟子に言いたいのです。「師父は偉大です! 大法は偉大です! 刑務所の外にいる大法弟子は必ず時間を無駄にせず、寸刻も疎かにせず三つのことをしっかりやるべきです」

 
(中国語:www.minghui.org/mh/articles/2019/6/12/388118.html)
 
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