仕事環境の中で執着を取り除く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年7月31日】私の職場に党文化に深く毒害された人がいます。素行が悪く素質もない人で、以前女性の上司と浮気をしたため一度現場で仕事をすることになりましたが、再び戻ってきて副主任になりました。2年前に私は彼と同じ部門に配属され同僚になりました。

 はじめのころ、私は彼を見下していました。素行が悪い人と一緒に働くことになり、気分が悪いと思っていました。もちろん、彼のことからいまの中国は中国共産党の統治の下でどのくらい暗くて邪悪なのかが分かります。このような素行が悪い人が浮気をしても、解雇や格下げされないばかりか逆に昇進しました。それとは逆に、私は18年前に法輪大法の修煉を放棄せず、真相を伝えるチラシを配ったことを理由に2年間労働教養を科され、会社に戻ると普通の社員に格下げされて給料も減らされました。このような事情を彼は全部知っていました。

 私は、悪い人の下で働くのがとても嫌でした。私は彼に法輪大法の真相を伝え、三退の重要性も説明しましたが、彼はどうしても耳を傾けてくれませんでした。彼は中国共産党が自分に利益をもたらすと固く信じていて、逆に私がおかしいと思っていました。私は彼に対して良い印象がありませんでした。

 しかし、冷静になって考えると、どんなことも偶然ではありませんでした。この人と一緒に仕事をさせたのは私の執着心を取り除くためでしょう。少なくとも人を見下げる心を取り除くべきです。

 その日、会社に埋めなければならない表がたくさんありました。ある同僚がこうしてとか、ああしてとか口出ししてきたので、その同僚にやらせたら、結局やり方がわからず、埋められませんでした。私は非常に嫌気が差し、彼に返事するときの口調もよくありませんでした。彼も私が怒ったと分かり、なぜそれほど短気なのか、なぜそれほど怒りやすいのか、なぜそれほどひどく怒っているのか、などと言いました。このような人に言われると私は頭にくるので、更に怒り、屈辱を感じ「まったく怒っていません、怒る必要もありません」と強調し、自分の怒りを隠そうとしましたが、心の中ではとても怒っていて、さらに彼を見下しました。

 毎回、心性の面でトラブルがあると事後大変辛く感じました。なぜ心性を守ることができなかったのかと悔しく思いました。なぜ怒ったのか? 他人に私が怒っているのが見えて指摘されたのに私はそれを隠し、自分は怒っていないと頑なに言い張りました。また「怒っていません」と話す時も、話しぶりや顔色からも私が怒っているとすぐ分かります。したがって私の弁明は余計なもので、無駄な釈明になっていて、人々はさらに私を修養のない人だと考えたでしょう。

 怒ることは修煉者の基準に合っていないと私は分かっています。しかし、他人の前で怒ったのを認めずに「私は全然気にしていません、怒るまでもありません」と弁解して隠したのは虚栄心とメンツの心の現れで、さらに探してみると名利心、嫉妬心、闘争心、情に対する執着などが裏にありました。これら全ては「私心」によるもので、自分の各方面での利益が損なわれるのを恐れ、面目を失うのを恐れ、誰かが自分に失礼なことをすれば心の中で憎みました。ただ快適さや安逸だけを求め、褒め言葉や気に入る言葉だけ聞きたがり、順調な環境の下で働き、修煉したいと思っていました。

 師父は「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」 [1]とおっしゃいました。今になって私はやっと自分に執着心がまだこれほど多く残っていて、しかもこれほど頑固であると分かりました。トラブルに遭遇した時、真にうちに向かって探さなかったため、心をえぐるかのように心を刺激する試練に遭うのです。実はこれらすべては師父が私の執着心を取り除くために按排してくださった、心性を向上させる機会と環境です。以前、私はそれを大切にしなかったばかりか、逆に自分の機嫌を損なうことをただのトラブルだと思って怒ったり恨んだりしていました。その上、人を見下げていましたが、どうしてそれが修煉者の現れだと言えるでしょうか?

 今日私はやっとうちに向かって探しました。そして私は自分に「面倒なことやトラブルに遭遇した時は落ち着いて穏やかに、冷静になるべきで、人を軽んずる心は必ず修めて取り除かなければならない。怒る心、嫉妬心、闘争心、名利心、虚栄心、メンツを失いたくない心などを修めて情と私心から抜け出し、周りの縁のある人に善意をもって接すべきで、あの同僚にも善意をもって接するべきだ」と言い聞かせました。その同僚は素行が非常に悪い人ですが、もしかすると縁がある人かもしれません。修煉の道で偶然なことは一つもないからです。

 修煉過程は必ずしも春のような陽気だけとは限らず、いつも気に入る人ばかりに会えるとも限りません。時々黒雲が空を覆ったり、時々あまり良くない人に出会うかもしれません。もしこのような人に善意を持って接することができれば、真の修煉者の基準に従っていると言えます。そうならば修煉者の慈悲と寛容に基づいて善意を持って彼に接しましょう。

 こう考えると心は軽やかになりました。彼は今真相を聞きたくありませんが、これは、もしかすると機縁がまだやって来ていないか、或いは私の正念をさらに増強させる必要があるからかもしれません。しかし、法を正す形勢の展開に伴い邪悪の要素を徹底的に一掃することによって彼は必ず真相が分かり、邪悪な中国共産党から離れるだろうと思います。誰もが常人社会にやって来て大法の救い済度を待っているからです。

 現段階での少しばかりの体験ですが、不足のところは慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「修める者はおのずとその中にいる」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/7/2/389097.html)
 
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