文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年12月9日】
一、この生命は法のためにやって来た
この疑問は、6、7歳から始まり、私は「人はなぜ生きるのか?」を考えていました。学校に上がった後、ずっと試験で優秀な成績を収め、理想の学校に受かり、歩んだ後に従ってついてきたのは拍手と花束でした。それでも私はずっと「人はなぜ生きるのか」を問い続けており、級友に尋ね、先生に尋ね、さまざまな書籍を拝読し、寺院にも行きましたが、結局のところ、満足する答えは得られませんでした。
そんな1997年10月のある日、大学の教室に座っていると優美な音楽が聞こえ、教室を出て、大学生たちが気功を練習しているのを見ました。気功を練習したことがなかったので、何の気功か、どのくらい費用が掛かるのかどうかもわからず、私は教室に戻りました。続けて音楽が聴こえてきてまったく座っていられなくなり、再び教室を出てそばに行くと、気功を練習している人の中に知り合いの清掃係りのおばさんがいるのが見えました。
翌日、教室の棟で真正面からそのおばさんにばったり会い、私は近づいて行き単刀直入に「おばさん、僕という人間は気性が荒く、この心を修めたいんです」と言いました。おばさんは笑いながら「法輪功を修煉しなさいよ! 真・善・忍を修めなさい!」と言いました。この時、自分が大法のためにやって来たのだと私にはすぐにわかりました! そして、この時から人は何のために生きるのかがわかり、修煉して師父について行き、本当の家に帰るためであると自覚しました。
ちょうど修煉を始めて数日たたないうちに、私は教室の机の上で、きれいな法輪が旋回しているのが見え、黄金色で1元硬貨ほどの大きさでした。その後から、いつも夢の中でさまざまな色の法輪を見て、大きいものや小さいものや、時には空一面に法輪が旋回しており、多様で盛観でした。私は特に『轉法輪』を朗読するのが好きで、どんなに読んでも読み足らず、師父がお書きになった内容は素晴らしいと感じました。迫害前に『轉法輪』を3回書き写し、『精進要旨』を数十回覚えました。毎日が楽しく、一心に学法し、修煉しました。
それは一生の中で最も楽しい時間で、毎日毎晩数十人の同修と一緒に法を学び、私たちのその中の大部分が本校の大学生で、さらに教師や付近の労働者の皆が一緒に学びながら修煉しました。修煉を始めた初日の夜、私は横になるとすぐ寝つくことが出来、私のこのひどい神経衰弱者としては、これまで考えることすらはばかられることでした。あれから二十数年が過ぎ、修煉を始めてから現在(訳注:2019年)まで、1粒の薬や注射を打ったことがないだけでなく、夫(同修)とすでに20歳を過ぎた子供も注射を打ったことがなく、薬を飲んだことがありません。
1999年7.20、猛吹雪が天地を覆い隠すかのように、中国共産党がデマを流し、抑圧し、迫害を始めました。迫害が絶えずエスカレートしていくに従って、2002年末、私が堅く大法を修煉し、保証書を書かないために、教育部は私を不当に除籍し、現在(訳注:2019年)まで給与の支給を止められています。しかし私は後悔したことがなく、この生命は法のために来たのです。最近、数年に一度夢の中で、邪悪が私に「あなたに40万元(およそ617万円)あげるので、保証書を書きませんか?」と尋ねられ、私は「地球の全てのお金をくれても、絶対に書きません!」と確固として言いました。
二、師が法を正すことのお手伝いをし 衆生を救い済度する
2005年、大法に対する正しい信念に任せて、私は夫と『ゼロから資料拠点を設立し始める』を学習し始め、自宅に真相資料の拠点を作りました。ずっと今日(訳注:2019年11月)まで平穏に運用しています。私の家は当時住んでいたのは県の郊外の路地で、その時ほとんど誰もブロードバンド(訳注:広帯域で高速な通信回線)を取り付けていなかったので、設置がとても困難でしたが、私は「必ず設置できる」と正念を確固とし、2歳の次男坊を抱きながら正念を発し続け、その結果やっと設置できました。
インターネット、ダウンロード、アップロード、プリント、DVDの読み書き、真相カレンダーの印刷から、真相DVDの大量作成までやり、さらに、法輪功の関連書籍を大量に制作するところまでやり、さらに現在(訳注:2019年)では、真相定期刊行物を大量に制作するところまで至っています。この数年、冬になる度に特に忙しく、農村に行って一軒一軒法輪功迫害の真相を伝える同修がおり、私は定期刊行物、福の字、正月に部屋に飾る絵、カレンダー型パンフレットを大量に制作し、時には毎日制作し、夜に学法します。ずっと平穏に健全に運用しています。
2016年、両面プリントの機器があったおかげで、毎年少なくとも1万5000冊の定期刊行物を制作し、楽しく忙しい状態でした。20年間、このように楽しく忙しくしていました。子供を連れて遊ぶ時間はありませんでした。子供が小さい時は貧しく過ごし、着るものはみな同修の家の子供のおさがりでしたが、子供たちは世界で最も幸せで、子供たちは大法の子供弟子であり、子供達には師父のご加護がありました。今日(訳注:2019年11月)子供たちはすでに健康で、かっこよく育ち、冬休みと夏休みが来る度に私と一緒に学法し、正しいことを行ないます。
ちょうど資料拠点を設立した当時、中国共産党の迫害がまさに狂気じみていた頃で、いつも夢の中で邪悪がやって来て、非常にはっきりとしていました。夢の中で、私は時には手のひらを立てて正念を発し、時には走っていました。目が覚めてから長時間正念を発し、邪悪が滅ぼし尽くされるまでやり続けました。師父は「どんな時になっても魔は道より高くなることはありえません」[1] と説かれました。
ある時夢を見ました。師父が床にお座りになって、私のために靴を直されていました。私はすぐに師父にひざまずいて叩頭し、泣きながら「師父、必要ございません。○○(私の夫の名前)が修煉すればそれでいいのですから」と申し上げました。師父は厳粛に「この靴は直すのが難しい!」とおっしゃいました。その後、同修にこのことを聞かせると、同修が理解したのは、師父が私のために邪悪を片付けてくださったのだということでした!
ここ数年、家族は実家で元旦を過ごし、私は一人で家にいます。ここ数年、新年になる度に、師父は新しい経文を発表なさいます。私は一人で一気に『轉法輪』を6講学び、師父の経文を読む前に、寝てしまいました。また師父の夢を見て、師父は白い半そでのシャツ姿で、外で数千人に説法しておられ、私に背中を向けておられました。私は家の中の窓の所に立ってそれを聞き、窓を閉めて、外に出て法を聞きに行きたいと思いました。師父は振り返り笑いながら「彼女はもう窓を閉めました!」とおっしゃいました。すぐに目が覚めました。私は師父が経文を発表されたことを知りました。窓を閉めた、というのは私がパソコンの電源を切ったことを指していました。すぐにパソコンを開いてインターネットに接続し、新経文『衆生からのご挨拶に感謝』が目に飛び込んできました。なんという感動でしょうか! 急いでプリントし、同修たちに経文を送りました。
その時の環境は邪悪で、師父が毎回新経文を発表されることは、中国の同修にとって大きな励ましでした。経文をずっとレーザープリンターでプリントし、その後、明慧ネットでプリント版が発表されてから、ダウンロードしてプリントしなければならないことを知りました。ここ数年、私はずっと100部以上の経文のプリントの責任を負っています。明慧ネットに掲載された同修の交流を読み、師父が経文を発表される度に、天上には各道の神仙に専門に「神の意志」を伝える神がいる、ということでした。それ以降、私はさらに十分に神聖な喜びの心を抱いて、同修たちに師父の経文を送り「私は大法弟子である!」と誇りを強く感じました。今生で幸運にも師が法を正すことをお手伝し、衆生を救い済度し、これは師父が私に与えてくださったこの上ない光栄です!
家では、私は数人の同修と共同で700冊の『洪吟三』を制作し、他の同修の家では、数百冊の『洪吟四』を制作するように協調を取りました。今年(訳注:2019年)、協調を担当する数人の同修が分かれて、各自の家にもともとある資料拠点で共に900冊の『洪吟五』を制作しました。この数人の同修はみな7.20前の古い大法弟子です。年齢は高いですが、みな非常に精進して着実に修煉しています。その同修たちと協力する中で、その同修たちは常に内に向けて探すことができ、その同修たちの高い境地の行為が私にも影響しています。私は時に心性が追いつかない時、おばさんはいつも平和的に私を導き「内に向けて探す」よう私に注意し、「外に向けて探さない」ように注意します。その同修たちの心は修煉にあり、ただ何かを行なうだけではなく、全てがみな人を救うという重い仕事を請け負っています。私はただの走り使いで、買い物に行き、消耗品を運びます。その頃、夢を見て、夢の中で私は「師が法を正すことのお手伝いをし、衆生を救い済度し、当然の責務です」と確固として言いました。
三、師父がそばにいらっしゃる
2010年、私と一緒に協力した女性同修が真相を伝えている時に不当に連行され、その後、不幸にも迫害されてこの世を去りました。その同修はとても精進しており、三つのことも皆とてもしっかり行い、私に対しても生活上でとても助けてくれました。同修がこの世を去り、私は本当にとても悲しくなりました。同修は円満成就したと、法の上でわかりました。しかし、この同修の情にひどく妨害され、泣いてはまた泣き、パソコンやプリンターはみな、調子が悪くなりました。
ある時眠っていた時に、師父は私を悟らせてくださいました。私とその同修、さらに技術担当の同修が同時に一つの入口に到着しました。その同修は自転車に乗っており、生前その同修はいつも自転車に乗っていました。私は子供を連れており、技術担当の同修が車を運転して私に車に乗るように言われても、私は「申し訳ない」と言って、車に乗りませんでした。この時「道は異なるが行き着く所は同じ」というナレーションが響きました。目が覚めた後、私は2人の同修に対する情を放下しました。迫害されてこの世を去った同修はすでに円満成就し、かつて助けとなる技術の同修を私のために連れてきてくれ、私たちは連絡が取れませんでしたが、同修はずっと法の中にいました。私たちは法を実証する異なった道を歩んでいますが、みな師父の弟子であり、師父が見守ってくださっています。近い将来、私たちは必ず美しい佛国の仙人の苑で楽しく集うことでしょう。
2015年、実名で江沢民を告訴し、私はほとんど地元では最初でした。また古い同修を手伝って江沢民を告訴しました。当時の私は学法が追いつかず、マンションの部屋を買ったために借金があり、家族に対する恨む心が強く、他の空間からの圧力が特別大きく、恐れる心が出てきました。私は学法を強化し、発正念を強め、長時間高密度に正念を発しました。
ある日、私は夜6時の正念で寝室に座っており、警官がドアをノックし、夫は同僚だと思い込み、ドアを開けてしまいました。警官たちが家の中に闖入(ちんにゅう)するのを夫と子供が食い止めようとしているのが聞こえ、警官たちはどうしても侵入して来そうでした。私は異常なほど平静に出て行き、「江沢民告訴のことですか?!」と言いました。警察署長は「ビデオがある、私に言わせるな」と説明しました。私は警官たちを中に入れようとしましたが、警官たちは「何事があっても入りません」と言いました。私は善の心から子供に「おじさんはいい人よ」と言いました。同時に正念を発し、背後の邪悪要素を整理しました。4人はさっきまではまだ恐ろしい形相でしたが、突然空気が抜けたゴムまりのように、その署長は元気なく「明日もう一度来る」と言って、急いで下に降りて行きました。その時、師父が大きな手を振られているのを感じ、警官たちの背後の邪悪を処分してくださったことを感じました。その時、家には師父の写真、経書、パソコン、プリンターの全てがありました。ありがとうございます、師父! あれ以来、今日(訳注:2019年11月)まで、私は一度も警官たちに会っていません。
2019年になる前、法輪功の真相が載っている年画(新年の幸福を願って貼る版画)を作らなければなりませんでした。以前作った法輪功の真相が載っている年画はラミネートしなかったので、時間が長くなると色落ちしたので、今回はラミネートしました。私はまず2包みを背負って帰りましたが、ラミネートの膜が重く、1000~2000枚の年画を作らなければならず、どうやって持ち帰ればいいのでしょうか? 私がちょうど心配していた時、迫害されて住居を追われた1人の女性同修が突然我が家にやって来て、ラミネート膜のことをつい話すと、その女性同修は利用できる車があると言って、ラミネート膜を買ってこれる、と言いました。おお、師父の按排はなんと素晴らしいのでしょう! 私たちが何を考えているのか、師父はすべてご存じです! 正しいことを行ないさえすれば、師父はいつでも助けてくださいます!
今回は『洪吟五』を作り、トナー、書籍を保護するための透明なカバー、トナーカートリッジを購入しなくてはならず、私は家にいる時に心の中で「同修に出合わせてください」とお願いしました。すると、商店の同修のところで、一度も会ったことがない女性同修に出会いました。そして、私のために購買してくれ、さらに私を車で送ってくれました。そうでなければ、私は重くて動かせませんでした。
ありがとうございます、師父! 師父がずっと弟子の手を引いてくださり、今日(訳注:2019年11月)まで歩んできました。弟子が困惑した時、師父はさまざまな方法で弟子を目覚めさせてくださり、弟子が危険に遭った時、師父はすぐに邪悪を滅ぼし尽くしてくださり、弟子が助けを必要とする時、師父はいつも怠りなく按排してくださいます!
法を正す時間が後どれだけ残っていようとも、あるいはどれだけ短かろうと、弟子は必ず師父について最後までしっかりと歩みます!! 法がこの世を正す時期を迎え、天があまねく喜び合う時期を迎え、絶対に師父の慈悲なる済度を無にいたしません!!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
(明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)