明慧法会|切断した指が接着した話
■ 印刷版
 

 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年1月15日】私は1998年の冬に法輪大法を修煉し始めた弟子です。私は小学校で数年勉強しただけで、文章はあまり書けませんが、私もこの法会の機会を借りて「師父の弟子に対する慈悲なる済度とご加護の下で、自分の修煉中に起きた奇跡」を書き出し、師父のご恩に対して感謝を表し、師父の偉大さと大法の威力を実証したいと思います。

 2009年11月のある日、私の夫のおばの家の弟と妹がトウモロコシの収穫を手伝いに来ました。なぜなら、幾棟かの男性はみな外にアルバイトに行ってしまい、ただ私たち姉妹3人だけが仕事をしていたからです。適当な道具が見つからなかったので、私は手でトウモロコシを摘み取り機械の上に放り投げ、仕事をしているうちに、何かが私にからみついたのも気づかず、ころんでしまい、起き上がって引き続き仕事をしました。しかしどうしても、トウモロコシを収穫することができず、よく見ると「あら! 左手の親指はどうしてないのかしら?」と声を出しました。なんと転んだ時に、手がベルトコンベアーに触れてしまい、親指がもぎ取られ、中指と薬指ももぎ取られていました。

 弟と妹が私の声を聴いて驚き、機械を止め、走って来て見てみると、親指が本当になくなっており、弟と妹の2人は驚きました。弟と妹は「早くタクシーを探して病院へ早く行こう!」と言いました。この時に私には恐れはなく、痛みも感じず、ただ「親指がなければ坐禅や煉功発正念で印が結べず、これではうまく煉功できないだけでなく、法の要求にも符合しなくなってしまう」と思っただけでした。私の心は焦り、約十数分後に血がたくさん流れ出たために心がつらくなり始めました。汗で大雨が降ったかのようにぬれ、綿入れの服もぬれて心が極限までつらくなり、すぐにだめになり、私は大声で「師父、助けてください、師父、早く助けてください」と叫びました。すぐに体の汗が引きはじめ、心もつらくなくなりました。この時、私は涙があふれ出し、それは感激の涙でした。私は感激して「ありがとうございます、師父! ありがとうございます、師父! どうか、ご加持をお願いします。早く指を接着しなければなりません」と叫びました。

 こうして弟と妹は私に付き添って病院に行き、さまざまな検査を行なった後、弟と妹は医者に「姉のこの指は接着できますか?」と聞きました。医者は「接着することは接着できますが、接着して指が使えるようになるかどうかは1万人に1人いるかいないかです」と言いました。私の心は焦り、医者に「何か方法を考えてこの指を接着してください。これは私にとってとても重要で、欠かせないものなのです」と要求しました。私は心の中で「私はこの関を乗り越え、この難を乗り越えなければなりません」と師父に弟子を加持していただくようにお願いしました。

 医者は私に「何歳ですか」と聞き、私は「47歳です」と言いました。医者は「もし50歳ならば、何を言われても接着しませんでした」と言いました。医者は再び私に「それで、指は?」と聞きました。私は「あら」と声をあげ「まだ家にあります」と言いました。医者は急いで「いまさらですが、あなたはまだ指を持ってこないで、どうやって私たちに接着しろと言うのですか?」と言いました。接着できると聞き、私は急いで家族に電話して指を探してもらいました。最終的に家族がベルトコンベアーの下から指を探し出し、再び材料がそろいました。切断された指が病院に送られた時、すでに4時間以上が経っていました。

 医者は急いで手術の手配をし、手術が終わったのはすでに夜中の11時過ぎでした。手術が終わると他の人はみな帰り、弟と妹だけが病院で私に付き添っていました。医者は弟と妹に「今晩は寝ないでください、この指をよく見ておき、黒くなったら私たちを呼び、なぜなら黒くなったら接着しなかったということで、やはり切り取らなければならないからです」と言いました。翌日回診の時、医者は私の弟と妹に「どうですか?」と聞きました。弟と妹は「一晩の間に4回も動きました」と言いました。医者は「何もする必要がないのに、指を動かして何をしたのですか?」と言いました。弟と妹は「指が勝手に動いたのです」と言いました。医者は驚き、指を見て、何も言わずに出て行きました。この時、私の夫が地方から戻って来て、弟と妹に代わって夫が私に付き添い、弟と妹は家に帰りました。

 4日目の朝になり回診の時に、看護師長が私の指を触りに来て、私の顔がベッドの中へ向いて寝ていたために、指に感覚を感じた時に思いっきり振り向くと、看護師長は「びっくりしました。寝ていると思いました」と言いました。さらに2日間が過ぎ、看護師長が再び私の指を触りに来て、私はちょうど夢うつつの状態で、いきなり目を開けると、看護師長が「あら、また驚いたわ、指に感覚はありますか?」と言いました。私は「うーん」と言いました。看護師長は外に向かって走りながら「ありえないわ! ありえないわ!」と独り言を言いました。

 この時に私の夫が外から入って来て「何がありえないのか?」と看護師長に聞きました。看護師長は「手術後こんなに短い時間に指に感覚が戻るなんて、本当に接着できるなんて思わなかったわ、不思議です」と言いました。私の夫は「私たちの家族なら可能です。なぜなら、人によって違いがあるからです」と言いました。看護師長は「私は看護師になって数十年になりますが、このようなことに出会ったことはなく、こんなに年を取っていて、さらに指がこんなに長い時間体から離れていて、こんなに早く接着するなんて、これは本当に奇跡です!」と言いました。

 看護師長はまた「数年前に30歳代の若者が、ロープで車にブレーキをかけて指を切断し、彼はすぐに病院に行って治療したので、指の接着は比較的早く、同時に、医者はさらに彼の腹を切開して小さい穴をあけ、手の指を腹の中に入れて保養し、それでもやはり2カ月以上かかってやっと接着しました。こちらのご婦人の指がこんなに早く接着するなんて、本当にすごいことです」と言いました。私の夫も「それは本当にすごいです!」と言いました。

 病院に半月以上入院しなければ私は退院できず、医者は私に「あなたはとてもしっかりしており、また傷もこのようになりましたが、あなたがどれだけ苦しいのかまったくわからず、まるであなたとは関係ないことのようです」と言いました。「私は法輪功を修煉しており、大法には神の奇跡があります」と医者に伝えました。医者は疑問を抱いてきょとんとし、そして続いて「接着したと言っても、どんなに早くても1年半たたなければ感覚は戻らず、それまでは本当に機能を回復させることはできません」と言いました。

 医者はさらに「親指のけがで障害認定を受けることができ、3カ月後に病院に来れば証明書を出しますので、障害者手帳の手続きをしてください。そうすれば国からお金が出るので懐具合が良くなります」と言いました。その時私もそんなに多くのことは考えていませんでした。3カ月ぐらい経った時に「私のこの指はもうよくなり、なぜ障害者手帳がいるだろうか? もし障害者手帳が必要だというのなら、それは自分が障がい者であると認めることではないだろうか?」と思いました。私はその手帳を受け取るわけにはいかず、どんなにお金をもらったとしても私は受け取らず、そうでなければ、私はどれだけの徳を失わなければならないだろうか、と思いました。

 これは昼間に考えたことで、夜に夢を見ました。師父は夢の中で、金色の光が燦然(さんぜん)と輝く指を私に付けてくださり、それはとても美しかったのです! 私は師父に「師父、この指はとても素晴らしいです。私はこの指を持ちたいです!」と申し上げました。翌日、保温カップを触った時に熱いと感じ、指に感覚が戻ったことがわかり、指の機能が回復したことがわかりました。師父は私の親指を救ってくださり、本当に「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[1] でした。

 3カ月後、私は真相資料と真相DVDを持って病院へ行って医者に会い、医者に対して「私のこの指はよくなりましたよ。感覚が戻り、障害者手帳はいりません」と言いました。医者は「どうしてこんなに早く良くなったのですか」と私に聞きました。「私は法輪功を修煉していますので、治るのがこんなに早いのです」と実際に医者に知らせました。私は資料とDVDを取り出して「先生の私に対する労力に感謝申し上げます。私の人生の中で最も貴重なものを先生に差し上げます。先生がまじめにお読みになることを希望し、読み終わったら他の人に見せて上げてください。こうすれば、先生に利益がもたらされることでしょう」と言いました。医者は「わかりました。必ずそのようにします」と約束しました。

 またある出来事がありました。私が51歳と52歳の2年間に休む日が特に多くて、さらに腹痛がひどく、痛くて食事ができず、仕事もできませんでした。私は「修煉者で、師父がついておられるので、問題はなく、すべては虚像だ」と思いました。しかし家族は心配しました。息子の嫁は無理にでも私を引っ張って病院に連れて行き、検査しなければならないと言い出しました。私は逆に「何でもない」と思いましたが、連れて行くなら行こうと思い、検査が終わって何事もなければ息子の嫁も安心するだろうと思いました。

 検査結果は子宮に大きな腫瘍が二つ現れ、一つは6.2センチ、もう一つは2.7センチでした。そこで家族は手術をしなければならないと言いましたが、私は病院に行かず、「何でもありません。これは虚像です」と言いました。しかし家族は信じず、私を説得できないと見ると、私の実家の人達を説得させるために連れて来ました。実家の人達はみな私が修煉するのを支持しているので、修煉中の不思議な出来事を実家の人達に伝え、理解すると誰も私を説得しませんでした。最後に私の息子が「煉功でよくなるとお母さんは言い、それなら、あとどれくらいでよくなるのですか。私達はなんとなくわかっていますが」と言いました。私は「1カ月でよくなることを保証します」と言いました。

 これは師と法を信じる信念に対して試されているのだと私にはわかっています。私は師父を堅く信じ、法を堅く信じ、旧勢力の按排を認めず、虚像を否定し、本当に修煉する人に病気はなく、ただ業力だけがあり、私はこの関を必ずしっかりと乗り越えなくてはなりません。師父の慈悲深い見守りの下で、心を静めて真剣に学法し、煉功し着実に自分を修めることを通じて、心性を向上させました。私はついにこの関を乗り越え、1カ月以上が経つと休む日も少なくなり、おなかも痛くなくなり、食事や仕事もできるようになりました。私の変化を見て、家族は誰も手術を受けることを言い出さなくなりました。これは私の心性が基準に達したことを師父がご覧になり、師父がそのよくない物質を取り除いてくださったのだということが、私にはわかりました。

 不思議な出来事は私の体にとてもたくさん現れましたが、多くを書きません。要するに、修煉を始めてから現在(訳注:2019年)まで、師父はずっと私と私の家族を見守ってくださり、師父に対する弟子の感謝の心をどのような言葉を以ってしても表すことができず、弟子はただ精進し、精進し、さらに精進して師父の恩に報います!!

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/10/395458.html)
 
関連文章